表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)  作者: みえない糸
第2章 殺すことを選んだ祓い

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

115/150

第20話 喰われる塔、飢えの手足 その5 喰い尽くしても、なお飢える

高所の風は、夜でも冷たかった。


塔の展望フロアから外へ出た瞬間、

結衣の肺に入った空気は、ひどく澄んでいるように感じられた。


あれほど濃かった残響の気配は、もうない。

血の匂いも、飢えの圧も、すべて切り落とされた後だ。


だが――

消えたからといって、軽くなるわけではない。


結衣は、欄干の向こうに広がる街の灯りを見下ろした。

車の光が流れ、人の生活が何事もなかったように続いている。


ここで、何十人もの人間が食われた。

それでも、街は止まらない。


「……終わった、んですよね」


背後で、梓が小さく言った。


声は震えていない。

だが、その静かさが、逆に痛々しかった。


「……ああ」


結衣は短く答える。


手長も、足長も消えた。


ただ、救えた人間はいない。

間に合った者も、いない。


結衣は、無意識に八咫刀を見下ろした。

刃は静かだ。

いつも通り、何も語らない。


その時、ポケットの中で携帯が震えた。


中森だ。


通話に出る。


「……終わった」


『確認した』


即答だった。


『名乗っただろ、あいつら』


「……ああ。山善左衛門と、大矢野松右衛門」


一拍。


『天草五人衆だ』


淡々とした声。


『原城籠城戦で遊軍を率いた連中だ。

 兵糧攻めで、最後まで“喰う側”に回れなかった』


結衣は、目を閉じる。


連携の鋭さ。

退路を断つ動き。

高所での追い込み。


すべて、戦場の動きだった。


『ああいうのが単体で動くのは、珍しくなってきてる』


「……天草四郎の影響か」


『だろうな』


短い肯定。


『残響が、強くなってる。

 質も、数もだ』


結衣は、息を吐いた。


「……次も来る?」


『来る』


即答。


『もっと酷い形でな』


一瞬、沈黙。


『今回は上出来だ。

 生きて帰れ』


それだけ言って、通話は切れた。


結衣は携帯を下ろし、夜空を見上げる。

雲が流れ、星が滲んでいる。


「……何者だったんですか」


梓が、静かに尋ねた。


結衣は少し考えてから答える。


「……飢えを、知りすぎた兵士だ」


それ以上は言わなかった。


言葉にすれば、

救えなかった数が、輪郭を持ってしまう。


梓は、しばらく黙っていた。

やがて、小さく呟く。


「……ごめんなさい」


誰に向けた言葉かは、分からない。


「修正できると思ったんです。

 ほんの少しでも……」


結衣は、首を振る。


「……あれは、もう人じゃない」


優しさではなく、事実として。


「喰うことでしか、存在できなくなった残り滓だ」


梓は唇を噛みしめた。


「……それでも」


声が、わずかに震える。


「……助けられなかった人たちは、確かに“人”でした」


結衣は何も言わない。


否定も、慰めもしない。


それが、ここでの正解だと分かっている。


遠くで、サイレンの音が鳴り始めた。

警察が来る。

現実が、いつもの速度で追いついてくる。


結衣は踵を返した。


「……もう行く」


梓は、一瞬だけ塔を振り返る。


「……はい」


結衣は歩き出す。


背後に残ったのは、

誰にも知られず消えた命と、

それを喰らってなお飢え続けたものの残骸。


結衣は、八咫刀の重みを確かめるように柄を握った。


――残響は、強くなっている。


それは確信だった。


そして、その先に待つものが、

より多くの血と、より深い後悔を伴うことも。


それでも、止まる理由はない。


切る者がいなくなれば、

喰うものだけが残る。


結衣は歩きながら、静かに思った。


まだ、斬れる。

まだ、追いつける。


だが――

いつか、追いつけなくなる日が来る。


その予感だけが、

夜よりも冷たく、胸に残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ