第24話 職務に殉ずる者 その1 白い現場
第24話 職務に殉ずる者 その1 白い現場
瓦礫の夜は、白かった。
粉塵が光を散らし、投光器の照射範囲だけが現実の輪郭を保っている。崩れた建物の影はすべて薄く、まるでこの街が一度“消去”され、簡易的に再描画されたように見えた。
桑谷陽子は、その白い夜の底で仰向けになっていた。
背中に硬い感触がある。コンクリートか、鉄骨か、判断できない。ただ冷たく、動かない。左肩が痺れ、右足が思うように動かない。だが、痛みは奇妙なほど抑えられていた。
(……生きてる)
それだけは分かる。
呼吸はできている。視界もある。意識もはっきりしている。だからこそ、異様だった。地震の直後に想像していた「混乱」や「恐怖」が、どこか他人事のように遠い。
耳鳴りが、微かに続いている。
高い音ではない。低く、規則的な、一定の間隔を保った音。機械音に近い。心拍とは違う。
「……誰か……」
声を出すと、粉塵が喉に触れた。だが咳き込むほどではない。声は思ったより通る。
「こちら、救助隊。声、確認しました」
すぐに返答があった。
男の声。落ち着いていて、疲労の色がない。過度に優しくもなく、命令的でもない。現場に最適化された声だった。
光が差し込む。
瓦礫の隙間から、まっすぐな白色灯が入ってくる。影の向こうに、迷彩服の男が立っていた。ヘルメット、装備、腕章。自衛隊だと一目で分かる。
「桑谷陽子さんですね」
名前を呼ばれて、胸が緩んだ。
「……はい」
「安心してください。すぐ出します。動けますか」
「……足が……」
「分かりました。無理に動かないで」
男はそう言って、周囲に短く指示を飛ばした。
「支点確保。瓦礫、右に流す。焦るな」
声が飛ぶたび、周囲が滑らかに動く。瓦礫が持ち上がり、固定され、撤去される。誰も怒鳴らない。誰も戸惑わない。異様なほど連携が取れている。
(……すごい)
それが最初の感想だった。
救助は丁寧だった。身体を引きずられることもない。固定具が入り、体勢を整え、負荷を分散させながら少しずつ引き上げられる。
痛みはあるが、想像していた“恐怖”はない。
男は終始、一定の距離を保ち、必要以上に触れない。
「呼吸、安定しています。大丈夫」
「……ありがとうございます」
「小川、この隊の小隊長です」
名乗りは簡潔だった。
その瞬間、陽子は理由もなく「安心していい」と思った。肩書きや階級ではない。声と立ち姿が、そう思わせた。
地上に引き出される。
夜風が肌を撫で、粉塵の匂いが薄れる。投光器の光の下で、救助隊が忙しなく動いている。担架、医療班、無線。すべてが“正しい現場”だった。
「こちら医療に引き継ぎます」
小川が言う。
「まだ救助者がいます。私は戻ります」
その言葉に、陽子は一瞬だけ引っかかった。
「……休憩されないのですか……?」
無意識の問いだった。
小川はほんのわずか、首を振った。
「今は必要ありません」
それだけだった。
表情は穏やかだった。声も変わらない。だが、その言葉には“選択肢がない”響きがあった。
小川は背を向け、瓦礫の方へ戻っていく。
その背中を見送る陽子の胸に、言葉にできない感覚が残った。
(……この人、疲れてない)
長時間、瓦礫の中で指示を出し、作業をし、救助を続けているはずなのに、呼吸が乱れない。動きに淀みがない。汗も少ない。
周囲の隊員たちは違った。
顔色が悪い。目の下に隈がある。動きが重い。それでも、士気は異様に高かった。
「次、いけます!」
「まだやれます!」
「小隊長、東側クリアです!」
声が途切れない。誰も弱音を吐かない。明らかに限界に近いはずなのに、撤退の気配がない。
(……おかしい)
陽子は担架の上で、ゆっくりと周囲を見回した。
医療班の一人が、こちらを見て小さく眉をひそめた。陽子の視線ではない。瓦礫の向こうを見ている。
「……さっきの小隊長、どこ行きました?」
医療班の声は低かった。
「え……?」
「いや……」
その男は言葉を濁し、首を振った。
「何でもないです」
だが、その視線は戻らなかった。
陽子は再び瓦礫の方を見る。
投光器の白い光の中で、小川は確かにそこにいた。隊員に指示を出し、瓦礫を指差し、次の救助地点へ歩いていく。
なのに――
その姿が、なぜか“薄い”。
影が弱い。光に対して、存在感が合っていない。まるで映像のコントラストを少し下げられたみたいに、背景に溶けかけている。
耳鳴りが、少し強くなった。
規則的な音。
救助灯の唸りとは違う。無線とも違う。もっと内側から響く音。
(……何だろう)
恐怖ではない。
ただ、説明できない違和感。
陽子は目を閉じ、深呼吸をした。
生きている。助かった。怪我も致命的ではない。家族にも連絡が取れるだろう。すべてが「良い結果」に向かっている。
なのに。
この夜が終わらない気がした。
小川の声が、瓦礫の向こうから響く。
「次、行くぞ。まだ残っている」
その声に応えるように、疲弊した隊員たちが一斉に動き出す。
誰も疑問を口にしない。
誰も止まらない。
白い現場で、救助は続いていく。
完璧で、正しくて、止まる理由のない救助が。
そして桑谷陽子は、担架の上で確信する。
(……この人は、悪くない)
(でも――)
(このままじゃ、誰かが壊れる)
夜は、まだ終わらない。
瓦礫の奥で、次の声が待っている。
そして小川は、それを聞き逃さない。
決して。




