第7話「響かない叫びの町」 その4 灰町の少女
境界が破れた瞬間、
梓の視界は黒と灰で二分された。
熱はない。
けれど空気は息をするたび喉を焼いた。
(……ここが“声が燃える層”)
灰色の町並みは、どれも古かった。
瓦屋根は崩れ、
木造家屋は焼ける寸前の色で固まり、
動きを失った炎の“残影”が随所に浮いていた。
そこに、
少女が立っていた。
白いはずの小袖は焦げ、
髪は炎のように乱れ、
涙は灰へと変わり落ちていく。
少女は背を向けていた。
何かを探すように、
一軒の焼け止まりの家を見つめている。
(……被害者の家……?
違う、もっと昔……
ここは“少女の最期”の再現)
梓は一歩踏み出した。
「あなた……」
少女が振り返った。
目は黒く澄んでいるのに、
焦げた涙が頬を伝っていた。
そして、
少女は喉元に手を当て、
声の形だけを作った。
『……たすけて……』
声は出ない。
その代わりに“熱”が生まれ、
少女の周囲の空間を揺らした。
(助けて、って……
でも……あなたはもう……)
「あなたは、何を求めているんですか。
声……奪った声で、誰かに届きたかったんですね」
少女は一瞬だけ怯えたように身をすくめた。
そして次の瞬間──
奪った声で叫んだ。
「……たす……けて……!!」
少女の叫びは
**炎ではなく“熱の輪”**となって町を揺らし、
倒壊寸前の家屋から黒い影がいくつも生まれる。
『たすけて……』
『もえて……』
『こわい……』
『こえ……でない……!』
泣き声の残骸たちが街に満ちた。
(これが……彼女が見た最期の世界……
助けを求めて叫んだのに、
誰にも届かなかった声だけの地獄)
「……あなたを、修正します。
“消す”んじゃない。
届かなかった声を、正しい形に戻すだけ」
梓は量子暗号札を取り出し、
八鍵を握り直した。
「祓詞《静息糸綴》──」
空間の熱がすっと引く。
灰の粒が静かに舞い、
少女の影がゆらりと梓へ近づく。
少女の黒い影が、
焦げた声の余熱のように波打った。
『……た……すけ……て……』
(助けてもらえなかった苦しみが……
無限に残ってる。
この子はずっと……
最後の瞬間で止まってる)
「泣かなくて大丈夫。
あなたの声……返しますから」
梓は目を閉じ、
新たに編み直した祓詞を紡ぐ。
祓詞《返祈環声》
「祓詞《返祈環声》──
祈りを還し、声を環に。
燃えた声は、響きに戻れ。
焦げた息は、光に還れ──!」
八鍵が白い光を放ち、
焦げる空気の熱が淡く消えていく。
少女は驚いたように喉に触れた。
指先が震える。
影がほどける。
その頬の涙が──灰ではなく、水になった。
「……あ……」
初めて、
少女自身の、澄んだ“声の音”が空気を震わせた。
少女は胸に手を当て、涙をこぼした。
「……たすけて、って……
ほんとうに……
きこえた……?」
「ええ。聞こえていますよ。
あなたの声です」
少女は微笑んだ。
焼ける寸前で止まっていた時間が、
ようやく動き始めたように。
周囲の火の残影が消える。
灰色の町並みがほどけ、光に溶けていった。
少女は梓に一歩だけ近づき、
かすれる声で名を告げた。
「……わたし……
おしち……」
それが、
八百屋お七の名を告げた最後の瞬間だった。
少女の姿は光となって消え、
残ったのは、
**灰でも炎でもない──“声の余韻”**だけ。
⸻
梓
(……あなたの声は、もう消えない。
届かなかった祈りは、今日で終わりです)




