25. アストリウス国へ戻る
三年前、エリウスとリルルはアストリウス国から逃亡したが、今、ゼリアンとその妻カトリーヌとして、再び、その王都に戻ってきた。
ゼリアンの正体がばれることを心配して、カトリーヌが銀色の仮面を作った。その神秘的な輝きを放つ仮面に、漆黒のコートを纏った長髪の麗しい剣士のことは、瞬く間に人々の間で語られた。
招待剣士として、ゼリアンは城の眺めのよい来賓室を与えられた。彼が早速練習場へと足を運び、剣を振るう一方で、カトリーヌは城内を駆け巡り、情報を集め始めた。
当時、エリウス——いや、セシリアとして過ごしていた頃、彼の正体を知る者はいなかった。リリルの顔を知る者の中で、今も城に残っている者がいるかは定かではない。しかし、どうしても確かめたいことがあった。カトリーヌは、記憶のままにかつての部屋を訪ねた。
扉がわずかに開いたその瞬間、リリルは反射的に物陰へ身を隠した後、少しして顔だけ出した。
その部屋から現れたのは、忘れられないあの顔だった。
ソフィラ、穏やかな微笑みの奥に、強い意志と深い優しさを宿した女官。
長い栗色の髪をいつもきちんと束ね、目尻に少し皺が寄るものの、その輝く瞳は今も変わらず澄んでいた。
「ソフィラ……ソフィラ」
抑えた声が口をついて出た。
その声に反応して、女性は怪訝そうに振り返った。
「リルル。リルルじゃないの?」
「そう、私よ。リリル」
再会の驚きと喜びが一気に溢れ、かつてエルナリス王国で王女セシリアに女官として仕えていたふたりは、抱き合って、ぴょんぴょんと飛び上がった。
でも、なかなか言葉がでなくて、ただじっと見つめ合ったり、かと思うと笑ったり、涙を流したり、そしてまた抱き合った。
「ソフィラ、あなたが生きていてくれて、本当にうれしい」
ソフィラの瞳も優しく潤み、ゆっくりと頷いた。
「リリル、ずっとあなたのことを心配していたのよ。無事だったのね」
ソフィラが喜びすぎて、リリルの身体を揺すった。リリルはこくりと頷くと、問い返した。
「ソフィラこそ。セシリア様が、王妃になられたって本当なの?エルヴィン様に会いに行かれた後、姿を消されたはずじゃ。手紙に、そう書いてあったわよね。あれから、どうしたの?」
その言葉に、ソフィラは辺りを見回し、声を潜めた。
「しっ、声を落として。誰かに聞かれたら、大変よ」
「ごめんなさい。でも、聞きたくて、待ちきれない。セシリア様の身代わりの件は? レオナルド陛下が気づかないはずないでしょう?」
問い詰めるような視線に、ソフィラはちょっと迷いを見せたが、すぐに微笑んだ。
「それが、ややこしいのよ。ここでは、無理」
彼女はリリルの耳にささやいた。
「ね、エリウス様は? ご無事なの?」
「ええ。エリウス様は、今回、『ゼリアン』という名で、武術大会に招かれているの」
その名を聞いた瞬間、ソフィラの目が見開かれた。
「まさか、あのゼリアン様が、エリウス様? 信じられないわ。宮廷では、彼の話題で持ちきりよ。ちょうど今、練習場に出られたと聞いて、見に行こうとしていたところ」
ソフィラは興奮を隠しきれず、少女のように頬を紅潮させた。
「ねぇ、本当に、セシリア様はレオナルド陛下の王妃なの?」
リリルが改めて問い直すと、ソフィラはふっと視線を逸らしながら、答えた。
「ええ、そうなの。でも、話せば長くなるわ。どこから話せばいいのか。今夜、私の部屋に来て」
「それなら、私の部屋に来て。北棟の来賓室よ。聞きたいこともあるし、伝えたいことも、たくさんあるもの。ゆっくり、お話がしたいわ。エリウス様も、きっと話を聞きたいでしょうから」
「私もぜひ、エリウス様に、お会いしたいわ」
「じゃ、今夜ね」
「でも、エリウス様がどうして剣士になられたの?昔は、そんなに強くなかったでしょう」
「そうなのだけど」
リリルは微笑み、少し得意げに囁いた。
「ではね、夜になる前に、一つだけ教えてあげる。エリウス様は今、私の夫。結婚したのよ」
「うそ……ほんと? まあ、信じられない。リリルは昔から、エリウス様が大好きだったものね」
「あなたもね。でも、まさか私がエリウス様の花嫁になれるなんて、夢にも思っていなかった」
「実は私も、婚約者ができたの。親衛隊の隊員よ。元は門番だったけれど……。彼がいなければ、今の私はなかったわ。セシリア様も」
その言葉に、リリルの目が丸くなる。
「それって……どういう意味?」
「「ふふ、それも今夜話すわ。早く夜にならないかしら。夜に手があったら、その手を引っぱりたい。待ちきれないわ」
「ほんとうね、ほんとうね」
そして、晩餐会が終わり、外がすっかり暗くなった時、ソフィラはそっとやってきて、ゼリアンの部屋をノックした。




