第23話 復讐の果てに… その5 重なれば、並ぶ
結衣の膝が、床に落ちた。
音は、ほとんど聞こえなかった。
神域に満ちる祈りが、音そのものを呑み込んでいる。
指先の感覚が、薄れていく。
八咫刀・滅を握っているはずなのに、
刃の重さが、遠い。
心臓の奥で、鈍い音が鳴った。
――ひび割れ。
それが増えたのが、はっきり分かった。
胸の中心から、放射状に。
息を吸うたび、
身体の内側で何かが削られていく。
天草四郎は、まだ立っている。
衣は焼け、光は揺らいでいるが、
その姿勢に崩れはない。
《……無駄です》
穏やかな声だった。
《あなたの時間は、もう残っていない》
結衣は、顔を上げた。
視界が滲む。
涙ではない。
神域に満ちた光が、網膜を焼いている。
「……分かってる……」
声は、掠れていた。
「……それでも……」
八咫刀・滅を握りしめる。
それだけで、全身が悲鳴を上げた。
天草四郎は、一歩近づいた。
《なぜです》
問いは、淡々としていた。
《復讐ですか》
結衣の脳裏に、兄の顔が浮かぶ。
静かに微笑んでいた横顔。
危ないことをしていると知りながら、
最後まで、止めなかった人。
「……それもある……」
声が、震える。
「……でも……」
言葉が、続かない。
天草四郎は、結衣を見下ろした。
《人は、意味を求める》
《だから、私は神になる》
結衣の喉が、熱くなる。
「……奪われたまま……」
「……終わるの……」
声にならない。
天草四郎は、結衣の前に立った。
《あなたは、正しい刃でした》
それは、祝福だった。
《だから、ここで終わりです》
結衣に影が落ちる。
その瞬間。
空間が、僅かにズレた。
神域の祈りの流れに、
ありえない“隙間”が生じる。
天草四郎の動きが、止まる。
《……!?》
静かな声が、空間に落ちた。
「……一人で行く、とは言いませんよね」
結衣の背後。
振り返らなくても、分かった。
「……来るな……」
掠れた声。
梓は、答えなかった。
ただ、少し間を置いて言う。
「それでも」
結衣の指が、八咫刀を強く握る。
「……今さら……」
梓の声は、低く、揺れない。
「重なれば、並びます」
結衣は、一瞬だけ視線を逸らし、
すぐに戻した。
「……好きにすれば」
拒絶ではない。
了承でもない。
だが、
それで十分だった。
梓は、結衣の隣に立った。
前にも、後ろにもならない。
並んだ。
天草四郎が、二人を見た。
《……祓屋ですか》
「ええ」
梓は短く答える。
「壊しに来たわけじゃありません」
梓は、結衣を見た。
「……選択を、重ねに来ました」
祓詞が、梓の口から溢れる。
それは、結衣の灼滅を否定しない祓詞。
抑制。
補正。
逸脱を防ぐための、静かな干渉。
結衣の八咫刀・滅が、再び鳴いた。
赤雷が走る。
だが、今度は違う。
赤の中に、
金色の光が混じる。
結衣の呼吸が、乱れる。
「……梓……」
「……続けてください」
それだけ。
最後の灼滅が、放たれた。
赤雷と金光が、重なり合い、
無数の稲妻となって天草四郎を貫く。
《……ありえない!……》
天草四郎の声が、揺れた。
《…わたしは…あなたの導きに……従ったはず……》
光が、身体を焼く。
《……神になると……約束して……!》
叫びは、祈りにならなかった。
金色の雷が、
天草四郎を完全に焼き尽くす。
神域が、崩壊を始める。
結衣の身体が、限界を迎えた。
全身に走るヒビが、
砕け散りそうになる。
「……っ……」
崩れ落ちる身体を、
梓が受け止める。
「……終わりました」
それだけ言って。
結衣の意識が、
静かに闇に沈む。
――
現実世界。
静まり返った大聖堂。
結衣は、梓の腕の中で動かない。
死人のように白い肌。
生気を感じない。
だが、
その表情は、穏やかだった。
梓は、何も言わない。
涙だけが、
結衣の頬に落ちた。




