第24話 職務に殉ずる者 その5 報告書に残らない名
夜明け前の空は、まだ震災の色をしていた。
街灯に照らされた瓦礫は白く、粉塵は霧のように漂っている。
救援車両の回転灯が、規則的に影を刻み、街は眠れないまま呼吸を続けていた。
真名井梓は、救援エリアの外れに立っていた。
八鍵はすでにケースに収められている。
量子暗号札の残骸は、回収済み。
祓詞のログは、最低限だけ記録して封じた。
――いつも通りだ。
それでも、胸の奥に残る違和感は消えない。
「……難しい案件だったな」
背後から声がした。
高峰修一だった。
ヘルメットを脱ぎ、額の汗を拭っている。
「警察の報告書には“過労による集団体調不良”でまとめる。
死者は……二次災害による殉職。
それ以上は書けない」
「書かなくていいです」
梓は静かに答えた。
「書いたところで、誰も救われません」
高峰は少しだけ笑った。
「相変わらずだな。
割り切りが早い」
「早くありません」
梓は空を見る。
「……慣れただけです」
高峰は、それ以上踏み込まなかった。
彼は知っている。
この仕事を“理解”しようとした者から、壊れていくことを。
「田崎には、どう説明したらいい?」
「……彼は、分かってます」
梓は答えた。
「自分が見送った、ということも」
高峰は頷いた。
「同期ってのは、厄介だな」
「はい」
少しの沈黙。
その間に、救援隊が次の現場へ移動していく。
誰も立ち止まらない。
世界は前に進む。
それが正しいからではない。
止まれないからだ。
「――で」
高峰が声を落とした。
「今回の“正体”だが……
俺の線では、これ以上は追えない」
「十分です」
「……残響だな」
梓は、否定しなかった。
「死んだはずの小隊長が、現場を指揮していた。
しかも、助けた人間に恐怖を与えていない。
善意だけで動いていた」
高峰は、苦く笑った。
「一番、厄介なタイプだ」
「はい」
梓は即答した。
「壊す理由が、どこにもない
……それでも、修正した」
「はい」
「正しかったか?」
梓は、少し考えた。
そして、首を振った。
「分かりません」
高峰は、意外そうに目を細めた。
「迷いが出てきたか」
「……」
梓は、答えない。
迷いではない。
責任だ。
「小川哲也は、最後まで“指揮官”でした」
梓は言った。
「だから、修正しました」
高峰は深く息を吐いた。
「……報告書には書けないが」
ポケットから煙草を出し、火をつける。
「敬礼だけは、残しておく」
「?」
「現場にいた全員が、同時に敬礼した。
理由は“分からない”で通す」
高峰は煙を吐いた。
「それでいいだろ」
梓は、小さく頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼を言われることじゃない」
高峰は背を向ける。
「……また、連絡する」
その背中を見送りながら、梓は通信端末を取り出した。
画面に表示される名前。
中森安行。
通話を繋ぐ。
『……終わったか』
低く、掠れた声。
「はい」
『回収は』
「ありません。
残穢も出ていません」
『……そうか』
一瞬、沈黙。
『いい案件だったな』
「……はい」
梓は、少しだけ間を置いてから言った。
「中森さん」
『なんだ』
「……結衣なら、どうしたと思いますか」
通話の向こうで、息を吐く音がした。
『……あいつか』
少し、間。
『多分な』
『最後まで使い切る前に、
自分で止めただろうな』
梓の指が、わずかに震える。
「……そう、思います」
『あいつは、滅殺する祓屋だったが』
中森の声は、どこか遠い。
『誰よりも“終わらせ方”を考える女だった』
梓は、黙って聞いていた。
『……今回は、お前の仕事だ』
「はい」
『また連絡する』
それだけ言って、通話は切れた。
梓は端末を下ろし、深く息を吐いた。
瓦礫の向こうで、朝日が昇り始めている。
赤く染まる空。
粉塵が光を反射し、街がゆっくりと目を覚ます。
救われた人々がいる。
失われた命もある。
そして、報告書には残らない指揮官が、確かにここにいた。
「……行きましょう」
誰にともなく、梓は呟いた。
修正は終わった。
だが、残響は消えない。
世界が壊れ続ける限り、
祓屋の仕事も終わらない。
真名井梓は、ケースを肩にかけ、
再び街の中へ歩き出した。
その背中を、
誰も知らない敬礼が、静かに見送っていた。




