第33話 幻視 第2章 中森の思惑
朝。
事務所の空気は、重かった。
窓は閉じられている。換気扇の低い音だけが、一定のリズムで回っている。
中森は端末を見ていた。
二十七件。
すべて同一エリア。
時間帯は深夜。
被害者は全員、意識障害。
外傷なし。
共通点は、一つ。
「……“いる”、か」
小さく呟く。
指先で画面をスクロールする。
医療記録。
警察の簡易報告。
SNSの断片。
だが、それだけではない。
別系統のログが並んでいる。
警察内部通信。
暗号化された捜査進捗。
本来、外部に出るはずのない情報。
中森はそれを、当たり前のように読んでいる。
「……甘いな」
短く吐き捨てる。
通信は完全ではない。
現場無線。
捜査員の携帯。
端末同期の遅延。
人間が介在する限り、必ず漏れる。
中森はそこを拾う。
断片を繋ぐ。
意味に変える。
画面に表示されるのは、内部評価。
——原因不明
——薬物反応なし
——精神異常の急性発症
その下。
医師の所見。
“強い幻視状態”
“現実との区別不能”
“持続的恐怖反応”
さらに別の記録。
拘束された被害者の音声。
再生。
ノイズ。
叫び。
意味のない言葉。
〈いる〉
〈いるいるいるいるいる…〉
〈見てる見てる見てる見てる……〉
停止。
無音。
中森は表情を変えない。
「……視覚固定……いや」
少し考える。
「……違うな」
別のファイルを開く。
発症直後の映像。
路地。
街灯。
誰もいない。
だが。
被害者は一点を見ている。
動かない。
逃げない。
ただ、固まっている。
「……逃げてねぇ」
小さく言う。
普通の幻覚なら、違う。
恐怖は移動する。
視線も動く。
だがこれは違う。
「……“そこにある”を前提にしてる」
端末を閉じる。
ポケットから煙草を取り出す。
火をつける。
一口。
煙が、ゆっくりと広がる。
「見せてるんじゃねえな…」
独り言。
「“いる”を固定していやがる」
灰を落とす。
静かに。
一定の動作で。
中森は再び端末を開く。
今度は位置情報。
警察の未公開データ。
発生地点。
時間。
重ねる。
点が浮かぶ。
散らばっていない。
むしろ——
「……寄ってる」
中心がある。
ズレが少ない。
誤差が小さい。
偶然ではない。
明確な“発生源”。
「……描いてるな」
被害は広がっていない。
広げていない。
意図的に範囲を絞っている。
つまり。
“餌場”を固定している。
中森の視線が変わる。
「……回収型か」
小さく呟く。
その瞬間。
別のログを開く。
医療の経過。
被害者の状態。
——心神喪失
——錯乱
——発狂状態
回復例なし。
全員、同一。
「……壊してやがる」
思考を、破壊している。
精神を壊すことで、残響としての力を蓄えている。
質は高い。
濃い。
そして——効率がいい。
中森はゆっくりと背もたれに体を預ける。
「……悪くないな」
その評価は、冷たい。
人間ではなく。
資源として見ている。
視線を横に移す。
机の端。
小さな保冷ケース。
白いラベル。
無機質な容器が並んでいる。
だが——
ほとんど空。
指先で一つ、軽く叩く。
軽い音。
「……足りねぇ」
低く呟く。
端末に戻る。
今回の残響。
強度推定。
持続性あり。
範囲制御あり。
精神破壊型。
「……当たりだな」
短く言う。
そして、判断は早い。
「……今だ」
まだ警察は動いていない。
分析段階。
報告段階。
正式依頼は来ていない。
だからこそ——
「……先に狩る」
立ち上がる。
通信を開く。
数コール。
すぐに繋がる。
「……水谷、仕事だ」
中森の声は変わらない。
平坦で、温度がない。
『…場所をお願いします』
水谷の声。
短い。
中森は座標を送る。
「昨夜、二十七件の意識障害」
間。
「被害者は死んでねぇ」
『はい』
「だが……全員壊れてる」
言い切る。
わずかな沈黙。
『……了解しました』
「視覚系だが……」
「“そこにある”を固定してくる」
『固定型ですか』
「……違う」
煙を吐く。
「逃げても意味がねぇ」
「目を閉じても見える」
間。
「……認識そのものを掴まれてる」
短く言う。
水谷はわずかに間を置く。
『……承知しました』
「だから——」
中森は淡々と続ける。
「視覚を意識から切り離せ」
『…はい』
「対象はそこそこ強い」
「残穢が稼げる」
それだけ。
だが意味は十分だった。
水谷は即座に返す。
『滅して回収します』
「……全部持ってこい」
『はい』
「一滴も落とすな」
『承知しました』
通話が切れる。
中森は端末を閉じる。
煙草を灰皿に押し付ける。
火が消える。
再び、保冷ケースを見る。
空に近い容器。
不足している現実。
「……余裕がねぇな」
低く言う。
誰もいない部屋。
その奥。
閉じられたドアが一つ。
中から音はしない。
静かすぎる。
中森は視線を外す。
戻さない。
端末に視線を落とす。
画面の中心。
座標。
動かない点。
「……逃がさねぇ」
それが、結論だった。




