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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)  作者: みえない糸
第3章 修正できなかった世界

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第25話 復旧されるはずのない人間 その4 修正対象

夜の街は、復旧途中の傷をまだ隠しきれていなかった。


仮設照明が作る白い光は、影を不自然に引き伸ばす。

割れた歩道、歪んだ信号機、補修された外壁。

どれも「戻ったようで、戻っていない」風景だ。


森川恵美は、梓の少し後ろを歩いていた。


足取りは慎重だが、恐怖にすくんでいる様子はない。

むしろ、どこか“追われることに慣れてしまった人間”の歩き方だった。


「……ここで、間違いないんですね」


小さな声。


梓は頷く。


「最後に確認されたのが、この通りです」


徳橋聖和――

一週間前に死亡したはずの男。

行政システム上では「生存」。

銀行口座は動き、防犯カメラには映り、公共施設の利用履歴まで残っている。


そして、

森川を追っている。


「……彼は、何を……」


森川が言いかけて、言葉を飲み込む。


梓は答えない。

答える必要がないからだ。


残響は、説明されることで形を強める。

今はただ、修正するだけでいい。


八鍵を握る。


端末が低く共振し、

周囲の音が一段階、遠のいた。


世界の解像度が、落ちる。


――来ている。


街灯の影が、不自然に揺れた。


影の中心から、

「人の形」が滲み出す。


徳橋聖和。


服装は、生前と同じ。

髪も整っている。

怪我の痕もない。


だが――

足元が、地面に触れていない。


数センチ浮いたまま、

滑るように近づいてくる。


《……恵美》


声は、優しい。


森川の肩が跳ねる。


「……来ないで……」


徳橋は、傷ついたように眉を下げた。


《どうして……》


《迎えに来ただけだよ》


迎えに。


その言葉に、

空気が歪む。


梓は一歩前に出た。


「止まりなさい」


声は、低く、しかし明瞭だった。


徳橋の視線が、初めて梓に向く。


《……誰だ》


「関係ない」


梓は淡々と告げる。


「あなたは、もう彼女に触れられない」


徳橋の表情が、歪んだ。


怒りではない。

悲しみでもない。


――焦燥。


《……また、邪魔するのか……》


言葉の端々に、

“繰り返されてきた何か”の気配が滲む。


徳橋の輪郭が、揺らいだ。


空気が、冷える。


街灯が一斉に瞬き、

周囲の音が消える。


残響空間への侵食が始まる。


「森川さん」


梓は振り返らずに言う。


「ここから先は、

 私の声だけを信じてください」


「……はい……」


返事は、かろうじて。


徳橋が、腕を伸ばした。


空間が歪み、

指先が異様に長く引き延ばされる。


触れれば――

引きずり込まれる。


梓は量子暗号札を一枚、放った。


空中で札が展開し、

光の幾何学が空間を固定する。


「遮断・小」


祓詞が、淡く響く。


徳橋の動きが、止まった。


《……どうして……》


声が、ひび割れる。


《どうして……

 連れて行けない……》


梓は、彼を見る。


そこにあるのは、

純粋な“執着”だった。


「あなたは、もう終わっています」


徳橋の目が見開かれる。


《……嘘だ》


《俺は……

 ちゃんと……》


言葉が、崩れる。


感情が暴走し、

残響が肥大化する。


街が、歪む。


ビルの壁が溶け、

道路が波打つ。


《……全部……》


徳橋の声が、重なる。


《全部……戻るはずだった……!》


梓は、八鍵を構え直した。


「中和・中」


祓詞と共に、

光が徳橋を包む。


彼の輪郭が、徐々に薄れていく。


《……恵美……》


最後に、森川を見る。


その視線は、

確かに“恋人”のものだった。


《……ごめん……》


その瞬間、

徳橋の表情が変わった。


気づいたのだ。


――自分が、何になっているのか。


《……ああ……》


声が、崩れる。


《……俺……》


梓は、祓詞を続ける。


「修正・完了」


徳橋の身体が、光の粒子に分解される。


逃げない。

抵抗しない。


ただ、

その場で消えていく。


残響空間が、静かに収束する。


街灯の光が戻り、

音が帰ってくる。


世界は、何事もなかったように“復旧”した。


森川が、崩れ落ちる。


「……終わった……」


震える声。


「……本当に……」


梓は、頷いた。


「もう、大丈夫です」


その言葉を聞いた瞬間、

森川の表情から、張り詰めていたものが抜け落ちた。


安堵。


救われたという確信。


日常に戻れるという期待。


梓は、それを否定しない。


ただ、

その顔を正面から見つめる。


梓は静かに、八鍵を下ろした。


修正は、終わっていた。


だが――

この事件は、まだ終わっていない。

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