3. リリルの幸せな時間
「じゃ、エリウスが私に見えるかどうか、試してみましょう」
セシリアはリリルに、部屋に行って、ウィッグやメイク道具、ドレスをもってくるように指示した。
「はいっ」
リリルは張り切って、部屋を飛び出した。
リリルは六ヵ月前に宮廷の裁縫部に応募して合格し服のお直しをしていたが、その腕が認められて、王女のお付きになったのはわずか二ヵ月前のことだった。
王女の部屋で掃除をしていた時、弟のエリウス王子が入って来たのを見た瞬間、リリルは恋の沼というものに、初めて落ちてしまっていたのだった。
「エリウス様って、なんてすてきなの」
ソフィラにそう打ち明けると、彼女もエリウス王子のファンで、追いかけをしているのだと教えてくれた。
でも、宮廷内には彼を推す女官がたくさんいるから、こんな下級女官の自分に、王子と口を聞けるチャンスなどないはずだった。
それなのに。
だから、彼の部屋を夜中に訪れて、そのねぼけ顔が見られたなんて、サイコーすぎた。
ソフィアにこのことを伝えたら、どんなにか羨ましがることだろう。そのことを想像したただけでも、楽しくて仕方がない。
リリルがエリウスの部屋に戻り、テーブルの上に、メイク道具を並べた。
それを不安げに見ているエリウスのことを、リリルはかわいそうでならなかった。
「エリウス王子様、どうぞ、こちらへ」
王子の名前を初めて呼んだ時、リリルの声が震えた。
リリルはエリウスを椅子に座らせると、セシリアがメイクをし始めた。
「リリル、よく見ておくのよ。明日はあなたがするのだから」
えっ。
次は、私がするのですか。
「は、はいっ」
光栄で、ございます。
セシリアがエリウスのすべすべの顔に色を塗るたびに、彼の顔は華やかになっていく。アイラインをいれて、頬に少しピンクの色を加えると、もともと女の子のようなエリウスの顔立ちが、ますます輝きを増していった。
「リリル、どう?」
「は、はい」
セシリアがエリウスの顔をリリルのほうに向けたので、部屋中に音が聞こえたのではないかと思うほど、胸がどきんとした。
「お美しいです。セシリア様より、いいえ、女子よりも、女子です。いえ、つまり、誰よりも、お美しいです」
リリルは舌がもつれて、何を言っているのか、自分でもわからない。
鏡の中のエルリスは、こわばった表情をしていた。
無理もないわ、とリリルは気の毒で仕方がなかった。
「ウィッグは、あなたがやりなさい」
とセシリアがリリルに言った。
私が!
「はいっ」
リリルは緊張して身体が固まり、唾を呑み込みこんだ。
ごくっ
「きみはだれ」
とエリウスが振り返った。
「はい。リリル、私はセシリア様の女官、リリルと申します。少し前から、王女さまの身支度などのお手伝いをしています」
「リリル」
エリウスが自分の名前を呼んでくれた。彼が名前を呼ぶと、ものすごく美しく、別の人の名前に聞こえた。
もともと名前もない孤児で、「小さい」から誰かが「リリル」と呼んで、それが名前になってしまったから好きではなかったが、今はそんなことはどうでもよい。
「リリルはいくつ」
「十六歳です」
「ぼくと同じだ。でも、リリルは小さくて、顔も子供みたいでかわいいから、十四歳と言っても、信じるよ」
「……まさか」
王子の言葉の中の「かわいい」という部分が、頭の中で、村の教会の鈴のように鳴り響いた。
村にいた時は、一度か二度、老人からかわいいと言われた気はするけれど、宮廷にはいってからは初めてだった。
「リリル、何をぼやっとしているの?手を休めないで」
「はい。セシリア様」
リリルは彼の髪の毛に触れながら、これまで生きた人生で、たぶん一番、の幸せの時なのではないかと思った。これまで、食べられなくて苦しい時も、恥ずかしい時もあったけれど、全部帳消し。人生、生きていたら楽しいことがあるって、誰かが言っていたけど、本当。
私の人生、楽しい。
リリルは彼の地毛をまとめて、その上に、慎重にその金色のウィッグをかぶせると、リリルの胸がまたまた高鳴った。
金色の髪が彼の頭にぴったりと収まり、それはよく似合っている。
「エリウス様、おきれいです、ほんとうに」
エリウスは少し照れたように微笑み、わずかに首をかしげてリリルに視線を送った。それが、リリルの胸をまたきゅっと締めつけた。天国状態が続いている。
王子がちらりと見せた微笑みや、顔のわずかな表情の変化のすべてが、リリルにとっては特別な瞬間なのだった。
ドレスを着せる際、その指がエリウスの体に触れるたび、リリルの心臓が跳ねるのだった。
彼の肌の温もりを感じ、リリルはその一瞬一瞬に幸せをかみしめながら、薄いブルーのドレスを整え、ピンクの紐のベルトを巻いた。
エリウスが鏡の前に立ち、自分の姿を確認しているのをリリルは見守っていた。
「どう思う?」
エリウスが鏡を見つめながら、軽く身をひねってみた。ドレスの裾がしなやかに揺れ、彼の姿勢に完璧に調和していた。
リリルはその美しい姿に息を呑んだ。正直なところ、セシリア様よりも美しい。誰よりも、美しい。
エリウスは少女のような繊細な美しさを持ちながらも、どこか神秘的な魅力を放っていた。リリルはその姿に感嘆して、胸の奥が焦げそうになった、というか、気絶しそうなくらいなのだった。
「まるでお姫さまのようです」
リリルは思わず口に出してしまった。あっ、これって、言ってよかった?
エリウスが少し照れたようにうつむいたので、リリルはその可愛らしさにまた心を奪われた。
その一連の作業の中で、エリウスがどんどん美しく変わっていくのを見て、リリルは心から幸せを感じていた。自分の手で彼を美しく仕上げることができた喜びは、一生の思い出だ。こういうなにもかも美しい人が、この世に存在するのだ、と知ったことを、いつか、子供にも、孫にも、伝えたい。
「これが私の夢だった。夢がかなったわ。早くソフィラに伝えたい」
リリルは手が震えながらも、最後の仕上げを終えたとき、エリウスは鏡を見つめ、その姿に驚いたように目を見開いた。
「ありがとう、リリル。これで姉上の身代わりができるかもしれない」
その言葉を聞いて、リリルは飛び上がりそうだった。リリルはエリウス様のためだったら、何だってしようと思った。
「そうね。よい出来だわ。リリル、頼んだわよ」
「はい。ええっ」
私、いったい何を頼まれたのですか。
「あなたが、王子のお付きとして行きなさい」
「はい。いいんですか、こんな私で」
「うまくやりなさい。絶対に、見破られてはだめよ」
「わかりました。私、絶対に、うまくやります」
エリウスは鏡をじっと見つめながらため息をつき、無理に笑おうとしたが、その表情はどこか苦しげだった。
「本当に、こんなことしていいのかな。ぼくにできるのだろうか」
「たった数日のことですもの。もちろん、できますよ」
とリリルが励ました。
「これもお国のためです。ふたりで、がんばりましょう」
エリウスはしばらく黙っていたが、やがて静かに頷いた。
「そうだね。リリル、がんばろう」
その一言に、リリルの胸が沸騰した。彼とはじめて、少しつながった気がして、やる気が噴水の水のように、空高く噴出した。
「はい。私、がんばります」