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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)  作者: みえない糸
第1章 世界はまだ、正しく壊れている

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番外編 佐々木結衣 前史 —喪失と反転— その4 祓屋としての始動

退院した日、空は異様に青かった。


病院の正面玄関を出た瞬間、

結衣は一歩だけ立ち止まった。


外の空気。

風。

街の音。


それらはすべて、以前と同じはずなのに、

結衣にとっては“不気味なほど遠い世界”に感じられた。


世界は続いている。

自分の知らない顔で。


その残酷さに息が詰まりかけたが、

結衣は歯を食いしばった。


もう後戻りはない。

兄のいない世界に、自分の居場所を探すつもりはない。


探すのはただひとつ。


——兄を奪った「残響」の痕跡だけ。



病院を出てすぐの場所に、

黒い車が停まっていた。


助手席の窓が少しだけ開き、

タバコの煙が薄く流れてくる。


「乗れ」


中森安行の声だった。


結衣は迷わず乗り込んだ。


中森は運転席でタバコを咥え、

結衣の顔を一瞥する。


「倒れねぇ程度には回復したか」


結衣は小さく頷いた。

まだ喉は完全に治っていない。

声は掠れ、長い言葉は出ない。


だが“意思”だけは失っていなかった。


中森はエンジンをかける。


「いい目だ」


「怨みで濁った目は長生きしねぇが……

 澄んだまま怒ってる目は、生きる」


結衣は視線をそらさなかった。


怒りはある。

悲しみはもっと深い。


しかしそのどちらも、

兄を奪った“何か”に向けられているだけだった。



車は街を離れ、

山間の道を走る。


行き先は結衣には伝えられていなかった。

だが彼女は尋ねなかった。

中森が「必要な場所」に連れて行くのだと理解していたから。


沈黙が長く続いたところで、

中森が口を開いた。


「お前、祓屋になりてぇんだろ」


祓屋——

その言葉を聞くだけで、仲から熱が立った。


結衣は小さく頷く。


中森は加速しながら言った。


「祓屋は“正義”じゃねぇ」


「救済者でもねぇ」


「ただの現実だ」


「残響にやられた奴らを、

 正常に戻すために“修正する”

 ある種の技職だ」


中森はさらに続ける。


「だが、お前は違う」


「お前は救いたいんじゃなくて——殺したい」


「それでも祓屋を目指すんだな?」


結衣は目を閉じ、

かすれた声で、しかしはっきり言った。


「……はい」


中森の口元に薄い笑みが浮かぶ。


「よし。その言葉を待ってた」


車はさらに山奥へと入る。

舗装されていない砂利道を抜け、

朽ちた建物の前で止まった。


それは古い倉庫のような建物。

しかし周囲には異様な静寂がある。


虫の声すらない。


「降りろ。ここが最初の稽古場だ」


結衣は車を降り、

生ぬるい風を受けた。


建物の扉を開けると、

薄暗い室内に、中森が用意した装備が並んでいた。


・量子暗号札(初期型)

基礎祓詞ふつしデータ

・八鍵の“素体”となる金属フレーム

・精神汚染の基礎講義資料


結衣は静かにそれらの前に立つ。


中森が言う。


「祓屋の祓いは、“祈り”じゃねぇ。

 コードだ」


「残響は“思念のウイルス”。

 だから削除じゃなく、修正する」


「だが……」


中森は結衣を見た。


「お前がやりたいのは修正じゃねぇよな」


結衣は首を横に振った。


「……殺す……」


その一言に中森は満足げに頷く。


「なら覚えておけ」


「祓詞は、心が濁るほど強くなる」


「復讐は“力”になる」


中森は机から一枚の暗号札を取り出し、

結衣に手渡した。


「まずは、これを起動してみろ」


結衣は両手で札を受け取り、

静かに見つめた。


札の中央には、

古代文字と量子コードの融合したような文様が刻まれている。


手のひらに乗せると、内部で微かな熱を感じた。


中森が言う。


「祓詞を唱えろ。

 自分の中の“本当の声”でな」


結衣は喉が痛むのも構わず、息を吸った。


初めての祓詞。

初めての詠唱。

兄を奪った世界への“最初の反撃”。


結衣は札を胸に当て、

囁くような声で言った。


「……祓詞ふつし……起動……」


瞬間、札が淡く光を放った。


結衣の指先から、

血のように赤い光がほとばしる。


それは温かい。

しかし同時に、底のない虚無のような冷たさも孕んでいた。


中森は満足そうに言う。


「いいな。

 お前の祓詞は“憎しみ”で強化されるタイプだ」


「そいつは……

 残響を殺すには向いてる」


結衣は瞳の奥に静かに炎を宿しながら、

札を握りしめた。


札は震え、

彼女の感情と共鳴している。


——そのとき。


倉庫の奥から、

細く長い黒い影が伸びた。


床に触れるたび、

空気がひずむ。


結衣の背中に冷たい汗が流れる。


この気配は知っている。


兄を奪った“あの残響”と同じ“質”。


中森が舌打ちする。


「こいつか……

 お前の家を襲ったやつの“同類”だな」


影が揺れながら近づく。


形を持たない。

姿を持たない。

ただ、結衣の恐怖を餌に広がる。


結衣は震えた。


足がすくむ。

喉が再び塞がる。


しかし——

兄の声が耳に蘇った。


【逃げろ】


結衣は唇を噛み、

その言葉を“裏返し”に変える。


——私は逃げない。


兄の最後の言葉を、

“戦う理由”に変える。


影が迫り、

結衣の身体を飲み込もうとした瞬間。


結衣は暗号札を胸の前に掲げた。


「……祓詞――起動……!」


声はかすれている。

弱い。

震えている。


だが祓詞は“声の強さ”を求めていない。

求めているのは、

“心の奥底の決意”。


札が赤く光る。


影が一瞬たじろぎ、

空気が震えた。


中森は腕を組んだまま言う。


「悪くねぇ。

 そのまま押し込め」


結衣は震える手でさらに札を突き出す。


祓詞の光が影を裂く。

影は苦しそうに揺れ、

細い悲鳴のような波を発した。


それでも結衣は逃げなかった。


兄の死を無駄にしたくない。

守られるだけの自分で終わりたくない。

奪われたものを奪い返す。


その全てが、

結衣の祓詞に乗った。


「……殺す……」


影が揺れ、

しばらく抵抗したのち——


弾けるように消えた。


倉庫の空気が静まる。


結衣はその場に膝をついた。

呼吸が荒く、体中が痛む。

背中の傷が再びうずき始めた。


中森がゆっくり歩み寄る。


「……初陣にしちゃ上々だ」


「その目なら、生き残れる」


結衣は顔を上げた。


中森の言葉に、

初めて“自分の道”を見つけた気がした。


痛くてもいい。

苦しくてもいい。


兄を奪った残響と、

世界の“歪み”を——

この手で断ち切るために。


結衣は、

祓屋として歩き出すことを決めた。


兄の影を追うために。

兄の声を越えるために。


“逃げろ”と言われた少女は、

その言葉を——

自ら戦うための“逆命令”に砕いた。

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