第19話 正義は首を括る その3 刃の値段
中森安行が「やばい」と感じたのは、
棚谷真一郎の動画を見た瞬間ではなかった。
もっと手前だ。
闇のルートに流した一本の黒いナイフ。
帳簿に残らない、名前も用途も伏せた試作品。
それが――
金を積めば手に入る場所に出回っていると知った時点で、
中森の背中に嫌な汗が流れた。
「……最悪だな」
独り言は、吐き捨てるように落ちた。
残穢を精錬して作った刃は、
本来「持つべき人間」が限られている。
精神の強度。
自我の輪郭。
欲望の向き。
それらを計算したうえで、
「折れない」と判断した相手にしか渡さない。
それが、YouTuber。
配信者。
再生数と称賛で生きている人種。
中森は、調査を始めた。
裏のブローカーを叩き、
流通経路を洗い、
動画の履歴を遡り、
棚谷真一郎という男の変化を追った。
結果は、最悪だった。
助けたはずの人間が、救われていない。
残穢は散っているが、根は残っている。
そして何より。
棚谷の背後に、
「立っている」。
人の形をしていない。
だが、人だった痕跡が濃すぎる。
中森は、資料を一枚、机に投げた。
「……千束、善右衛門」
名前を口にした瞬間、
空気がわずかに冷えた。
島原。
一揆。
首謀。
縊死。
「……縊鬼、か」
自嘲気味に息を吐く。
天草四郎陣営に属しながら、
最後まで“人の正義”を捨てなかった男。
その末路が、
他人の首を使って生き延びる怪物。
「……冗談じゃねぇ」
問題は二つ。
ひとつは、武器が一般人の手に渡ったこと。
もうひとつは、天草四郎側の残響が、それを利用していること。
どちらも、放置できない。
そして――
両方を同時に処理できる人間は、一人しかいなかった。
中森は、電話をかけた。
数回の呼び出し音。
『……何』
結衣の声。
淡々としているが、
その裏に張り付いた疲労が分かる。
「今、話せるか」
『短くなら』
中森は、余計な前置きをしなかった。
「お前が使ってる刃と、同系統の武器が
一般人に流れた」
結衣は、黙った。
「配信者だ…
自分が“救ってる側”だと思い込んでる」
「で、今そいつに」
一拍、置く。
「天草四郎の残響が憑いてる」
結衣の呼吸が、わずかに乱れた。
『……滅殺対象』
「そうだ」
中森は即答した。
「武器の回収と、残響の処理」
「両方必要だ」
「で」
中森は、言葉を選ばず続けた。
「それができるのは、お前だけだ」
結衣は、しばらく何も言わなかった。
沈黙の向こうで、
何かを考えている気配だけがある。
『……中森』
やがて、結衣が口を開いた。
『一つ、聞いていい』
「なんだ」
『八咫刀』
中森の指が、僅かに止まった。
「……何だ」
『私、最近』
結衣の声は、静かだった。
『人と話してて』
『相手の反応が、変だって感じる』
『名前を言っても、通じない』
『古い知り合いが、私を見ても』
『……誰だか分からない顔をする』
中森は、答えなかった。
『多恵も』
その名前が出た瞬間、
中森の眉が、わずかに動いた。
『多恵も、最初』
『私を見て、戸惑った』
『理由が分からない、って顔だった』
結衣は、続ける。
『八咫刀は』
『身体を削る武器じゃない』
『それは、分かってる』
『でも』
言葉が、少しだけ強くなる。
『何を削ってるの』
中森は、ゆっくりと息を吐いた。
誤魔化しは、できない。
「……縁だ」
短く、言った。
「人と人の繋がり」
「記憶」
「関係性」
「生きてる証明みたいなもんだ」
結衣は、笑った。
乾いた、音のない笑い。
『……なるほど』
『だから』
『私が、少しずつ』
『この世界から、薄くなってる』
中森は、否定しなかった。
「代償だ」
「残穢を刃にして」
「残響を斬るための」
「等価交換だ」
結衣は、しばらく黙っていた。
そして、言った。
『……分かった』
中森は、わずかに安堵しかけた。
だが、次の言葉で、それは壊れた。
『じゃあ……遠慮はいらない
私を使い尽くせ』
結衣の声は、驚くほど冷静だった。
中森の目が、見開かれる。
「結衣…」
『復讐のために全部、捨てる覚悟で
この刃を受け取った』
『今さら……途中で引き返す気はない』
中森は、言葉を失った。
『今回の件、武器も残響も
全部、斬る…』
『その代わり』
結衣は、はっきりと言った。
『最後まで、私を刃として扱え!』
沈黙が落ちた。
中森は、しばらく俯いたまま、動かなかった。
そして。
「……分かった」
それだけ言った。
通話が切れる。
中森は、椅子にもたれかかった。
「……くそったれ」
誰に向けた言葉かは、分からない。
だが、もう後戻りはできない。
刃は、抜かれた。
今度こそ。
使い切るまで、止まらない。




