覚悟と選択(1)
夜が白み始める寸前の薄闇に、風が乾いた布を揺らす音が響く。
地面を這う焚き火の赤が、黒衣の輪郭を不規則に照らしていた。
その輪の中、焔を見つめていた九人の瞳は、それぞれ別の場所を見ているかのように遠かった。
「ククッ……この火の爆ぜる音、血が沸くんだよなァ…」
低い笑いと共に、狂気の声が漏れる。カイム・ギアノット。燃えさしを見つめるその目は、焔ではなく、いつか吹き飛ばすだろう何かを見ている。
「…黙れ、耳障りな声だ」
冷たく応じたのはユスティア=エイル。無表情の顔に、わずかに眉が寄っていた。
「いいじゃん、静かな夜は退屈すぎる」
声を上げたのはレリス・カーヴァ。まだ幼い外見のその顔に、にやにやと笑みを張り付かせたまま、レリスは指先で短剣をくるくる回している。
「でもさあ、声出されると鼓膜破れるんだよ。やめろよカイム」
レリスが軽く首をすくめる。だがカイムは肩を震わせた。
「鼓膜の一つや二つ、どうでもいいだろうが。どーせまた治せばいいんだしよ」
「お前と僕を一緒にするな!」
ラディオス=ファンが体を壁に預けたまま、重たそうに目を開いた。
ラディオスの髪は銀色で、肩より長く伸ばしている。半目で、眠たげに周囲を見渡しつつ、あくびを堪える。
「…だる…ていうか、全員、死刑囚のくせに落ち着きがなさすぎるでしょ」
「国家転覆罪だもんな〜」
レリスがくすくす笑う。
「でもさぁ、転覆失敗して捕まるとか超ダサいよね。もっとスマートにやらなきゃだよ」
ゾルド=マイデスが呆れたようにため息を吐く。
ゾルドの顔には、幾重にも古い傷が走っている。その声は哲学者のように低く静かで、しかし話す内容はおぞましい。
「それで。次の手だが」
ゾルドが視線を焔から外し、輪の中心へと投げかけた。
「トオルという男の中の、厄災の使徒……その覚醒を、どう進めるかだ」
「覚醒させるって言ってもよォ、そもそもあいつがどんなトリガーで暴れんのか分かんねェじゃねェか」
カイムが頭をガリガリと掻く。
「感情か? 痛みか? それとも死の恐怖かァ? 早く喉ちぎって叫ばせてぇなァ」
「お前の声で覚醒する保証はない」
ユスティアがぴしゃりと言い放つ。
「敵対的な使徒なら、暴れさせる方がまだ話が早いだろうがな」
ゾルドの目が静かに光る。
「ただ……問題は、4人の王だ」
「だな」
ユスティアが短く応じる。
「天王ハロック。異淵王クリスティア。そして魂賭王ハレビア。魔王ステラも含め、あいつらが本格的に動くと面倒すぎる」
「特にステラだな」
ラディオスが欠伸混じりに言う。
「1国どころか世界も潰せるくらいの連中だろ。俺らでも相性次第とはいえ、単独で刺すのはやりづれぇ」
カイムが口を歪め、狂気を帯びた笑みを浮かべる。
「だがそォれが楽しいんだよなァ? 刺す相手が強けりゃ強いほど、声が響く…!!」
「相性以前に、あんたは周囲巻き込みすぎなんだよ」
レリスが苦笑し、肩をすくめた。
「それで……次の襲撃はいつだ」
ゾルドが話を戻すように低く言う。
「このままではトオルも警戒を強めるだろう」
「別に今日でもいいぜェ?」
カイムが嬉しそうに身を乗り出す。
「騒ぎ起こすなら早いほうがいいじゃねェかァ」
「バカ。今行っても全員アヴィアに集まってる。乱入した瞬間、全員で迎撃される」
ユスティアが即答する。
「一週間後だ」
静かに割り込んだのは、これまで一言も口を開かなかった女の声だった。
焔の輪の外、暗がりに佇むその人影からは、女の形が辛うじて見て取れる。だがフードの奥の顔は見えない。
「トオルたちの訓練が一通り終わる頃合いを見計らう。鍛えられた直後は精神も肉体も隙ができる。そこを突く」
その声は低くも艶やかで、空気をきつく縛り付けるような威圧感を帯びていた。
レリスがぱちぱちと拍手した。
「さすがぁ。冷静だよね。僕、そういうの好き」
女は微動だにせず言葉を継いだ。
「アヴィアに全員が留まっているうちに観察を続ける。その上で、トオルを最も揺さぶれる方法を探る」
「一週間……長ぇなァ」
カイムが舌を鳴らす。
「声が腐りそうだァ」
「お前は黙ってろ」
ラディオスが鼻を鳴らす。
「それに一週間なんて短いだろ。どうせ今まで牢屋で死刑待ちだった連中だ」
「……確かに」
ゾルドが呟く。
「我々は全員、国家転覆の罪で死刑だった身。だがこうしてまた集まり、同じ目的で動いている」
「トオル一人の存在が、それだけの価値があるってことだろ」
ユスティアが低く言った。
「厄災の使徒……それを覚醒させられれば、世界そのものを覆せる」
女は炎のゆらめきにわずかに首を動かした。
「そのために、お前たち九人がいる。いずれ分かるだろう。お前たちの存在が、世界の秩序を根底から引き裂く鍵になるということを」
彼女の声は穏やかだが、酷薄な冷たさを孕んでいた。
カイムが楽しげに笑う。
「破壊の声が響くのが待ち遠しいなァ……」
焔がぱちりと弾ける音が夜気に溶けた。
やがて女は短く告げた。
「準備を整えろ。一週間後だ。全てを終わらせる」
そう言い放つと、彼女は黒いマントを翻し、闇へと消えていった。
残された九人の囚人たちは、それぞれの表情で焔を見つめたまま、次の夜明けを待つように、無言の時間に包まれていったのだった──
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夜明け前の空が、まだほんのりと群青の名残を留める中、アヴィア城の広い廊下を五人の影が連なって進んでいた。
透は欠伸を噛み殺しながら、先を歩くラグの背中をぼんやりと見ていた。昨夜の訓練の疲労が、まだ骨の芯に残っている。目の奥が重い。
「……つーか、また訓練かよ。朝っぱらからよ」
ラグが前髪をぐしゃりと掻きあげながら、低い声で吐き捨てるように呟いた。
「強くなるためだろ」
キールが隣でぶっきらぼうに答える。声に眠気が混じり、目は半分閉じかけている。
そのすぐ後ろを歩くギルメザは、盛大にあくびをしては腹をぽりぽりと掻いていた。
「おいギルメザ、ちょっとはシャキッとしろよ」
透が振り向きざまに言うと、ギルメザはむくれた顔で舌打ちを返した。
「ンだよ……寝てねーんだ、オレはッ!」
さらにその横で、小柄なミナミがそわそわと周囲を見回しながら、両手を胸の前でぎゅっと握っている。
「あ、あの……その……だ、大丈夫かなぁ……今日の訓練……」
声はか細く、ほとんど呟きに近い。彼女の肩は小刻みに揺れている。槍を背にしている姿は勇ましいはずなのに、その顔には怯えが色濃く浮かんでいた。
「昨日よりはマシだといいんだけどな」
透がぼそりと呟く。ヴァルムによる極限の判断力訓練を思い出し、思わず背筋に寒気が走った。
五人は、ひときわ大きな鋼鉄製の扉の前で立ち止まった。
そこには既に、一人の男が静かに立っていた。
ルザリオ。魔王軍の幹部の一人。
長く伸び放題の髪が顔の半分を隠し、その奥から鋭い眼光だけが覗いている。腰には長い刀が差してあり、その鞘にはいくつもの傷跡が刻まれていた。
無骨で、静かで、どこか禅僧めいた雰囲気を纏う男だ。
「来たか……」
低く、重い声が廊下に響く。話し方は淡々としており、まるで余計な感情を極力排したかのようだった。
「……ルザリオさん……今日は、どんなことを……」
ミナミが、勇気を振り絞ったように問いかける。
ルザリオは、じっとミナミを見下ろした。髪の隙間から覗く目が、獲物を値踏みする刃のように鋭い。だが次の瞬間、その目がすっと細まった。
「……武器、だな。お前たちが何を使うか。それを知るところからだ」
透たち五人は互いに顔を見合わせた。
「じゃ、俺らは剣だ」
ラグが肩を回しながら答える。
「俺も」
キールも短く告げた。
「わ、わたしは……槍、です……」
ミナミが控えめに手を挙げる。声は震えがちだ。
ルザリオは軽く顎を引き、続けざまに透を見やった。
「トオル……お前は」
「俺は剣だ」
透は即答した。少し前までナイフばかり使っていたが、ルクスから手渡された剣の重みを今もはっきり覚えている。あの剣はただの金属の塊ではなく、確かに透の中で“武器”としての存在感を放っていた。
ルザリオの目が、ゆっくりとギルメザへ移った。
ギルメザは眠そうに頭を掻きながら、ぼそりと呟く。
「オレは……オノ、だな」
ルザリオの眉がわずかに上がった。だが、それは軽蔑でも驚きでもない。ただ静かに目を細める。
「……なるほど。良い選択だ」
ギルメザは首を傾げた。
「は??なんでオノがいい選択なんだよ、トオルの時は、んな事言ってなかっただろォが」
ルザリオは一拍置いて、低く言った。
「オノは、真っ直ぐだ。剣や槍よりも嘘をつけぬ武器だ。振りかざせば重みでわかる。振り抜けば、破壊力でわかる。己の力が、そのまま斬撃に出る。それを選ぶのは、力の在り処を知る者の証だ」
ギルメザは瞬きした。ラグが横から突っ込む。
「褒められてんのか、それ」
「……褒めている」
ルザリオは淡々と頷いた。視線が次に透へと戻る。
「トオル、お前の剣は、まだ“殺す道具”としての覚悟が足りぬ。だが、それでいい。剣は最初から殺すものではない。お前が持つ剣は……“未来を切り拓くため”の剣だ」
透は目を見開いた。
ルザリオの声が、静かに廊下に響いた。
「武器とは……ただ敵を斬り伏せるための鉄塊ではない。己の信念を通すためのものだ。槍は遠くを射抜く覚悟の証。剣は最短距離で真実を求める者の武器。オノは力を見せる道具。拳は己の存在を刻む手段。弓は……弱き者が生き残るための牙」
透は思わず息を飲んだ。ミナミがぎゅっと胸の槍の柄を握りしめる。
「……怖いけど……でも、少し、わかった気がします……」
「怖がるな」
ルザリオは少しだけ声を和らげた。
「武器に込めるのは、お前たち自身の意志だ。お前たちはまだ未熟だ。だが未熟だからこそ伸びる。そこを鍛える」
ギルメザが渋い顔で呟く。
「鍛えるっつーか、また昨日みたいにボコボコにされんのか……?」
ラグが笑う。
「確定だろ。おっさんたち、加減知らねぇもん」
ルザリオは再び静かに刀の柄を握り直した。
「今日の訓練は実戦形式だ。武器を手にして、どう生きるか。どう死なないか。それを叩き込む。お前たちは……まだ生き延びる戦いを知らぬ」
その言葉に、空気が一瞬張りつめた。廊下を吹き抜ける冷たい風が、彼らの髪をそよがせる。
ミナミが青ざめた顔で言った。
「し、死なない……って……」
「死ぬほど追い込まれろ、ということだ」
ルザリオの声は、鉄を打つように硬い。
「そして、その極限の中で、お前たちが本当に武器を握れるかどうか……それを見極める」
透は思わず手のひらを見つめた。まだ指先に、ルクスから剣を渡されたときの冷たさが蘇る。
ルザリオが刀をわずかに抜き、その銀光がちらりと走った。
「来い。今日は俺が相手をする。死ぬなよ……お前たち」
その低い声には、一切の冗談もなかった。
廊下の先に開かれた訓練場の門が、ぎい、と重たく開く音が響く。
透は息を飲み込んだまま、その先の闘気渦巻く空間へ、仲間たちと共に足を踏み入れるのだった──




