第27話 奪う者と狩る者 その1 独房
独房は静かだった。
鉄扉。
湿った壁。
薄い毛布。
死刑囚・根石健光は、壁に背を預けて座っている。
死刑判決から一年。
控訴も終わり、執行日を待つだけの身。
後悔はない。
遺族の顔を思い出す。
泣き叫んでいた女。
震えていた老人。
そのときも、根石は笑っていた。
「どうせ死ぬなら、もっとやっときゃよかったな」
独り言。
だが、その夜。
はじめて声が返ってきた。
《ほう》
低い。
乾いた声。
根石は顔を上げる。
「……誰だ」
《名を持つ者だ》
耳元ではない。
頭の奥だ。
脳の内側に、別の気配が立っている。
《我は真刀徳次郎》
知らない名ではない。
歴史の断片。
江戸の大盗。
「……幻聴か?」
《違う》
否定は静かだった。
《主は死を待つ身。だが死は終わりではない》
根石は鼻で笑う。
「終わりだろ。首が落ちりゃな」
《首など、ただの部品だ》
徳次郎は笑わない。
ただ観察する。
《主は強い。だが浅はかだ》
「はっ?」
《殺しは本能だが、芸ではない》
その言葉に、根石の眉がわずかに動く。
初めて、興味を持った。
「芸だと?」
《主は怒りで斬る。
我は愉悦で斬る》
根石は黙る。
声は誘惑しない。
命令もしない。
ただ、語る。
《死刑は惜しい》
《主はまだ、使える》
「使うだと?」
《観察している》
その言葉に、わずかな違和感が生まれる。
だが根石は気にしない。
「使われる側じゃねえ!俺は奪う側だ」
《そうか》
徳次郎は否定しない。
《ならば、見せてもらおう》
それだけだった。
その夜以降、声は消えない。
だが何もさせない。
根石が食事を取れば、黙っている。
眠れば、黙っている。
ただ、いる。
視線のように。
根石は苛立つ。
「何がしたい!」
《……まだだ》
《機は来る》
機。
その言葉が、頭に残る。
そして二週間後。
地震が来た。
最初は小さく揺れた。
次の瞬間、世界が横に振り切れる。
天井が割れる。
照明が落ちる。
鉄格子が歪む。
叫び声。
警報。
崩落。
根石は床に叩きつけられた。
頭が割れる。
血が流れる。
だが、痛みよりも先に――
《来た》
徳次郎の声が、はっきりと笑った。
《機だ》
鉄格子が曲がる。
歪む。
折れる。
根石は息を荒くする。
「……は?」
腕に、力が入る。
異常なほどに。
《立て》
立つ。
勝手に。
《行け》
足が前に出る。
だが――
根石は、自分が決めたと思っている。
「逃げるぞ!」
そう呟いた。
《そうだ》
徳次郎は肯定する。
だがその声は、どこか遠い。
《主が決めた》
根石は気づかない。
“決断した感覚”が、薄いことに。
瓦礫の隙間を抜ける。
倒れた看守。
血。
混乱。
外の空気。
夜。
根石は笑った。
「自由だ」
《自由だ》
徳次郎が重なる。
だがその瞬間。
根石の影が、わずかに揺らいだ。
輪郭が、ほんの少しだけ薄くなった。
まだ、誰も気づかない。
奪う者が少しずつ侵食している事を……。




