第27話 奪う者と狩る者 その8 欺きの刃
炎の匂いが濃くなる。
焼け落ちた町並みの奥で、真刀徳次郎はゆっくりと笑っていた。
背後では、無数の死体が転がっている。
首の角度が不自然に曲がった者、腹を裂かれたまま呻く者、火に包まれながら逃げ場を失った者。
ここは徳次郎の記憶だ。
彼が最も愉しんだ夜の再現。
梓は八鍵を握り直す。
「……修正対象を確定します」
静かに宣言する。
だが声の奥に、緊張が滲む。
徳次郎は刀を傾ける。
《修正? 笑わせるな》
足元の死体が、ずるりと動く。
《ここは我が世だ。貴様らが踏み込む場所ではない》
その瞬間。
徳次郎の身体がわずかに揺らぐ。
目の奥に、別の色が混じる。
《…痛い…痛い…、やめてくれぇ……》
かすれた声。
梓の視線が止まる。
血まみれの顔が、歪む。
《もう悪い…ことはしない……俺が……俺がこわれていく……》
根石健光の声だった。
震えている。
恐怖で涙が滲んでいる。
《アイツが中に……いるんだ……》
刀を持つ手が、力なく下がる。
《俺のからだが……食いつくされて……嫌だ…死にたくない……》
梓の胸が、強く軋む。
残響は、寄生型。
人格を押し潰し、器を奪う。
だが今、根石は確かに苦しんでいるように見えた。
「……戻せます」
梓は一歩踏み出す。
「あなたが残っているなら、修正できます」
八鍵を構える。
状態読み取り。
構造解析。
侵食率の算出。
わずかだが、根石の波形がある。
「遮断系・中。侵食隔離プロトコル――」
その瞬間。
水谷が激しく叫んだ。
「離れろ!!」
短い。
だがはっきりとした警告。
梓は振り向かない。
「まだ、間に合います」
「演技だ!」
水谷は断じた。
徳次郎の口元が、ほんのわずかに上がる。
《かかったなぁ……》
次の瞬間だった。
根石の顔が裂けるように歪み、刀が閃く。
一直線。
狙いは梓の喉。
速い。
梓の解析は、まだ完了していない。
回避が間に合わない。
――だが。
水谷が間に割って入った。
クナイが交差し、刃を受け止める。
金属が悲鳴を上げる。
衝撃が空間を震わせ、水谷の肩口が深く裂けた。
血が飛ぶ。
「……ぐっ!」
炎の中に、鮮やかな赤が飛ぶ。
「……っ!」
梓の息が詰まる。
徳次郎は大きく笑った。
《よくぞ信じたなぁ、祓屋ぁ!》
刀が引き抜かれる。
《甘ちゃんは大好きさぁ!情を餌にすればすぐに隙を見せて命を差し出す!》
根石の声は、もう混じっていない。
完全に徳次郎のものだ。
水谷は片膝をつく。
だが倒れない。
血を流しながらも、刃を構える。
「っ…予想通りです」
声は静かだが苦痛が滲み出る。
「……寄生型は……最後まで謀る」
梓の背筋を冷たいものが走る。
自分の判断が、遅れた。
徳次郎は、楽しんでいる。
《女ぁ、オマエは優しすぎる!》
炎が揺らめく。
空間の温度が上がる。
《それで何もできずに俺に斬られる!》
徳次郎が踏み込む。
速い。
今度は本気だ。
梓は八鍵を振り、構造再結線を試みる。
「制限系・大――」
だが、空間そのものが拒絶する。
ここは徳次郎の深層。
彼の快楽で組まれた世界。
修正は通りにくい。
水谷が傷を押さえながら再び割り込む。
クナイが火花を散らす。
だが負傷し動きが鈍い。
《良い。良いぞぉ!》
徳次郎は陶酔する。
《斬り合いはこうでなくてはなぁ?》
刀が弧を描く。
水谷の腹部に浅い傷が走る。
血が地面に落ちる。
梓の視界が揺れる。
このままでは押し切られる。
修正も滅殺も、届かない。
徳次郎は構え直す。
《次で終わりだ!!》
そのとき。
空間の奥で、何かが軋んだ。
炎の向こうで、空気が歪む。
徳次郎の笑みが、一瞬だけ止まった。
ほんの、わずか。
だが確かに。
梓はそれを見逃さなかった。
何かが、近づいている。
だがそれが何か、まだ分からない。
水谷が血を吐きながら立つ。
「……続け…ます」
短く言う。
梓は頷く。
まだ終わらない。
だが――
この戦場の空気が、変わり始めている。
徳次郎が、初めて小さく眉を寄せた。
《……何だ?》
炎の向こう。
黒い影が、ゆっくりと揺れた。
その正体が現れる前に。
戦場は、張り詰めた沈黙に包まれた。




