第2話 発電所跡・時間遅延型残響事件 その5残された現在
旧火力発電所跡は、静かだった。
風も、音も、
ようやく“普通の流れ”に戻っている。
だが、ここで起きたことは
元には戻っていない。
「……終わったな」
鉄柵の外で、高峰修一が言った。
「ええ」
梓は短く答える。
「…佐々木結衣の祓詞で、
時間残響は完全に沈静化しました」
「お前のじゃなく?」
梓は一度だけ、目を閉じた。
「……私のは、間に合いませんでした」
時間遅延型残響の構造は、
崩壊寸前まで持ちこたえていた。
だが、結衣の削除系祓詞は容赦なく、
構文単位ごと、それを断ち切った。
結果として、
時間は正しく流れるようになった。
だが——
「……被害者は?」
高峰の声が低くなる。
梓は視線を逸らさず、答えた。
「精神構造が崩壊しました」
「……どういう意味だ」
「人格層が切断された状態です
自己認識は初期段階まで退行しています」
「つまり」
「…幼児退行です」
発電所で配信していた青年は、
救急搬送された。
身体的な損傷はない。
脳波にも異常はない。
だが——
彼は自分の名前すら認識できなかった。
言葉も、過去も、
“現在”という感覚も消えていた。
「……生きてはいるんだよな?」
「はい…
でも、その人の“人生”は、残っていません」
沈黙が落ちた。
梓の中で、
あの空間の光がまだ焼き残っている。
——梓の祓詞は、
あの瞬間、間に合わなかった。
結衣の選択が、命だけを残した。
「……お前の方法なら、助かったのか?」
高峰が低く問う。
「分かりません」
梓は即答した。
「でも少なくとも、
記憶がここまで壊れることはなかった」
「それが正解かどうかは?」
「……それも分かりません」
だからこそ、
梓は、唇を噛んでいた。
そのとき、端末が振動した。
「……中森さん」
名前を呼んで、通話を開く。
『お疲れ』
いつもの無機質な声。
「結局、あの人の祓詞が決め手になった」
『だろうな』
中森は少しだけ息を吐く。
『あいつは“消す側”だからな』
「……結果として、人が壊れた」
『壊れなかったらラッキー、
そういう世界だろ』
「…それでも、納得できない」
『できなくていい』
『納得しないやつがいなくなったら、
この世界は完全に壊れる』
短い沈黙。
『それでな』
中森の声が少し低くなる。
『佐々木結衣は、
今は別の残響を追ってる』
「……そっちの詳細は?」
『まだ言えん…
ただ、その残響は——
人に強く食い込んでいるタイプだ』
「人に……?」
『ああ』
『時間じゃなく、“人格”にな』
通話が切れた。
梓は端末をしまう。
目の前では、
発電所の鉄塔が静かに風に揺れている。
「次も、面倒そうだな」
高峰が言う。
「残響は、楽な形では出ません」
梓は短く答えた。
「……今度は、修正できるのか」
その問いに、
梓は少し黙った。
「わかりません…
でも私は、
諦めないだけです」
時間は、もう進んでいる。
奪われたものは戻らない。
けれど、
まだ修正できる場所は残っている。
あの場で、
結衣の祓詞が「正しかった」のかどうかは——
誰にも決められない。




