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「食べる音が汚い…?ASMRなんだから、当たり前でしょ?つか、咀嚼音なんて、みんな同じ音なんじゃないの?私だけ違うの?こんな底辺ポッドキャスターにいつもいつも粘着アンチありがとう!」
そう皮肉を発したのは、部屋で安価な機材を恨めしそうに見る白石真琴だった。勝気そうな大きな瞳に、栗色の髪を無造作にバレッタでまとめている。彼女は主に日常にあった出来事や弾き語り、ASMR、小説の感想をするポッドキャスターだ。殆どがこのアンチとのやり取りで成り立っていて、手紙もまたアンチと絡んでる~と言う感想と真琴を褒める感想は五分だ。
「あー!ムカつくから、歌うね。何にしようかな」
彼女の声には、不思議な奥行きがあった。言葉のひとつひとつが、水面に広がる波紋のように、静かに、そして確かにリスナーの耳に届く。話すスピードは決して早くないが、その一音一音が丁寧に編み上げられた糸のように、心地よいリズムを刻んでいく。
アコースティックギターのCを抑えるとぽろんと音がする。なんでも真琴は昔から不器用だったが、その代わり人一倍努力した。その結果、真琴は熟練とまではいかないが、心地よいコードを奏でることができるようになっていた。そして、ゆっくりと歌い始める。その声には、不思議な奥行きがあった。言葉のひとつひとつが、部屋の空気を優しく揺らすように静かに、そして確かにリスナーの耳に届く。
「みんなぁ!最近、気候の変化が激しいから、風邪ひくなよ」
どんなに部活の帰りが遅くても、仮眠を取って必ず毎日投稿するのが日課だ。
翌日、成城石⚪︎にしかない蜂蜜の飴が3袋とアンチから手紙が届いた。
曲のチョイスが古すぎ。音割れ酷かったぜ?どうせ安価な機材を使ってるんだろう?ご愁傷様。
「アンチめ!…しかし、汚い字だな!」
18時ごろ、届いた小包を開けると、中には銀色の輝きを放つ、見慣れないマイクが入っていた。その隣には、重厚感のあるマイクスタンドと、まるで楽器のような複雑な形状をしたポップガードが収められている。マイクのブランドロゴを見ると、それはポッドキャスターたちの間で「いつかは手に入れたい」と囁かれる、あの『grow07』だった。
もしかしてこれ…部屋に置かれた手紙をもう一度読む。小さな文字で書かれていたから見落としていた。
PS. 少しはマシな音を出せるだろう。せいぜい頑張れ
昼休み、真琴は同級生のユミと談笑していた。
「最近、アンチがしつこくてさ。『曲のチョイスが古すぎ』とか『食レポが下手くそ』とか、ほんとムカつくんだよね」
「えー…真琴のポッドキャスト癒されるのになぁ」
「次の授業?日傘だっけ?」
比嘉咲也。通称日傘。担任で歴史の授業を受け持っており、びっくりするほど色白で眼鏡をかけた地味な先生だ。殆ど、DVDに頼り切りで、正直つまらない。寝ている同級生を起こす素振りも見せない。
ただたまに黒板に書く文字がアンチと似てる。
授業が終わるタイミングでチャイムが鳴った。
空は暗雲が立ち込めていた。
部活帰りに友達とファーストフードに入って、ハンバーガーを食べ終わると帰り道が逆方向なので別れた。
250円をICカード乗車券で支払い、ワインレッドの落ち着いた色のモケット生地の座席に座った。空席が目立つ、いつもはもっと混んでるのに…塗装・雨漏りの広告をぼんやり見つめていると、日傘がバスの自動ドアが閉まるギリギリで乗り込み、荒い呼吸を整えた。日傘は吊り革につかまり、バスが走ると体を揺らした。
なんか、荒い運転だな…
その時、進行方向の窓を見ていると、バックミラーに映る運転手の目が定まっていない。上下に首を動かしていて、運転手が眠っていることに気づいた。曲がり角からトラックが猛然と直進してくる、車内では悲鳴が上がった。トラックの運転手は悪くない、青信号だから…私はスローモーションのように見えた。
ふわふわとした感覚に私は、やおら目を開ける。視界いっぱいに広がる白の世界、天地の境目が分からない。しんと静まり返った空間に、ただ自分の心臓の音だけが聞こえるようだった。ぽとぽとと自分の足元に血が落ちる。なんだろう…痛みもないのに。
隣には眼鏡が外れた綺麗な男が立っていた。
「ひ、日傘!?血が…っ!」
今までは眼鏡+目まで隠れた黒髪に不潔な印象があった。髪で血が固まって、純白で丸い額が見えた。柳眉に切れ長の目、すっと鼻筋が通っており、丹花の唇が今は口一文字に結ばれていた。
判別できたのは服のおかげだ。サイズが合ってない、時代遅れのデザインのコート…「お前も血だらけだぞ」そう言われても、鏡も何もない部屋だ。お互いの情報を擦り合わせる。
「私たち死んだ?」
「死んだな」
「トラックに潰された」
「クソっ!バスの運転手居眠りなんかしやがって」
あれ?珍しく日傘が取り乱してる。
『ピンポーン!君たちは不運なことに死にました。2人だけ。ツキがないよね。後の5人は生存してます』
拡声器を使ったような声が響いた。
まじかよ…そう日傘が横で呟いた。
「聞きたいことが3点ある。あんた誰?私たちどうなるの?ここはどこ?」
『矢継ぎ早の質問』
私は思いの外、冷静だった。ゲームやアニメで散々見たからで、まだ実感が湧いていないからという理由がある。
『君たちには大飢饉の異世界に転生してもらいます。彼らを救ってほしい。僕を崇めてるからね』
私事じゃん、そう思ったが私は口答えしなかった。
『君たちにみんなが言うようなチート能力?をあげる。折角、2人で死んだんだ。連動するような…ポッドキャストとアンチにしよう!小さい物を大きくしていく“わらしべ長者”で、小さい物があまりにも大きくなり過ぎてもダメ。真琴が「相談」を成功させると、量がリスナーの満足度によって倍になる。ただし、倍にしにくい物もあるから。
同時に、アンチの持つ「罵倒」能力が強化される。
アンチは強烈な罵倒を繰り出すことで、真琴のポッドキャストの「音質」や「配信範囲」を倍増させる…喜べ!君たちは一連托生だ!頑張ってくれ!』
「アンチ…?」
眩い光が私たちを包んだ。
『ああ、そうそうデメリットもあって…』
その声は最後まで届かなかった。