第4話 恐山・修行残響編 その1 死の手前の観測
恐山の空は、いつも灰色に見える。
雲がかかっているわけでもないのに、どこか現実から色を引き抜いたような空だった。
観光地として有名な場所だが、県警にとっては“事故対応のホットスポット”でもある。
転落。自殺未遂。行方不明。錯乱。
だが今日の案件は、それとは種類が違う。
「また、三人目だ」
高峰修一は、山道の手前で車を止めたまま言った。
窓の外では、風に煽られた硫黄の匂いが濃くなる。
草のにおいではない。
土でもない。
もっと“古い匂い”。
「死者と話したと言って錯乱。二人は搬送済み。三人目はまだ中だ」
隣の若手刑事が唇を引き結ぶ。
「……また、あの手のですか」
「たぶんな」
高峰は地図データを確認した。
発症位置。
時間帯。
共通の立ち寄りルート。
規則性がある。
情報はすでに頭に入れている。
だが、それとは別に、もう一つの“線”を彼は見ていた。
恐山に入る前に、届いていた連絡。
【中森:あいつが動くなら、場所は恐山だ】
短いメッセージ。
理由は書かれていなかった。
だが、勘ではなく情報の匂いがした。
「……来てるかもしれんな」
高峰は言った。
「誰ですか?」
「祓屋だよ」
若い刑事は小さく息をのんだ。
「あの……」
「名前は言うな」
高峰は淡々と遮る。
「ここじゃ、ただの“個人協力者”だ」
山道の入り口には、すでにロープが張られている。
一般客の立ち入りは一時的に制限されていたが、それでも観光客はちらほらいる。
問題が起きているのは、そこから先。
立入禁止のさらに奥。
「犠牲者の特徴は?」
「全員、“死者に会えると思って来た人間”です」
部下が答える。
「家族や恋人、知人を亡くしている」
「共通点は?」
「……“会話している”ふうだった、そうです」
高峰は顔をしかめた。
「ふう?」
「誰も見ていない相手と話しているように見えた、と……」
「それが終わった後、錯乱を起こした」
高峰は視線を山の奥に向ける。
——残響だ。
だけど今回は少し性質が違う。
今までの残響は外から侵食してきた。
ネットワーク。空間。構造。
だが今回のものは、
「欲求」に食い込んでくる。
会いたい。
話したい。
聞きたい。
人間の、もっとも脆い願いに。
「……まずいな」
高峰は小さく息を吐いた。
そのときだった。
後方から、車のドアが閉まる音がした。
振り返ると、
黒いコートの女が立っている。
色味の少ない服装。
長い髪を後ろで束ねた姿。
周囲の空気から半歩ずれている。
誰も、声をかけていないのに、
もうそこにいる。
高峰は何も言わなかった。
ただ、一言だけ言う。
「来たな」
女は軽く顎を引いただけだった。
「……ここが」
「恐山か」
地面を、見る。
踏みしめる。
硫黄のにおいを、確かめる。
そして、小さく息を吐いた。
「悪くないですね」
それは誰への言葉でもなかった。
だが、高峰だけはわかっていた。
この場所は彼女にとって、
単なる事件現場じゃない。
——自分の“動機”と向き合う場所だということを。
「三件目の錯乱者が奥にいる」
高峰が告げる。
「まだ意識はある」
梓は頷いた。
「行きましょう」
そして、ロープをくぐる。
警察の制止も、説明もいらない。
すでに彼女は“ここへ来る理由”を持っている。
それは
仕事でも
義務でも
正義でもない。
もっと、個人的で、
もっと根に近い理由だ。
恐山に風が吹き抜けた。
その音は、
かすかに、祈りの残響のように聞こえた。




