第27話 奪う者と狩る者 その10 狩る者と、戻す者
残響空間が完全に閉じた瞬間、世界は音を取り戻した。
焦げた匂い。
遠くで鳴るサイレン。
崩れかけた建物のきしみ。
根石健光の身体は、そこには残っていなかった。
血も、肉も、骨も。
まるで最初から存在しなかったかのように。
梓は八鍵を握ったまま、ゆっくりと息を整えた。
修正は、成立していない。
真刀徳次郎は消えた。
だが、それは“祓われた”のではない。
持っていかれた。
奪われた。
視線を横へ向ける。
銀髪の男が、片膝をついていた。
左肩と脇腹から血を流している。
深傷のはずだが、呻きはない。
「……大丈夫ですか?」
梓は慎重に距離を保ったまま声をかける。
男はゆっくりと立ち上がった。
「…問題ない」
声は低く、淡々としている。
だが、感情の起伏は薄い。
梓は眉を寄せる。
自分は修正する側。
彼は狩る側。
明確な差。
「あなたは……」
問いかけかけて、止まる。
名前を、まだ聞いていない。
炎の中で見た後ろ姿が、脳裏をよぎる。
銀髪。
あの一瞬の錯覚。
胸が、わずかに痛む。
「……どなたですか」
男は、わずかに視線を逸らした。
「…水谷真」
短い。
それ以上は語らない。
「水谷……」
梓はその名を反芻する。
どこか引っかかる。
だが、掴めない。
「あなたは……滅殺者ですか」
水谷は否定も肯定もしない。
「…残穢を集めに来た」
「それは……何のために?」
一瞬、沈黙が落ちる。
水谷の視線が、地面へ落ちる。
そこにあったはずの死体は、もうない。
「…必要だから」
それだけだった。
梓は、何も返せない。
必要。
自分もまた、必要だから修正している。
理屈は似ている。
だが、行き着く先が違う。
遠くで車両の音が近づく。
現実が追いついてくる。
「……ここはもう離れましょう」
梓が言うと、水谷は頷いた。
だが、去り際。
梓はもう一度だけ問う。
「あなたは……滅殺者の少女を知っていますか」
水谷の足が止まる。
ほんのわずか。
「…意味がわからない」
嘘ではない。
だが、全ても言っていない。
それだけが分かる声。
水谷は背を向け、瓦礫の向こうへ消えた。
⸻
数時間後。
中森安行の事務所。
報告を聞き終え、中森は黙って煙草を揉み消した。
「真刀徳次郎……奪われたか」
「…はい」
水谷は立ったまま答える。
「残穢を回収できませんでした」
「だろうな」
中森は肩をすくめる。
「あいつらが割り込みやがったか…」
視線が鋭くなる。
「お前も見ただろ」
「…はい」
「どうだった」
短い問い。
水谷は一瞬だけ考えた。
「…危険です」
「当たり前だ!」
中森は笑わない。
「お前は」
一拍。
「入るか?」
意味は明確だ。
愛音の中へ。
吸収される側に回るか、という問い。
水谷の目が、わずかに細くなる。
「入りません」
「即答か」
「私は狩る側です」
中森は鼻で笑った。
「その自覚があるうちは大丈夫だ」
だが、その目は笑っていない。
「梓は?」
「…修正を試みていました」
「らしいな」
中森は背もたれに沈む。
「戻す者と、狩る者と、食う者」
低く呟く。
「厄介な三つ巴だ」
引き出しの奥の薬瓶に視線が落ちる。
残穢から精製した抑制剤。
時間を買うための毒。
「……全部、足りねぇ」
独り言のように言う。
⸻
夜。
梓はひとり、八鍵を机に置いた。
今日の記録を整理する。
真刀徳次郎。
寄生型の快楽殺人者。
そして――
吸収。
「……何のために?」
小さく呟く。
自分は修正する。
壊れた世界を、元の形へ戻す。
だが、あの少女は。
強い残響を、ただ集めている。
理由が、ない。
意味が、ない。
欲しいから、取る。
それだけ。
脳裏に、最後の言葉が蘇る。
「何のためにそんなことしてるの?」
背筋が冷える。
確認だ。
純粋な質問…。
梓は静かに目を閉じる。
今日、守れなかった命。
根石は救う対象ではなかった。
だが、修正できた可能性はあったのか。
答えは、ない。
遠くで、余震が揺れる。
震災は終わっていない。
そして残響も。
梓は八鍵に触れる。
「……私は、修正します」
狩ることも、取り込むこともできない。
直すことしか。
窓の外、夜の街が眠る。
だが確実に、
奪う者と、狩る者と、戻す者は、
同じ舞台に立った。
世界は、まだ壊れきっていない。
だが、
誰が最後に残るのかは、
まだ、誰も知らない。




