第24話 職務に殉ずる者 その3 指揮官は瓦礫の上に立つ
瓦礫の街は、音が多すぎた。
重機の低音。金属が擦れる音。無線の交信。遠くで誰かが泣いている声。
それらが混ざり合い、街全体が一つの巨大な装置のように唸っている。
それでも——
真名井梓が現場に足を踏み入れた瞬間、はっきりと分かる違和感があった。
(……静かすぎる)
音がないわけじゃない。
だが、恐怖のノイズがない。
瓦礫の現場に必ずあるはずの、切迫した感情の乱流。
祈り、焦燥、怒り、諦め。
それらが、異様なほど整列している。
「こちら真名井。現場入りました」
イヤーカフに小声で告げる。
『了解だ。無理はするな』
高峰修一の声。
珍しく、少し硬い。
梓は歩きながら、量子暗号札を一枚、指の間で滑らせた。
札は反応しない。
残響はある。だが、攻撃的ではない。
(……守ってる?)
違和感が、確信に近づく。
瓦礫の前で、小隊が動いていた。
疲弊しているはずの隊員たちが、的確に役割を分担し、淡々と作業を進めている。
その中心に——
いた。
腕を組み、地図を見下ろす男。
自衛隊の救援服。
背筋は伸び、姿勢に無駄がない。
声は落ち着いている。
《次は三番。二分で崩す。慎重に行け》
梓は、足を止めた。
(……見える)
はっきり見える。
存在感もある。
なのに——
周囲の何人かは、彼を見ていない。
視線が、自然に彼を避ける。
声だけを受け取り、姿を認識していない。
(……完全じゃない)
梓は、八鍵を軽く握った。
解析層を起動する。
視界が、わずかに歪む。
世界が「二重」に見えた。
現実の瓦礫。
その上に重なる、薄い別の構造。
そこに、男は縫い留められている。
(……残響)
だが、今まで見てきたどれとも違う。
怒りもない。
恨みもない。
飢えもない。
あるのは——
責任。
「……小川、隊長?」
隊員の一人が声をかける。
男は即座に応じた。
《ああ。無理はするな。水を取れ》
その言葉に、隊員の肩がわずかに緩む。
(……守ってる)
梓は理解した。
この残響は、人を壊さない。
むしろ——
人を守るために、ここに留まっている。
だが、それは長く続かない。
量子暗号札が、かすかに震えた。
(……侵食が始まってる)
隊員たちの背後。
薄く、歪んだ影が伸びている。
それは小川の影ではない。
小隊全体の影だ。
「……やりすぎです」
梓は、男に近づいた。
距離、三歩。
男が顔を上げる。
目が合った。
その瞬間、梓は確信した。
(……知ってる)
この人は、自分が死んでいることを知っている。
「あなた、ここに居続けるつもりですね」
男は、少しだけ眉を下げた。
《……誰だ》
「祓屋です」
その言葉に、男の視線が揺れた。
《……そうか》
否定も、驚きもない。
《なら、分かるだろう》
男は言った。
《ここには、まだ人がいる》
「はい」
《俺がいなくなれば、判断が遅れる》
「……はい」
《遅れれば、死ぬ》
その論理は、正しい。
だからこそ——
残酷だった。
「隊員が壊れます」
梓は、静かに言った。
男の表情が、わずかに曇る。
《……分かっている》
《でも止まれない》
その言葉に、残響の濃度が一段階、上がった。
瓦礫の下から、低い呻きが漏れる。
隊員の一人が、頭を押さえて膝をついた。
「……っ、耳が……!」
男が振り向く。
《……どうした》
声に、焦りが混じる。
(……限界が近い)
梓は、八鍵を起動した。
「修正、開始します」
男が、首を振った。
《待て!》
「待てません」
梓は、はっきり言った。
「あなたは正しい。でも——」
一歩、踏み出す。
「正しさだけでは、人は救えない」
男の影が、歪む。
瓦礫が、きしむ。
残響空間への境界が、開き始めた。
隊員たちの足元が、沈む。
《……やめろ》
男の声が、低くなる。
怒りではない。
恐怖だ。
《俺が、いなくなったら……!》
梓は、視線を逸らさなかった。
「その先は、あなたの仕事じゃありません」
量子暗号札を、一枚、宙に切る。
「あなたの役目は、終わっています」
男の口が、開く。
言葉が出る前に——
世界が、裏返った。
瓦礫は、闇に溶け。
救援灯は、星のように遠ざかる。
残響空間が、完全に展開した。
男は、そこに立っていた。
死んだ指揮官としてではなく、
責任を背負ったままの一人の人間として。
《……俺は……》
男の声が、震える。
《俺は、最後まで……》
梓は、一歩、近づいた。
「ええ」
静かに言う。
「だからこそ、修正します」
祓詞の入力を開始する。
——これは削除じゃない。
——隔離でもない。
引き渡しだ。
(……次は、選べます)
そう、心の中で告げながら。
梓は、修正の深層へ踏み込んだ。




