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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

湊火葬場雑談記

死に水と煉瓦

作者: 蒼碧

オチ担当:蒼風 雨静  それ以外担当:碧 銀魚

「急に降ってきましたね。」


 狭山が空を見上げながら呟いた。

 午前中は抜けるような青空だったのに、昼過ぎから急に曇り始め、先程から大粒の雨が降ってきている。


「夏の空なんて、こんなもんだろ。それより、もうすぐ清澤様が来るから、準備しとけ。」

「わかりましたー」

 藤戸が促すと、狭山は素直に事務所へ戻っていった。


 今日は午前中は珍しく火葬の予約が入っておらず、午後も清澤という人の予約が一件入っているだけだ。

 高齢化著しい昨今としては、珍しい一日である。


「あっ、来たみたいですね。」

 事務所から外を見ていた狭山が、霊柩車を目敏く見つけた。


「じゃあ、出迎えだ。」

 藤戸が号令をかけ、狭山と接待役の女性職員である松崎が入口に向かった。


 霊柩車は所定の場所に停まると、すぐに職員が棺を取り出しにかかる。

 一方で、藤戸、狭山、松崎が遺族を迎える為に整列した。


 だが、霊柩車から降りてきたのは、若い女性一人だけだった。

 真夏だというのに、長袖の喪服をしっかりと着込んだ、スラリとした美人である。


「お世話になります。」

 女性は丁寧に頭を下げた。


「清澤様ですね。他にご遺族や関係者の方は……?」

 藤戸が尋ねると、清澤は首を横に振った。


「いえ、私一人です。父には、縁者や友人と言える人は、殆どいませんでしたので。」

 女性は平然とそう言った。


 途端に、狭山は嫌な予感がしてきた。

 先日の頭が焼け残った件が頭を掠めたのだ。

 遺族が異常に少ない火葬には、碌なことがないと、あの時学んだ。


「わかりました。では、早速火葬の準備をしますので、あちらへどうぞ。」

 藤戸が促し、松崎が清澤を誘導していった。


「……藤戸さん、今日の火葬、大丈夫っすかね。」

 残された狭山が、小声で囁いた。

「資料を見た限り、今回は事件性とかはなさそうだったがな。縁者が一人ってのは、ちょっとな……」

「資料、また見忘れました。」

「だから、毎回読めって言ってるだろ。」

 藤戸は溜息をついた。



 火葬の準備自体は滞りなく行われ、棺が火葬炉の前にやってきた。


「それでは、最後のお別れとなります。」

 藤戸がそう言うと、狭山が棺の小窓を開いた。


 清澤は無言で歩み寄ると、不意に狭山の方を見た。


「あの、すみません。最後に死に水を行っても宜しいでしょうか?」


 狭山は思わず目を瞬いた。

「死に水、ですか……?」


 通常、死に水は臨終の直後に行われる儀式のはずだ。

 宗派によっては、葬儀が終わった後に行われることもあるが、火葬の直前というのは、流石に聞いたことがなかった。

 狭山は言い籠って、藤戸のほうに視線を遣った。


「そうですね、珍しいですが、別に構いませんよ。」

 藤戸は静かにそう言った。


「ありがとうございます。」

 清澤は礼を述べると、持っていた鞄から水筒のようなものを取り出した。


 狭山は三歩下がり、清澤の父への死に水の儀式を見つめていた。


 清澤が水筒を開けると、その瞬間に、消毒液のような匂いがした。

 だが、清澤は構うことなく、蓋に水を流し込むと、ゆっくりと遺体の口元へと持っていく。

 その間、彼女は涙などを流すことはなく、ただ、無言で淡々と父親の口に水を流し込んでいった。


 五分ほどそうしていただろうか。

 清澤は水筒をバッグに仕舞い、藤戸達に頭を下げた。


「ありがとうございました。これで、父とお別れが出来ました。」


 そうして、ようやく兼田が火葬炉の扉を開けたのだった。



 火葬中、例によって藤戸と狭山は事務所でコーヒーを飲んでいた。


「それにしても、火葬直前に死に水とか、やるんですね。」

 狭山がそう言うと、藤戸は首を傾げた。

「いや、俺も火葬直前に死に水をする人は、初めて見た。」


 経験が長い藤戸でも、今日の出来事はイレギュラーだったらしい。

「そういう宗派があるわけじゃないんですね。」

「ああ。だから、清澤様の個人的な思い入れだったんだろうけど……」


 事ここに至ると、流石に気になるので、狭山も資料を読み始めていた。

 だが、死因は癌によるもので、一般的な病死である。

 特に、喉の渇きを発生させるような死に方ではない。


「ただ、遺族が一人きりっていうのは気になるな。」

 藤戸が渋そうに呟いた。

「そうですよね。この前の村本ですら、三人はいましたもんね。」

 頭が焼け残った一件の話である。


「ああ、遺族が一人二人しかいないことはよくあるが、普通はそれでも友人知人が数人、火葬場まで来るもんだ。それすらないのが、ちょっと不気味だな。」

「また、どこかが焼け残ったりしないでしょうか……」

 狭山は身震いしながら言った。


「念の為、火葬炉の温度は上げといてもらったよ。」

 どうやら、藤戸も考えていることは同じらしい。



 温度を上げてあったので、火葬が予定より早く終わり、兼田が火葬炉から遺骨を取り出していた。

 その間に、松崎が清澤を集骨室へと案内している。


「どうやら、燃え残りはなさそうだな。」

 藤戸が遠目に見て呟いた、その時だった。


「藤戸さん、これ、何でしょうか?」

 遺骨を取り出していた兼田が、不意にそう言った。


「どうした?」

 藤戸と狭山が遺骨に駆け寄る。


 一見、遺骨に異常は見られなかった。

 温度が高かったせいか、いつもより残っている遺骨の数は少ないように見えたが、特に何かが焼け残ったりはしていない。


 だが。


「何だこれ、煉瓦の欠片……?」

 藤戸はそれを見て呟いた。


 遺骨の丁度、喉にあたる部分に、黒い煉瓦のようなものが落ちていたのだ。


「副葬品が何か燃え残ったのか?」

 藤戸が尋ねると、兼田は首を横に振った。


「いえ、今回は花以外に副葬品はありませんでした。それに、よく見て下さいよ、これ……」

「んん?」


 藤戸と狭山が熱気を堪えて、覗き込む。


「骨にくっついてる?」

 その黒い煉瓦のようなものは、喉の骨にくっついていた。


「ということは、体の内部に何かあったのか?」

「喉の位置にですか?」

 狭山が怪訝そうに尋ねた。

 確かに、喉に異物があったとは考え辛い。


「あと喉仏の骨にも、この黒いのがくっついているんですよ。どうしましょうか?」

 兼田が困惑しながらそう言った。


 喉仏の骨は、仏様が座禅を組んでいる形に似ていることから、集骨の際には、真っ先に骨壺に納められる部分である。

 この喉仏の骨が綺麗に残ることは、生前に良い行いをした証拠であるとされており、極楽浄土へ行けるとされている。

 湊火葬場では、この解説を毎回集骨の際に行っており、遺族に骨壺へ納めてもらうのが定番の流れである。


「仕方がないから、この黒い物体ごと、取り除いておこう。喉仏が焼け残らないことも、珍しくはないから、この部分の解説はそれとなくスルーする。」

 藤戸がそう言うと、兼田は頷いて、黒い煉瓦を骨ごと箸でつまんで取り除いた。


「狭山、今回は俺が遺族に説明するから、何も言うなよ。」

「わかりました!」

 藤戸の指示に、狭山はここぞとばかりにいいお返事をした。



 納骨の際、藤戸は予定通り、喉仏の件はそれとなくスルーしたが、清澤は特段それを突っ込んできたりはしなかった。

 相変わらず涙も見せず、清澤は淡々と遺骨を骨壺へ納めていた。


 やがて、納骨が終わり、清澤は遺影と骨壺を持つと、また丁寧にお辞儀をした。

「本日は丁寧な火葬をして頂き、ありがとうございます。」

 清澤はそう言って、初めてニコリと微笑んだ。

 元が相当美人なので、その笑顔はとても魅力的だった。


「いえ、本当にご愁傷様でした。」

 藤戸が型通りの返答をすると、清澤は遺骨のほうへ視線を落とした。


「火葬の前に我儘まで聞いて頂いて、本当に有難かったです。これで私も、心置きなく生きていくことが出来ます。」

 清澤はどこか晴れやかにそう言った。

 その様が火葬の場に似つかわしくなく、藤戸も狭山も言い知れない違和感を覚えた。


「それでしたら、私達も幸いです。どうぞ、お気を落とさないで下さい。」

「はい、ありがとうございます。」

 清澤は最後に礼を述べると、どこか軽やかな足取りで、火葬場から立ち去っていった。



「それにしても、何だったんでしょうね。」

 事務所に戻った狭山は、納得いかない様子で呟いた。

「あの、黒い物体か?」

 藤戸が尋ねると、狭山が頷いた。


「はい。まぁまぁの大きさがありましたけど、別に死因は窒息じゃなかったですし。」

 狭山がそう言うと、藤戸は急に大きな溜息をついた。


「俺、あれと似たようなものを見たことがあるんだ。」


 不意に藤戸がそう言った。


「え?どこでですか?」

「環境問題を取り扱った、テレビ番組。」

「えっ?」


 思いもしない答えに、狭山は目が点になった。


「その番組で、河川汚染の話をしてたんだけどさ。汚れた川の底に溜まったヘドロの処理って、想像以上に大変らしいんだ。」

「はぁ……」

 狭山には話が読めない。


「で、それを何とかする画期的な方法として、ヘドロを固めて焼いて、煉瓦にするっていう技術が紹介されてたんだよ。」

「ヘドロを煉瓦に?」

「ああ。ヘドロは大部分が土だから、上手く処理すると煉瓦になるらしい。その煉瓦に、今日の黒い物体がそっくりだったんだよ。」


 狭山はさっと血の気が引くのを感じた。


「煉瓦を焼く時の温度って、ちょうど火葬の温度と同じくらいだそうだ。だから、火葬炉でもヘドロ煉瓦を作れるなぁ、なんて、番組を見ながら思ってたんだが……」

「まさか、あの清澤様が死に水で、遺体に飲ませてたのって……」


「ヘドロ入りの水だったのかもな。」


 藤戸の言葉に狭山は戦慄した。


「あの水筒を開いた時、妙に消毒液臭かっただろ?あれ、ヘドロの匂いを消臭する為に、消臭剤を大量に入れてたんじゃないか。」

「じゃあ、死に水と称して、自分の父親にヘドロを飲ませたってことですか……?」

 狭山の言葉に、藤戸が首を傾げた。


「それがわからん。何でそんなことをする必要がある?遺体とはいえ、実の父親なのに……」

「あっ!」

 急に狭山が素っ頓狂な声を上げた。


「どうした、急に?」

「いや、実は死に水を飲ませる時、清澤様の喪服の袖がちらっと捲れたのを見たんですよ。古い傷跡だらけでした。」

 狭山の言葉を聞いて、藤戸は合点がいったように溜息をついた。


「虐待か……」


 狭山も思わず眉間に皺を寄せた。


「そう考えれば、納得がいくな。彼女は子供の頃から父親に虐待を受けて育った。その虐待の一つに、泥水とかそういうものを飲まされるっていうのが、あったのかもしれんな。」

「じゃあ、彼女は末期にそれを父親に仕返した、ってことですか。」

「ああ。」


 あの華奢な美人である清澤からは、想像もつかないような暴挙だ。

 だが、親の愛をきちんと受けて育った藤戸や狭山には、その深層を窺い知ることは出来ない。


 虐待とは、そういうものなのだ。


「それで飲ませたヘドロだが、遺体には嚥下能力がないから、ちょうど喉で堆積して、そのまま煉瓦になったということか。」

「綺麗に残れば極楽浄土で行けるとされる喉仏の骨に、それがこびり付いて固まるなんて、なんか恐いっすね。」

「彼女の復讐心が成せる業かもしれないな。」

 藤戸は静かに瞑目した。


 父親を絶対に極楽浄土などへは行かせない。

 そんな強い意志を、あの黒い煉瓦からは感じずにはいられなかった。




 数日後。


「松崎さん、来月で退職らしいですね。」

 狭山がそう言うと、藤戸は頷いて見せた。

「ああ。家の都合で引っ越すんだと。なので、所長が後任を雇ったらしい。今日から出勤らしいけど。」


 接待役の女性職員であった松崎が退職するとのことだ。


「次も女性ですよね。若くて美人だといいなぁ。」

 狭山が間抜けな絵空事を言っている。


「若い美人が、火葬場で働くわけないだろ。」

 藤戸が溜息混じりに言ったその時だった。


「藤戸君、狭山君、いるかい?」

 そう言って事務所に入ってきたのは、所長の下村だった。


「あっ、所長!どうしたんですか?」

 狭山が尋ねると、下村は妙にニコニコし始めた。


「松崎さんが退職するので、後任の方に来てもらったんだよ。これから一か月間、松崎さんの下で研修をしてもらって、業務を引き継いでもらうことになった。なので、君たちもよく面倒を見てほしいと思ってね。」

「ええ、聞いてますよ。」

 藤戸がそう言うと、下村所長は事務所の外に声をかけた。


「清澤さん、こっちにどうぞー」


 瞬間、藤戸と狭山の顔が強張った。

 入ってきたのは、先日父親の火葬を行った、あの清澤だった。


「どうも、先日はありがとうございました。」

 清澤は丁寧に礼を述べると、その場で頭を下げた。


「とてもいい火葬を行って頂いたので、ここで働かせてもらいたいなと思い、今回雇って頂く運びとなりました。不束者ですが、宜しくお願いします。」

 清澤は流れるようにそう述べると、ニコリと笑った。

 やはり笑顔はとても魅力的だった。


「……よかったな、狭山。若い美人が来たぞ。」

「いや……それは、そうなんですけど……」


 藤戸は顔の強張りが、狭山は手の震えが止まらなかった。

好評(?)により、

第3弾を投稿しました。

楽しんで頂けると幸いです。

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