第23話 復讐の果てに… その4 神に届いた刃
光が、重い。
天草四郎がそこに立っているだけで、空間が沈む。
結衣の足元の床は、もはや石ではない。
祈りを圧縮した粘土のように沈み込み、踏みしめるたびに歪む。
息を吸う。
肺に入った空気が、焼ける。
呼吸をするたび、体内で何かが削り取られていく感覚があった。
酸素ではない。
生きているという前提が、祈りに変換されて消費されている。
「……っ」
結衣は歯を食いしばり、八咫刀・滅を振り抜いた。
赤雷が走る。
刃が空間を裂き、神域にひびを入れる。
だが、その裂け目は一瞬で塞がった。
まるで、傷つくことを拒否する生き物のように。
「……効かない……」
呟いた瞬間、天草四郎の姿が消えた。
次の瞬間、背後。
結衣は反射的に身を捻る。
遅れた。
衝撃。
見えない圧力が、肋骨を叩き潰す。
「……っ、は……!」
床を転がり、喉から血がこみ上げる。
視界が白く弾け、音が遠のく。
立ち上がろうとして、脚が言うことを聞かない。
力が入らない。
心臓の奥で、鈍い音が鳴った。
――また、増えた。
ヒビが、確実に増えている。
天草四郎は、ゆっくりと歩いてくる。
《あなたは、よく耐えています》
その声には、嘲りも怒りもない。
ただ、事実を述べているだけだった。
《信仰を持たぬ者ほど、
祈りの圧には弱いはずなのに》
結衣は、口の中に溜まった血を吐き捨てる。
「……黙れ……」
《黙りません》
天草四郎は首を傾げる。
《あなたは、私に近い》
その言葉に、結衣の肩が僅かに揺れた。
《失ったものがあり、
奪われた時間があり、
それでも前に進むしかなかった》
結衣の脳裏に、兄の背中が浮かぶ。
資料を抱え、夜遅くまで机に向かっていた姿。
振り返った時の、少し困ったような笑顔。
「……違う……」
《同じです》
天草四郎は静かに言った。
《あなたも、選ばれなかった側だ》
結衣は叫ぶように立ち上がった。
「私は……!」
赤雷が、再び刀身を走る。
「お前とは違う……!」
斬撃が、天草四郎の肩を掠めた。
光が弾け、神域が一瞬揺らぐ。
――手応え。
だが、それは“切った感触”ではなかった。
《……惜しい》
天草四郎の肩の傷は、すでに消えていた。
《祈りの量が、足りません》
次の瞬間、結衣の視界が反転した。
上下が分からなくなり、床に叩きつけられる。
背中に走る激痛。
息が、完全に止まる。
「……っ……」
声にならない。
天草四郎は、結衣の上に立ち、見下ろした。
《あなたの刃は、正しい》
それは、祝福だった。
《だからこそ、ここで折る必要がある》
結衣の首元に、指がかかる。
触れられただけで、皮膚の内側が軋む。
「……やめ……ろ……」
《やめません》
指が、締まる。
視界が暗くなり、耳鳴りがする。
《あなたは、人のままでいられない》
天草四郎の声が、遠くで響く。
《刃を振るい続けた者の、末路です》
意識が、遠のく。
その瞬間。
天草四郎の動きが、僅かに止まった。
結衣の顔を、覗き込む。
苦痛に歪んだ表情。
歯を食いしばり、涙を堪え、
それでも視線を逸らさない目。
――見たことがある。
胸の奥で、異物が疼いた。
机。
紙束。
静かに資料を読み解いていた青年。
祈りではなく、事実を追っていた人間。
《……?》
天草四郎の指の力が、僅かに緩む。
その一瞬。
結衣は、全身の力を振り絞った。
「……今だ……!」
八咫刀・滅が、唸りを上げる。
赤雷が、爆ぜた。
「――祓詞・灼滅!!」
祓詞が、世界を焦がす。
赤い雷光が、天草四郎を正面から貫いた。
神域が、悲鳴を上げる。
だが。
その代償は、即座に現れた。
結衣の心臓から、音を立ててヒビが走る。
胸。
腹。
腕。
脚。
全身に、蜘蛛の巣状の亀裂が走る感覚。
「……っ、ぁ……!」
立っていられない。
膝をつき、床に手をつく。
指先が震え、感覚が薄れる。
天草四郎は、後退しながらも、まだ立っていた。
衣は焦げ、光が揺らいでいる。
《……なるほど……》
微笑が浮かぶ。
《それが、あなたの答えですか》
結衣は、顔を上げた。
涙が、止まらない。
「……まだ……」
声が、震える。
「……終われない……!」
立ち上がろうとして、脚が崩れる。
時間が、尽きかけている。
身体が、限界を超えている。
それでも。
結衣は、八咫刀を握りしめた。
その背後で、
世界が、軋み始めていた。




