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蠢く影(1)

白い雲が、天蓋のように広がっていた。


大都市アヴィアの中央塔。最上階のバルコニーからは、王都の喧騒が豆粒のように遠ざかって見える。風が吹くたびに、雲の陰がゆっくりと地上を流れていく。


その風の上に、彼女はいた。


「ね〜ね〜クリスっち〜!聞いて聞いて!」


風をまとって降りてきたのは、天王ハロック・スファリン。

白を基調とした装束に、長く垂れた袖。

銀に近い青灰色の髪がさらりと風に舞い、微かに陽光をはじくその姿は、まさに天の使いそのものだった。


だが、口を開けば――


「うちらさぁ、あのトオルくん?見てて飽きないよね〜!なんかこう、こう、ボーっとしてるのにたまにギラッてなるじゃん?あれヤバくない?」


……中身は、相変わらずだった。


「……ハロック、落ち着け。言いたいことを一つずつ言ってくれ」


「え〜?今の全部わかんない?やば〜い、クリスっち脳トロけてんじゃないのぉ〜?」


「違う。お前がトロけてるだけだ」


「マジぃ〜〜〜?」


クリスティアはため息をつきながらも、肩を竦める。

この調子で来られると頭が疲れる。だが、妙なことに彼女の言葉の中には、確かな“観察”が含まれているのも事実だった。


「……トオルの話か?」


「うんうんうんうん!!あの子ってさぁ〜、たぶん……やばいよね?っていうか、なんか……“空気”変わるじゃん?」


「……感じていたか」


「んー?てゆーかね、うち、あの子ぜったい中身なんかいると思ってたんだよねぇ。最初見たときから“うわ、この子、めちゃめちゃ背負ってるじゃん”って」


クリスティアは口をつぐんだ。


ハロックの言葉は冗談交じりだが、そこに宿る直感は侮れない。

彼女は“見えている”のだ。本能的に。

おそらく、ステラや自分、ハレビアと同じように、あの人間が“何か”を抱えていると確信している。


「お前は……トオルが何者だと思う?」


「え〜〜〜? なにそれ〜重た〜い質問ぅ〜!じゃあ逆に聞くけど、クリスっちは何者だと思ってんの?」


「……“厄災の使徒”。その可能性を見ている」


ハロックの瞳が、ふっと真顔になった。


「うわ……マジで言ってんの?」


「……ステラも口には出していないが、気づいているはずだ。奴の中にあるもの。揺れているもの。形は見えなくとも、確実にこの世界の法則からは逸脱している」


「ふーん……」


ハロックはくるりと踵を返して、バルコニーの端に腰かける。風に足を揺らせながら、空を見上げた。


「でもさ。トオルくんって、なんかすっごく“優しい”じゃん?」


「……それが問題だ」


「え?」


「自覚のないまま、危険な力を抱えている者ほど恐ろしいものはない。あれは“気づいていない”……自分が何を持っているのか、自分の手がどれほどの重みを持っているのか」


「……そっか〜〜〜」


いつもより低いテンションの彼女が、足を止めた。


「でもさ。でもだよ?」


彼女の声色が変わる。

無邪気さを帯びたまま、しかしそこには一種の“確信”があった。


「うちは、あの子が“敵になる未来”より、“味方でいてくれる未来”の方が見える気がすんだよね〜」


クリスティアは目を細めた。


「……根拠は?」


「ないけどぉ? ……なんか、そういう顔してるじゃん。あの子。見てる方向とかさ、人の目ちゃんと見て喋るとことか。なんか、ウソつかない子って感じしない?」


「……」


「うち、そーいう子好きだよ。いいじゃん、こーゆー子と友達になれる世界の方が、うち、楽しいと思うんだよね〜!」


言葉が軽い。けれど、それを笑えない。


──これが、天王なのだ。


おちゃらけた言葉の裏に、風のような“真実”を運ぶ存在。


彼女は誰よりも早く空を走り、誰よりも早く他人の“心”に触れる。


「……お前は楽観的すぎる」


「クリスっちはさ〜、心配性すぎんのよぉ」


「慎重であるべき立場だ」


「でも、なんかいいじゃん。こういうとき、信じてみるのも」


ハロックは笑った。


「うちらってさ、あの“厄災”を“殺した”じゃん?全力でさ。んで、なんで今トオルくんがここにいるかは知らないけどさ……でももしまた“同じこと”が起こっても」


ハロックは風に乗るように立ち上がり、くるっと一回転した。


「今のうちらなら、もう一回倒せるって思うよ?だって、強くなったじゃん、うちら」


「……そう、だな」


クリスティアも口元だけで笑った。


この天王が言うと、不思議と信じたくなる。

未来に対する確信。

その軽さと、強さ。


「でも、まあ〜〜〜!!油断してボコボコにされたらマジ恥ずかし〜から、念のために監視は続けとこ!」


「……それが正しい。俺もそれを続ける」


「そゆとこ、好き〜〜〜」


ハロックが飛び跳ねながら去っていく。風と共に。

その背中を見ながら、クリスティアはつぶやいた。


「……確かに、今の俺たちは、前よりもずっと強い。だが――」


そう。


“あの人間が敵にならないこと”を、祈ってしまった時点で。

もうこちらは、弱くなっているのかもしれない。


その不吉な予感が、風の中に消えていった。


────────────────────────


朝焼けは、もう高いビルの影へと消えつつあった。


人々で賑わうアヴィアの大通りを、俺はひとり、歩いていた。

店が並ぶ横道を抜け、市場の喧騒をすり抜け、迷子みたいにぶらぶらと。


「……うーん……」


頭の中には、ずっと同じことがぐるぐるしている。


──俺の固有魔法ネクサスゲート

扉を発現し、別次元へと繋ぐ。発動条件は、俺の意志。

扉は目に見えず、誰にも感知できない。けど、確かにそこにある。


……あれを、“戦い”に使えないか。


最近の出来事があまりに異常すぎて、自分が世界からズレてるような感覚すらする。

天王、魔王、賭塊王、異淵王……とんでもない奴らに囲まれて、俺が生きていることが奇跡みたいだ。


「つか、俺……なんなんだろな」


呟いた言葉は、誰にも聞かれず雑踏に溶けた。


──厄災の使徒。

あのピンク髪の少女が言っていた、自分の中にいる“何か”。


その意味を、ステラから少しだけ教わった。

神にも匹敵する存在、“使徒”のひとつ。

その力は、攻撃や敵意を向けてきた相手に、凶悪な不運を返すものだという。


……それはもはや「反撃」じゃない。

無自覚であることが、一番恐ろしい。


「強くならないと……」


思わず口にした自分の声が、少しだけ震えていた。


ステラはたぶん、俺を信じている。

いや、“観察している”という方が正しいか。

クリスティアもハレビアも、警戒しながらも俺の行動を見ている。


裏を返せば、俺が何かやらかせば、即処分されるかもしれないということだ。


「力が欲しいわけじゃない。俺は……」


力そのものじゃない。

選択できる強さが欲しい。

逃げるんじゃなく、“選んで向かえる”くらいには、なっていたい。


そうして足を運んでいるうちに、商業地区から外れ、いつしか騎士団の訓練場が近いエリアに来ていた。

ここは、アヴィアでも一部の軍属だけが入れる区域だが、訓練の一般公開がある日もあり、見物人でにぎわう日もある。


──今日はその日ではないらしい。人通りも少なく、静かだった。


「ん、ここ……騎士団の……?」


門の奥に広がる訓練場の土煙が、わずかに立ち上っていた。

声はない。だが、誰かが戦っているのだろう。


「……」


ふと、視線を感じた。


いや、正確には“空気”が変わった。


肌の奥に突き刺さるような、言いようのない緊張。

鋭利な刃物が、心臓すれすれを通過していったような――そんな気配。


誰か、いる。

そしてその“誰か”は、俺が知るどの人物とも異なる。


魔王でも、王たちでも、幹部でもない。

だけど、あまりにも濃い“戦いの匂い”がする。


──その時だった。


訓練場の奥から、地を割るような衝撃音が響いた。


バァン!という風を圧縮して破裂させたような音。そして、数秒遅れて、砂煙がふわりと風に流れてきた。


その場にいた誰かが、そう“打ち込んだ”のだ。

冗談じゃなく、俺の固有魔法をぶつけても空間ごと砕かれるんじゃないかってくらいの、質量を感じた。


「……やば……なにこの空気……」


誰かがいる。

まちがいなく、“人類側”の誰か。

だけど、俺の中で本能的にブレーキがかかる。


「……人間……か?」


口に出した瞬間、自分でもわからなくなる。


あんな戦闘圧、今まで会った魔族の誰よりも強く感じるのに。

肌でわかる、“違う”強さ。

純粋な“鍛えられた強者”としての空気。


──と、そのとき。


門の奥で、砂煙を割るように、誰かの影がこちらへ歩いてきた。


まだ顔までは見えない。

でもその足取りは、どこまでも自然で、どこまでも重い。

気取った構えもない。

ただ歩いているだけなのに、なぜか心臓が騒ぐ。


「……あれが……?」


俺はごくりと唾をのんだ。


これから来る“何か”を、世界が押し黙って迎えようとしているようだった。


それは、俺にとって“また新たな世界の壁”が現れた瞬間でもあった。



「……すげぇな、あれ」


思わず声に出た。


目の前の訓練場に立っていた男――鎧に包まれた何者かは、たった一振りで大地を抉った。

魔法ではない。ただの剣撃だ。

にも関わらず、岩が割れ、風が止まり、空気が震えていた。


その者は、全身を重厚な鎧で覆っている。

兜すら脱がず、顔すら見えない。にもかかわらず、そこにいるだけで、まるで“神像”が動いているかのような存在感だった。


鎧は銀を基調に、白と灰色の装飾。胸には王国騎士団の紋章。

そのくせ、冠も階級もなく、ただの“騎士団長”として存在しているという。


──人類最強。無冠の騎士。コードネーム:ルクス。


名前すら知られていない。

本当に生きてるのか? あんなのが人間なのか? そう思うほど、異質な気配。


訓練場の地面に深く刻まれた剣痕から、砂埃がふわりと舞い上がる。

そしてそれを背に、彼はこちらへと歩いてきた。


「……お前、見ない顔だな」


くぐもった声。けれど、無骨ではない。

どこか淡々としていて、逆に親しみも感じるような──そんな響き。


「旅人か?」


「……ああ、まあ、そんな感じ」


俺は頷いた。

目の前の存在に、本能的な恐れを感じながらも、なぜか“敵意”は感じない。


「このあたりは立ち入り禁止だ。けど……俺の訓練、見てたんだろ?」


「いや、なんか音が聞こえてな……」


「驚いたか?」


「……まぁ、うん。あれ剣なんだよな?」


「剣だな。普通の。少なくとも今のはな」


「……“普通”ってなんだよ……」


冗談めかして笑うと、ルクスと名乗る男は、軽く肩をすくめるような仕草をした。

鎧越しの動きは無機質なはずなのに、不思議と温度があった。


「お前、名前は?」


「透。殻崎透」


「そうか。俺は……ルクス。呼び捨てで構わない」


「知ってる。伝説、みたいなもんだろ。騎士団のトップ、英雄、なんなら神話の住人」


「……おいおい、ハードル上げすぎだ」


鎧の下の表情は見えない。けど、その言葉には確かな笑いが混じっていた。


「でも強いんだろ?いや、強すぎる。あんな剣撃、見たことない。あれで魔法じゃないって、本気で?」


「本気だ。あれは“訓練”だ。力を振るう理由があるときだけ、俺は魔法を使う」


「理由、ねぇ……」


俺は小さく呟く。

“強さ”とは何か。

何のために、強くなるのか。


それを探すために俺は今、街を歩いていた。


「お前、強くなりたいのか?」


突然、ルクスが言った。


「……え?」


「目を見ればわかる。迷ってる目だ。俺も若い頃、そうだった。今よりもっと、迷ってた。何のために剣を振るうのか。何を守るべきか。それを見つけるまで、俺はずっと戦ってた」


「今は?」


「……今も、そう変わらない。ただ、守るべきものが増えた。それだけだ」


少しの間、言葉が途切れる。


彼の背後に広がるのは、破壊された訓練場の大地。そして静寂。


俺はふと、訊いてみた。


「……なあルクス。お前はさ」


「ん?」


「神になれるって言われても、なりたくないもんか?」


「……」


ルクスは少し黙った。そして静かにこう言った。


「王でも、神でも……“他者を見下ろす役”には興味がない。俺は“隣に立てる強さ”が欲しいだけだ」


「隣に……?」


「ああ。誰かと同じ目線で、剣を構えられる強さ。上でも下でもない、ただの“ひとりの戦士”としてな」


その言葉に、なぜだかわからないけど、胸がズンと響いた。


「……お前、いい奴だな」


「そうか?」


「うん。鎧の中身が怪物じゃなければな」


「それは、どうかな……」


最後の一言に、ルクスの声がほんの少しだけ冷えたように感じた。


けれど、それも冗談だったのかもしれない。

彼は俺に背を向けると、訓練場の中央へと戻っていった。


「また会おう。トオル」


そう言い残して。


──その背中は、どこまでも真っ直ぐだった。

“神”でも“王”でもない、けれど誰よりも強い、“ただの騎士”の背中だった。


──次の日


アヴィアの街は今日もにぎわっていた。


魔族と人間が共に暮らす世界。

子どもたちの笑い声が響き、屋台では多種多様な食文化が香り立つ。

差別も争いも、少なくともこの街には存在していないように見えた。


透は歩きながらふと思う。


「なんだ、案外ちゃんとやれてんじゃねーか、異世界」


自然と笑みがこぼれた。

街を彩る穏やかな空気。

この世界にも“平和”は、ちゃんとあった。


──その裏で。


遥か東方。《ノザル=メルナ大森林》の最奥にて。


森の中で生きる者すら近づかない、呪われたような空白地帯。

そこに、九つの悪意が沈黙のうちに集っていた。


木々は枯れ、風は止まり、ただ空間だけが“歪んでいる”。


「おいおいおい……なんだぁ?平和?なにそれ? あァ!? つまんねェにも程があるだろうがぁァ!!!」

ひときわ甲高い声が森に木霊した。

それは“狂気”そのものだった。

声の主は、笑っていた。いや、叫びながら笑っていた。

「なァなァなァ、全部燃やしていいか?あァ??我慢しろ?かったりィ…かったりぃ…」



「我らが集いし時、静謐は必ず破れようぞ」

低く、静かに。まるで風のように忍び寄る声。

「この剣……すでに研ぎ澄まされている。用があるのは、斬る相手だけだ……」

その声音には、微塵も感情がない。

ただ「やるべきことをやる」、それだけの意志が籠もっていた。



---


「ねぇねぇ、どこを切れば一番キレイに血が出ると思う? ねぇ、試していい?ねぇってばぁ」

今度は、女の声。

その声は、異常なほど明るく、やけに親しげだった。

「……死ぬのってさ、すっごく個性出るよね。わたし、そういうの好きなんだ〜〜…ねぇ、殺していい?」

誰に問うわけでもない問いかけに、周囲の空気が凍りつく。



---


「ほうほうほう、進化か……なるほどな。こいつは面白い」

狂気じみた好奇心。

だが、その語り口はどこまでも冷静。

「世界構造の分解と再構築、魔素干渉の逆利用……ふふ、量子干渉の実験はここでやるのが最適かもしれないな」



「だる……」

別の男が、木にもたれかかりながら欠伸をした。

「どうでもよくねぇ? 勝手に燃えてりゃいいじゃん」

その声には、命も激情もない。

まるで全てに飽いた者のような、乾いた音。



「ふふ……ふふふふふ……ふっ……はは、あはは、あっははっはっは……」

言葉の意味は、ない。

ただずっと笑っている。

何も語らない。

でもその笑いには、「終わらせる者」の覚悟と意志が込められていた。



──そして、三つの影。


その一人は、音もなく地面を這う“何か”だった。

「……」

発する言葉は、誰にも聞き取れない“反転した音”だった。

理解不能。言語化不能。

だが存在している。間違いなく、そこに“いる”。


二人目は、森の上空を浮遊していた。

目に見えぬ存在。

だが、低く沈んだ声だけが聞こえた。


「空が近いな。そろそろ、焼けてもいい頃か……」


そして最後の一人。


姿も声も、存在そのものが“空白”だった。


認識しようとすると、視界が揺れる。

脳が拒絶する。

だが“そいつ”は確かにこの場にいた。

おそらくこの場の誰よりも“核”となる存在だった。



---


彼らは言葉を交わさず、合図もなく。

それでも“理解”していた。


「そろそろ始めようか」


それだけを合図に。

森の風が逆流する。

木々がざわめき、空気が震えた。


そして──


《決壊》は静かに始まろうとしていた。


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