第19話 正義は首を括る その1 再生数という祈り
棚谷真一郎は、幽霊を信じていなかった。
少なくとも、昔テレビで見たような、白装束で足のない女とか、夜中に勝手に動く人形とか、そういう類いのものは信じていない。
煙と同じだ。光と影があれば、そう見えるだけ。人間の脳は、都合よく嘘をつく。
だからこそ、心霊動画を撮っている。
矛盾していると言われれば、その通りだ。だが、視聴者は「信じたい」し、同時に「騙されたい」。
幽霊が本当にいたら怖い。でも、いなかったら退屈だ。
棚谷は、その間に立っているだけだった。
「はい、どうも。棚谷です」
車内でカメラを回しながら、いつもの挨拶をする。
チャンネル登録者数は、二十万人を超えた。
心霊系としては、まあまあ。食っていける。広告も、案件も、グッズも回る。
今日の撮影場所は、郊外の古い団地だった。
「ここ、過去に自殺があったとか、霊が出るとか、そういう噂があるんですけど」
画面に映るのは、ただのコンクリートの箱だ。
ベランダの柵は錆び、窓は曇っている。
人が住んでいる気配はあるが、活気はない。
「正直、こういう場所って、噂だけで何もないことがほとんどです」
棚谷は、あえて言う。
“何もない”と言っておくことで、何かあった時のインパクトが跳ね上がる。
実際、ここには“何もなかった”。
空気が重いわけでもない。寒気がするわけでもない。
カメラのノイズも、音声の乱れもない。
「はい、ということで――」
カット。
編集で、少し不気味なBGMを足す。
視聴者は、それで満足する。
棚谷は、そういう仕事をしてきた。
――だったはずだ。
異変は、コメント欄から始まった。
『他の心霊YouTuberより、ここはガチっぽい』
『演出少ないのが逆に怖い』
『棚谷さんの動画、なんかリアル』
リアル、という言葉に、棚谷は少しだけ引っかかった。
自分は、リアルを撮っているつもりはない。
ただ、余計な嘘をついていないだけだ。
それでも再生数は伸びた。
伸びれば、次を求められる。
『先生、助けてください』
そう書かれたメールが届いたのは、その頃だった。
最初は、冗談だと思った。
心霊系の配信者には、そういうメッセージが山ほど来る。
だが、その文面は妙に切実だった。
『夜になると、誰かが部屋にいる』
『苦しくて眠れない』
『病院では異常なしと言われた』
棚谷は、迷った。
動画になるかどうか。
行って、何もなかったら、時間の無駄だ。
だが――
「本当に苦しんでいる人がいるなら」
そう思った瞬間、自分で自分に笑いそうになった。
善人ぶるな。
これは仕事だ。
結局、行った。
そこで初めて、“黒いナイフ”を使った。
闇ブローカーとの接触は、偶然だった。
知り合いの知り合い。
裏のオカルト市場。
『幽霊が斬れる』
そう言われて、棚谷は吹き出した。
だが、値段を聞いて笑うのをやめた。
洒落じゃない金額だった。
「冗談ですよね?」
『……信じるかどうかは、あんた次第だ』
黒いナイフは、妙に冷たかった。
金属なのに、光を反射しない。
吸い込むような黒。
棚谷は、半信半疑のまま、それを持って現場に入った。
そこで――見えた。
壁に、染みのような影。
人の形をしているが、人ではない。
蠢いている。
「……え?」
棚谷は、カメラを落としかけた。
怖かった。
だが、それ以上に、興奮した。
――本物だ。
ナイフを振るった。
斬った、という感触はない。
ただ、影が散った。
そして、依頼人は泣きながら言った。
「楽になった……」
動画は、爆発的に伸びた。
コメント欄は、称賛で埋まった。
『本物』
『先生』
『神回』
棚谷は、否定しなかった。
否定する理由が、見つからなかった。
それから、同じことを繰り返した。
苦しむ人の元へ行く。
黒いナイフを使う。
影が散る。
人が楽になる。
再生数が増える。
登録者が増える。
信者、という言葉が出始める。
『先生のおかげで救われました』
棚谷は、動画の前で、こう言うようになった。
「これはあくまで、心霊現象の一例です。信じるかどうかは――」
だが、誰も聞いていなかった。
信じたい人間は、もう信じている。
否定する声が出始めたのは、その後だ。
『演出だろ』
『ヤラセ』
『詐欺師』
棚谷は、最初は笑っていた。
だが、次第に苛立ちが混じる。
(助けたのは事実だろ!)
口には出さない。
だが、心の中で、そう反論する。
否定する奴は、何もしていない。
画面の向こうで、安全な場所から石を投げているだけだ。
そんなコメントを書いた人物が、数日後、動画に映った。
ではない。
動画のコメント欄が、騒然とした。
『あのアンチ、死んだらしい』
『首吊りだって』
『先生を誹謗中傷したやつ』
棚谷は、凍りついた。
自分は、何もしていない。
本当に。
助けただけだ。
正義だった。
そう思った瞬間、胸の奥が、少しだけ軽くなった。
――正しいことをしている。
その夜、夢を見た。
首を吊る人影が、拍手している夢だった。
笑顔で。
《あなたは正しい》
誰かが、そう囁いていた。
棚谷は、目を覚まし、黒いナイフを見た。
ナイフは、何も語らない。
ただ、そこにあった。
再生数は、今日も伸びている。
祈るように、伸びている。
棚谷は、カメラを回した。
「今日は、少し重い話をします」
その言葉が、
どこへ向かうのかも知らずに。




