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37. 頑固

 エリウスとリリルは、父王が滞在している迎賓館へと向かった。 夕陽が差し込む回廊を歩く彼らの足音が、静寂の空間に規則正しく響いた。


 厚い石壁には歴代の王たちの肖像画が並び、その厳かな視線がまるでふたりを見つめているようだった。


 迎賓館の客間に入ると、そこにはセシリアが大きな椅子に寄りかかっていた。だが、その表情は険しく、明らかに不機嫌な様子だった。


「エリウス、あなたは公衆の面前で、王妃の私に恥をかかせたわね。あれは許される行為ではないわ」

 セシリアの声は冷たく張りつめ、瞬時に部屋の空気を凍らせた。


「王室の子女なら、大衆の前でああいった態度を取るべきではないということは理解しているはず。もしかして、庶民の誰かの影響を受けて、常識まで忘れてしまったのかしら?」

 

 エリウスはひと呼吸置き、穏やかな口調で答えた。

「ぼくが断ったのは、姉上の心を読めていたからですよ」

  その目には、強い光が宿っていた。


「姉上は、ぼくが試合に負けてくれると思っていた。違いますか?」

 セシリアの視線がわずかに逸れた。


「正直、それは、あったかもしれないわ。あなたはこれまで一度だって私の願いを断ったことがなかったし、恥をかかせたこともなかったもの」


「試合に勝ち、ぼくにリリルとの結婚を撤回させるつもりだったのではないですか」

 エリウスの声は穏やかで、決して責めるようなものではなかった。


 セシリアは、一瞬言葉を失い、そして短く息をついた。

「あなたはやっぱり利口だわ。でも、……それは、あなたのためを思ってのことよ。あなたにふさわしい王女がいます」


「ぼくにはわかります。それは姉上自身のためで、ぼくの幸せを思ってなどいません」

 エリウスの静かな声が、部屋の静寂をさらに深めた。

 セシリアが視線を逸らした。そして、あの夜のことを思い出していた。

 エリウスがまだ幼かったころ、眠れぬ夜に小さな手で彼女の指を握り言った。

「姉上、お嫁になんか、行かないで。どこにも行かないで、ずっとぼくのそばにいて」

 あの時の瞳のあどけなさが、今も焼き付いている。

 彼は成長し、立派な剣士となり、自分の足で立っている。

 でも、セシリアには、それが怖かった。もし、ふさわしくない誰かに連れて行かれてしまったら、王族の名が汚れるとか、宮廷の目を気にしたのではなく、ただ弟が取られてしまうことを恐れていたのだとわかっていた。

 「……正直、それは、あったかもしれないわ。あなたが遠くへ行ってしまうようで、さみしかった……」

 とセシリアはようやく言葉を返した。


 その時、厚い扉がゆっくりと開き、父王が姿を現した。年齢を重ね、年を取ったという印象は強いが、その威厳は失われてはいない。


「エリウス、これはどういう集まりかね?」

 王は広間を見渡しながら尋ねた。


  エリウスはリリルの背中にそっと手を添えた。

「父上、こちらがぼくの妻、リリルです」


 その言葉に、王の表情が一瞬硬くなったが、すぐに和らいだ微笑みを浮かべた。

「結婚、おめでとう。あのエリウスがこんな立派な剣士になったのかと思ったら、結婚までしていたのか。さて、リリルはどこの出身かね?」


「はい。私はエルナリス国の出身です」

 とリリルは緊張した声を出した。


王が尋ねた。

「ご両親は何をされているのか?」

リリルは、わずかにまぶたを伏せ、小さく息をついた。

「私は孤児です。両親のことは……わかりません」

 彼女がそう言うと、部屋には鉛のように重い沈黙が広がった。


「私がまだ幼い頃、村が戦争に巻き込まれて……燃えて、何もかもがなくなりました。煙の匂いと、誰かの叫び声だけを、今も時々思い出します」

 その声はしっかりとしていたが、リリルの瞳は、遠い過去を見つめているようだった。

「誰が亡くなって、誰が助けてくれたのかも、もうよく思い出せません。ただ、気づいたらひとりで、ずっと……ひとりで生きていました」

 彼女の言葉に、国王の白く太い眉がゆっくりと動き、やがて深い皺の刻まれた額がうつむいた。

「それは、国の責任である」

 王は低い声で言い、深く頭を垂れた。

「リリルよ、一人で生き抜くのはさぞ辛かったことだろう。本当に申し訳ない」

 その言葉にリリルは頭を下げ、小さく「ありがとうございます」とつぶやいた。


 父王がリリルに柔らかな視線を向けた。

「これからはそういう孤児を出してはならない。そのためにも、エリウスよ、そなたの力を貸してはくれないか」


「父上、ぼくたちはしばらく、旅に出ようと計画しています。もっと広く世界を見て学びたいのです」

「そうか。若者が世を知るのは良いことだ。だが、帰ってきた際には、その知識と経験を活かして、ぜひこの国を助けてほしい」


「ぼくに政治のことができるかどうかはわかりません。でも、エルナリス国には帰ります。ぼくたちの愛する祖国ですから」

 

 エリウスがリリルのほうを向いた。

「リリルはそれでいいのかい」

「はい。私も旅が終わったら、祖国に帰りたいです」


「では、旅が終わったら、リリルとともに、エルナリス国に必ず戻ります。父上は、それまで、お元気でいてください」 

 父王はその言葉を聞き、深くうなずいた。

「それでよい。ふたりの意思を尊重しよう」

 

 セシリアが小さくため息をつきながら口を開いた。

「エリウスったら、まったく、あなたのその頑固さには驚かされるわ」

「それは姉上譲りです」

  エリウスは微笑みながら返した。


「私のどこがそんなに頑固だというの?」

「姉上は、会いたい人がいるときには、どんな奇策を使ってでも会ったじゃないですか」


 セシリアはその言葉に目を細め、過去の思い出を懐かしむように微笑んだ。



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