表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)  作者: みえない糸
第1章 世界はまだ、正しく壊れている

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/151

第1話 団地消失エリア事件 その2 修正という仕事

 端末が震えたのは、昼を少し回ったころだった。


 真名井梓(まないあずさ)は、合成皮革の椅子にもたれて、コーヒーの缶を片手に画面を眺める。

 ワンルームの仕事場には、生活感というものがほとんどない。ベッドもクローゼットもあるが、それは宿泊設備のようなもので、「住んでいる」感覚は薄い。


 部屋の中央にあるのは、机と、いくつかの機材と、黒い木箱。


 彼女にとって、この空間は住居ではなく、作業環境だった。


 端末の通知。

 発信元は——東湾県警・サイバー対策室。


 梓は、少しだけ眉を動かした。

 ちらりと目線をやっただけで、通知を開かずに内容がわかる。

 音のリズムが、いつもと違う。 


「またか」 


 そう呟きながら、缶を机に置いた。

 通知を開くと、写真と簡単なテキストが並んでいる。


 【北湾第六団地・住民情報消失案件】

 【残響(エコー)疑いあり】

 【現場確認を依頼】 


 その下に、高峰修一(たかみねしゅういち)の署名。

 短く「現場を見てほしい」とだけ追記されていた。


「……早いですね」

 

 最近、この周辺で残響が増えている気配は感じていた。

 ネットワークのログにも、ノイズの揺らぎが出始めていたし、何より人の“祈りの質”が変わってきている。

 祈りは、時代の空気を反映する。

 そして今、この都市の空気はどこか乾いていた。 


 梓は、机の上の黒い木箱に手を伸ばす。


 それは一般的なサイズのアタッシュケースに見えるが、留め金は普通の鍵じゃない。

 祝詞(のりと)を模した細い回路が、表面に刻まれている。 

「今日も、あなたたちの出番ですね」 

 そう言って蓋を開いた。 

 中に入っているのは、三つの道具。

 ひとつは、薄い金属札の束。

 複雑な幾何学模様と、古い祝詞が混ざった文字が刻まれている。


 ——量子暗号札(りょうしあんごうふだ)


 ただの“お守り”ではない。

 同時に、量子暗号化された通信キーでもあり、

 残響と接触する際の認証パスの役割も果たす。 


 ふたつ目は、細長い黒い棒状の端末。

 巫杖を模して作られた、特殊入力装置。 


 梓はこれを“八鍵(やつかぎ)”と呼ぶ。


 本来、神事に使うはずの形を借りているが、やっていることはハードウェアとしての祓いのインターフェースだ。 


 そして三つ目。

 小型のイヤーカフとマイク。


 祓詞(ふつし)のための発声入力装置。


 彼女の祓いは、呪文ではない。

 プロトコル起動のための音声コマンドだ。 


「祓いは、削除じゃない。

 ……修正です」 

 独りごちるように、梓は呟いた。 


 残響の多くは、バグに似ている。

 しかしバグは削除するものじゃない。

 本来あるべき形に戻すか、

 影響範囲を制限して正常化する。


 全部を消してしまえば楽だろう。

 でもそれは、データごと人間を吹き飛ばす可能性がある。

 ——それを、彼女はもう何度も見てきた。 


 端末に視線を落とす。

 高峰からの追加メッセージ。

 【可能なら、現場で直接会ってくれ】

 【周囲の住民の記憶にも異常が出ている】

「やっぱり……」 

 梓は小さく溜息をついた。


 残響による記憶改変は、拡散すると面倒になる。

 特に“記憶の欠損”型は、気づかれにくい。

 気づいた時には、

 その人自身の現実認識がズレ始めている。 


 外套を羽織り、八鍵(やつかぎ)を手に取る。

 暗号札(あんごうふだ)をポケットに忍ばせる。

 イヤーカフを耳にかけた。 

「祓屋・真名井梓(まないあずさ)

 本日も稼働開始、っと」 

 そう呟きながら、玄関に向かう。

 廊下の床はひんやりと冷たかった。

 アパートの外は、曇り空。

 湿度の低い、乾いた風が吹いている。 


 車に乗り込み、エンジンをかける。

 ナビ画面に北湾第六団地の位置が表示された。 


 そのとき、バックミラーに、自分の目が映った。

 少しだけ、疲れている。

 だが恐れてはいない。 

 恐れは、祈りを生む。

 祈りは、残響を生む。

 なら自分は、

 少なくとも“材料”を与えない側にいたいと思っていた。 


 車が走り出す。 


 途中、交差点で信号待ちをしている最中に、端末が再び光った。

 今度は、別の回線。

 登録されていない番号だが、梓にはすぐわかる。

「……またあなた?」

 通話を受けると、くぐもった男の声が流れた。

『動いてるな、梓ちゃん』

 低く、平坦で、感情のない声。

 しかし独特の湿度だけがある。


「あなたの“商品”のおかげでね。

 今日も問題なく稼働してる」 

『それは光栄だ。ちゃんと金も払ってくれよ?』

「後払いでね。今回の案件が済んだら」 

 短い沈黙のあと、男が鼻で笑う。 

『北湾第六団地だろ。

 もう嗅ぎつけたよ』

 「……情報早すぎるでしょ」

『こっちは情報屋だからな。

 神事の血筋舐めるなよ』 


 中森安行(なかもりやすゆき)

 伊勢の系譜に連なる異端の血筋。

 そして、祈りの裏側を商売に変えた男。 


『あそこ、プチ臨界入りかけてるぞ。

 空白の部屋周辺、思念密度が高い』

「臨界って……」

『放っとくと、“存在ごと抜け落ちる”タイプになる。

 住民全体に波及するぞ』

 梓は視線を、前方の道路に戻した。

「……だから修正する。

 あなたの商売が長く続くためにもね」

『はは。

 相変わらず殊勝だな』

 中森の声が少しだけ柔らぐ。

『使ってる八鍵、もう旧型だろ?

 そろそろ新しいの回そうか?』

「……予算が許せば」

『祓屋が金がないなんて言うなよ。

 世界の裏側の保守担当だろ』

「あなたにだけは言われたくない」

 通話が切れる直前、彼は一言だけ付け加えた。

『今回の残響、“個”じゃないぞ』

「……どういう意味?」

『集合型だ。

 思念が重なってる』

 ぷつ、と通話が途切れる。

 梓は一瞬だけ、指をハンドルに食い込ませた。

(集合型……)


 個人の祈りではない。

 団地という場所に積もった、複数の“忘れられた思念”。

 それは、一番厄介なタイプだ。

「高峰……」

 彼の顔が脳裏に浮かぶ。

 あの合理主義者が、どんな顔をするだろう。


 すでに北湾第六団地の姿が見えてきていた。


 灰色の箱が、いくつも規則的に並んでいる。

 ただ一箇所だけ——

 不自然な“違和感”が

 風景の中に沈みかけている。

 まるで、そこだけ現実の解像度が落ちているように。

 梓は車を停め、外へ出た。


 八鍵(やつかぎ)を手に持つ。


 量子暗号札(りょうしあんごうふた)を指先に挟む。

「……いきます。

 あとは、世界次第ですね」 

 そう呟くとともに、彼女は団地の影の中へ歩いていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ