第19話 正義は首を括る その4 首を括らせる正義
配信は、問題なく終わったはずだった。
棚谷真一郎は、屋上からの夜景を背に、
最後まで「先生」として振る舞い切った。
苦しんでいた人間は救われた。
少なくとも、動画の中ではそう映っている。
コメント欄は、割れていた。
称賛。
感謝。
そして、疑念。
──ヤラセだろ。
──結局、何も証明されてない。
──幽霊斬れるナイフって何だよ。
棚谷は、笑って端末を閉じた。
批判は、想定内だった。
むしろ──
慣れている。
否定されることには、もう。
階段を降りる途中、
棚谷は足を止めた。
空気が、変わった。
音が、吸われる。
コンクリートの感触が、粘つく。
「……あ?」
足元が、沈んだ。
夜景が、遠のく。
次の瞬間、
世界が裏返った。
⸻
そこは、同じ屋上だった。
だが、違う。
空が、低い。
街の灯りが、歪んでいる。
そして──
人が、吊られていた。
ロープが、無数に垂れている。
首。
手首。
足首。
宙に浮く人影。
顔は、ぼやけている。
だが、声だけは、はっきり聞こえた。
──胡散臭い。
──詐欺師。
──人を騙すな。
棚谷の呼吸が、浅くなる。
「……何だよ……ここ……」
背後で、気配がした。
振り向く。
そこに、いた。
自分と、重なる影。
棚谷の背中に、
別の背中が、貼り付いている。
首が、二重になり。
喉が、重なる。
《……否定する者は》
声が、二つ重なった。
《正しさを、壊す》
棚谷の腕が、勝手に上がる。
ロープが、空から降りてくる。
「……やめ……」
拒絶の言葉は、途中で詰まった。
《お前は、正しい》
影が囁く。
《だから、裁け》
吊られた人影が、もがく。
首が、締まる。
「……ちが……」
棚谷の意識が、揺れる。
これは、自分の意思じゃない。
だが。
胸の奥で、
気持ちよさが、芽生えた。
否定する声が、消える。
静かになる。
正しさが、保たれる。
「……そうだ……」
棚谷の口が、勝手に笑った。
⸻
その瞬間。
空間が、斬られた。
紫電が、一直線に走る。
残響空間に、
裂け目が生まれる。
そこから、女が踏み込んできた。
八咫刀を携えた、女。
結衣だった。
「……ふざけるな」
低い声。
怒りではない。
拒絶だった。
結衣の足元で、
紫電が、円を描く。
残響空間が、軋む。
縊鬼が、初めて振り向いた。
《刃か》
《来たか》
《だが──》
結衣は、棚谷を見ない。
見てしまえば、斬れなくなる。
「降りろ」
一言。
縊鬼が、嗤う。
《降りる?》
《こいつは、選ばれた》
《正義の器だ》
ロープが、さらに増える。
吊られる影が、増殖する。
結衣は、踏み込んだ。
断祈。
紫電の斬撃。
刃は、棚谷の身体を避け、
影だけを裂く。
縊鬼の首が、軋む。
《……っ!》
初めての悲鳴。
「人を使うな」
結衣は、刃を構え直す。
「正義を、喰うな」
縊鬼が、棚谷を引き寄せる。
《なら、殺せ》
《こいつごと斬れ》
結衣の指が、震えた。
斬れない。
人は、斬れない。
だが。
ここで迷えば、
また誰かが吊られる。
結衣は、地面に八咫刀を突き立てた。
零域。
円形の紫電が、爆ぜる。
残響だけを焼く。
縊鬼の身体が、引き剥がされる。
《……待て……》
縊鬼の声が、歪む。
《私は……》
言葉は、続かなかった。
紫電が、
縊鬼・千束善右衛門を完全に飲み込む。
首を括らせる存在は、
ここで断ち切られた。
⸻
残響空間が、崩れる。
棚谷が、地面に崩れ落ちる。
結衣は、駆け寄り、脈を取る。
生きている。
だが──
棚谷の目が、ゆっくり開いた。
焦点が、合っていない。
「……おかあ……」
幼い声。
時間が、削られている。
首ではなく、
人生そのものを、絞られた。
結衣は、立ち上がった。
救ったとは、言えない。
だが。
これ以上、奪わせない。
八咫刀を収める。
残響空間は、完全に消えた。
夜の屋上に、現実が戻る。
結衣は、空を見上げた。
胸の奥で、
また何かが、静かに欠けた。
それでも。
刃は、まだ振れる。
次は。
――自分の番かもしれない。
それでも、
斬るしかない。




