第23話 復讐の果てに… エピローグ
大聖堂は、静まり返っていた。
祈りの残滓も、光も、すでに消えている。
崩れた神域の痕跡だけが、床の冷たさとして残っていた。
梓は、結衣を抱いていた。
軽い。
だが、それは肉体の重さだけではない。
結衣の肌は、異様なほど白かった。
血の気はなく、体温もない。
呼吸は――ない。
胸は動かず、
喉元にも、微かな震えすら残っていなかった。
瞼は閉じられたまま。
指先も、完全に力を失っている。
梓の喉が、詰まる。
「……結衣……」
呼びかけても、返事はない。
分かっている。
分かっているのに、声が止まらない。
顔を覗き込む。
その表情は、穏やかだった。
苦しみも、怒りも、そこにはない。
まるで――
やるべきことをすべて終えた人間の顔だった。
「……あなたが……」
声が、震える。
「……あなたが、やりたかったことは……」
言葉が、続かない。
涙が、頬を伝う。
「……満足だったんですか……」
返事はない。
「……私は……」
唇を、強く噛みしめる。
「……あなたに、生きてほしかった……」
声にならない嗚咽が、漏れた。
梓は、結衣を強く抱きしめた。
離せば、二度と戻らない気がして。
――
足音が、背後で止まった。
複数人分の、重い足音。
振り返るより先に、気配で分かる。
中森安行だった。
その後ろに、影のような配下が数人立っている。
誰も表情を見せない。
中森は、梓と結衣を一瞥した。
「……出し切ったな」
低い声だった。
感情を抑えた、事実確認の声。
梓は、何も言えない。
中森は続けた。
「灼滅は二度…
本来使えるはずがねぇ」
淡々とした断定。
「……返して……」
梓の声は、掠れていた。
「……この人を……」
中森は、首を横に振った。
「無理だ」
即答だった。
「ここに置けねぇ。
――この死に方は、現実に残せねぇ」
梓は、首を振る。
「……嫌です……」
「……お願いです……」
中森は、ほんの一瞬だけ黙った。
その沈黙は、ためらいではない。
計算だ。
「……真名井」
名前を呼ばれる。
「こいつは、俺が引き取る」
配下に視線を送る。
無言で近づく影。
「……やめて……!」
梓は、結衣を抱いたまま動かなかった。
だが――
力が、残っていない。
中森の配下が、静かに結衣の身体を受け取る。
梓の腕から、
ゆっくりと、
確実に引き剥がされていく。
「……結衣……!」
名前を呼ぶ。
返事はない。
中森は、最後に一言だけ言った。
「……使い切ったな」
それが、評価だった。
そして、弔辞だった。
中森と配下は、結衣を抱えたまま、
闇の奥へと消えていった。
足音が、遠ざかる。
完全に、消える。
――
その直後だった。
大聖堂の扉が、激しく開かれる。
「警察だ!」
複数の声。
ライトの光が、空間を切り裂く。
現実が、流れ込んでくる。
梓は、その場に座り込んでいた。
腕は、空を抱いたまま。
何もない。
「……真名井」
聞き覚えのある声。
高峰修一だった。
駆け寄ってくる。
周囲の捜査官が、距離を取る。
梓は、顔を上げた。
「……いません……」
声が、壊れている。
「……結衣は……」
言葉にならない。
高峰は、梓の前に膝をついた。
何も聞かない。
何も言わない。
ただ、肩に手を置く。
それだけで、梓は崩れた。
「……間に合わなかった……」
「……私が……」
高峰は、抱き寄せた。
強くはない。
逃げない程度に。
「……よく、生きてた」
それだけ言った。
それ以上の言葉は、
この場には存在しなかった。
――
夜明け。
大聖堂は、封鎖された。
事件として処理される。
名前の残らない事件として。
梓は、外に立っていた。
空を見上げる。
朝は、何事もなかったように訪れている。
祈りは、今日も生まれる。
神になれなかった祈りも、またどこかで息をする。
物語は、終わっていない。
ただ――
佐々木結衣という刃は、
この夜、完全に折れた。
そして、
誰にも知られない場所へ運ばれていった。
梓は、拳を握りしめる。
涙は、もう出なかった。
代わりに、
胸の奥に、静かな決意だけが残っていた。
――生きる。
それが、
結衣が残した、最後の命令だった。




