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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)  作者: みえない糸
第3章 修正できなかった世界

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第25話 復旧されるはずのない人間 その5 助かったはずの現実

朝の光は、穏やかだった。


復旧工事の音が、遠くで響いている。

トラックのエンジン音。

作業員の掛け声。

日常が、戻ろうとしている。


森川恵美は、歩道の端に立っていた。


昨夜の出来事が、まだ夢のように感じられる。

徳橋の声。

追いかけられる恐怖。

そして、梓という女性。


「……終わったんですよね」


確認するように、森川は言った。


「はい」


梓は短く答える。


「徳橋聖和は、修正されました。

 もう、あなたを追う存在はいません」


その言葉に、森川は深く息を吐いた。


肩の力が抜け、

その場に座り込みそうになる。


「……よかった……」


声が、かすれる。


「……やっと……」


泣いてはいない。

だが、目の奥が赤い。


「……私、普通に戻れますよね」


梓は、少しだけ間を置いた。


その沈黙は、迷いではない。

順序を選んでいるだけだった。


「森川さん」


梓は、真正面から彼女を見る。


「ひとつだけ、確認させてください」


「……はい?」


「昨日の夜から今まで、

 誰かに触れましたか」


森川は首を振る。


「いえ……

 警察の人にも、あまり近づかれなくて……」


「物を持ちましたか」


「……いえ」


「飲食は」


「水を少し……」


梓は、静かに頷いた。


そして、次の問いを投げる。


「寒さや、痛みを感じましたか」


森川は一瞬考え、首を傾げた。


「……そういえば……

 あまり……」


違和感。


森川自身も、それに気づき始める。


「……でも、怖くて……

 気が回らなかっただけで……」


梓は、八鍵を机の上に置いた。


起動はしない。

ただ、そこに置くだけ。


「森川さん」


声は、優しい。


だが、逃げ道は与えない。


「あなたは、

 いつから“ここにいる”と思っていますか」


森川の表情が、固まる。


「……地震のあと……」


言いながら、言葉が遅れる。


「……あれ……?」


記憶を辿ろうとする。

だが、そこに“境目”がない。


病院。

避難所。

帰宅。


そのどれもが、

繋がっていない。


「……私……」


喉が、鳴る。


「……ちゃんと……

 助けられた、はず……」


梓は、はっきりと言った。


「あなたは、地震の翌日、

 倒壊した集合住宅の中で発見されています」


森川の目が、大きく開く。


「……え……?」


「死亡確認時刻は、午前四時三十二分」


言葉が、空気に落ちる。


「直接の死因は、圧迫による呼吸不全」


森川は、笑おうとした。


「……そんな……」


声が、震える。


「……冗談、ですよね……?」


梓は、首を横に振った。


「行政システムが復旧した際、

 あなたのデータは“生存”として再構成されました」


森川の呼吸が、浅くなる。


《……じゃあ……

 私……今……》


梓は、視線を逸らさない。


「あなたは、

 復旧されるはずのない人間です」


沈黙。


遠くで、クレーンの音が響く。


森川の膝が、崩れた。


《……じゃあ……

 聖和は……》


「徳橋聖和は、

 あなたの死を受け入れられなかった」


梓は淡々と続ける。


「行政システム上の“復旧”に引きずられ、

 残響として発生しました」


森川の唇が、震える。


《……私を……

 連れて行こうと……》


「取り込もうとしていました」


事実を、事実として告げる。


「あなたがこの世界に留まる限り、

 徳橋は完全に消えられなかった」


森川は、顔を覆った。


嗚咽は、出ない。

声も、出ない。


ただ、肩が小さく震える。


《……私……

 生きてるって……

 思って……》


「思うこと自体が、

 残響の影響です」


梓は、静かに言う。


「でも、それはあなたの罪ではありません」


森川は、顔を上げた。


涙が、溜まっている。


《……じゃあ……

 私は……どうなるんですか……》


梓は、答えを用意していた。


「これから、修正を行います」


《……消える……?》


「はい」


迷いのない言葉。


だが、冷たくはない。


「苦しみはありません」


《……誰にも……

 迷惑は……》


「ありません」


梓は、最後に付け加える。


「あなたは、

 ちゃんと“終わります”」


森川は、しばらく黙っていた。


そして、小さく笑った。


《……聖和……

 また、迷惑かけちゃったな……》


梓は、何も言わない。


八鍵を手に取る。


量子暗号札を、一枚。


「制限・小」


空間が、静かに固定される。


「修正・小」


光が、森川を包む。


森川は、梓を見る。


《……ありがとう……》


その言葉は、

“生きている者”のものだった。


次の瞬間、

彼女の輪郭が、薄れていく。


恐怖はない。

悲鳴もない。


ただ、

安堵した顔のまま、消える。


空間が、元に戻る。


誰もいない歩道。


風だけが吹いている。


梓は、その場にしばらく立っていた。


電話が鳴る。


『……終わったか』


高峰修一の声。


「はい」


『被害者は』


「……修正しました」


短い沈黙。


『そうか』


それ以上、聞かない。


「……行政の復旧ログ、

 まだ不安定です」


梓は言う。


「同じような“復旧”が、

 また起こる可能性があります」


『ああ……

 地震は、世界を揺らすだけじゃない』


高峰は低く言った。


『境界も、だ』


通話が切れる。


梓は、街を見渡す。


復旧される建物。

復旧されるシステム。

復旧される日常。


だが――

人間は、復旧されてはならない。


それを守るのが、

祓屋の仕事だ。


梓は歩き出す。


次の“復旧されるはずのない存在”を、

修正するために。


物語は、静かに続いていく。

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