表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)  作者: みえない糸
第2章 殺すことを選んだ祓い

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

123/150

第22話 帰れない場所 その2 家族を知った怪物

 兄の姿だったものが、音もなく崩れ落ちた。


 皮膚が剥がれ、肉が歪み、骨の配置が狂っていく。

 人として成立していた輪郭がほどけ、その奥から押し出されるように、別の形が現れた。


 家が軋む。


 柱が裂け、畳がめくれ、床下から湿った土が滲み出す。

 生活の匂いは腐り、湯呑みは砕け、新聞の文字は黒い染みになって床に落ちた。


 そして――鳴き声。


 腹の底を震わせる、牛の鳴き声。


 結衣の鼓膜が震え、内臓が冷えた。


 人の胴体に、牛の頭。

 異様に発達した肩。

 血管が浮き上がった角。


 牛鬼は、ゆっくりと立ち上がった。


 だが、その目は獣のものではない。

 結衣を値踏みする、人間の目だった。


《……斬ったか》


 低く、重い声。

 怒りではない。確認する声。


《よく斬った!》


 結衣は、息を詰めた。


《だが、それで終わると思ったか!》


 牛鬼は一歩、前に出た。

 地面が沈み、土と血の臭いが濃くなる。


《家族というのはな》


 その言葉に、結衣の指が強張った。


《守りたいと願った瞬間から、もう縛りだ》


 牛鬼は、角をわずかに揺らした。


《私は、それを知っている》


 視界が、一瞬だけ歪む。


 焼けた城。

 泣き叫ぶ村人。

 信仰を迫る声。

 誓詞を破れと叫ぶ声。


《私は――有家 監物(ありえ けんもつ)


 名が、はっきりと告げられた。


 空気が張りつめる。

 残響が、自らの核を言語化した瞬間だった。


有馬 晴信(ありま はるのぶ)に仕え、主と共に信仰を選び》


 角が、軋む。


《主は斬られた》


 声に感情はない。

 だが、そこには切断された歴史がある。


《私は、生き延びた》


 その言葉は、静かだった。


《妻がいた。子がいた。村があった》


 結衣の胸に、鈍い痛みが走る。


《だから、転んだ》


 棄教。

 生存の選択。


《信仰を捨てた。そうすれば、守れた》


 人影が、周囲に立ち上がる。

 農具を持つ者。子を抱く女。怯える老人。


《村を率いた》


《民を導いた》


《殺された者もいる》


《救えなかった者もいる》


 牛鬼は、言葉を区切った。


《だが、生きた》


 その一言に、歪んだ誇りが滲む。


《信仰とは、便利なものだ》


 有家監物は言った。


《捨てれば、生きられる》


《拾えば、死ねる》


 角が、天井を突き破る。


《集まれば、力になる》


 結衣の背後に、無数の影が生まれた。

 祈り。恐怖。怒り。

 それらが混ざり合い、一つの“正しさ”になる。


《守るために、殺した》


《救うために、縛った》


 結衣の脳裏に、兄の顔が浮かぶ。

 血に染まった床。

 両親の声。


「……黙れ」


 結衣の声が、震えた。


「私と一緒にするな!」


 八咫刀・滅を構える。

 刃が赤く脈動する。


 有家監物は、笑った。


《匂いが同じだ》


《お前も、守るために斬っている》


 結衣は踏み込んだ。


 斬撃。

 赤雷が走る。


 確かに、斬った。


 だが――止まる。


 刃が、肉に噛み込まれる。

 筋肉が、刃を拒む。


「……っ」


 角が振り下ろされた。


 衝撃。

 結衣の身体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。


 息が抜け、視界が白く弾けた。


 立とうとした瞬間、足元が沈む。


 血と土が混じった地面。

 動きが、奪われる。


《村とは、こうして作られる》


 有家監物が、ゆっくりと迫る。


《恐怖を混ぜ、祈りを踏み固める》


 角が迫る。


 結衣は転がった。

 だが、避けきれない。


 肩を掠める。

 骨が軋み、激痛が走る。


 腕が上がらない。


 有家監物の影が、覆いかぶさる。


《お前も、いずれ分かる》


《斬る理由が、祈りに変わる瞬間を》


 結衣は、悟った。


 ――勝てない。


 技量の問題じゃない。

 覚悟でもない。


 有家監物は、斬られることを織り込んだ上で立っている。


 通常の斬撃では、削るだけだ。

 時間をかければ、確実に殺される。


 結衣の脳裏に、浮かぶ言葉。


 ――灼滅(しゃくめつ)


 一度きり。

 使えば、死ぬかもしれない。


 だが、使わなければ、ここで終わる。


 有家監物の角が、振り下ろされる。


 結衣は、刃を地面に突き立てた。


 祓詞を呼び起こす。


 喉が震える。


 その瞬間、心臓の奥に、ひび割れる感覚が走った。


 ――代償が、先に来た。


 それでも、止めなかった。


 結衣は理解していた。


 これは勝利ではない。

 生存でもない。


 ただの、延命だ。


 だが――

 今、斬らなければ、何も残らない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ