24. プロポーズ
ふたりが旅の準備を進めていたある日、ゼリアンは兄弟子のモンタグリに道場へ呼び出された。
「ゼリアン、アストリウス国の剣術大会に、優勝者であるきみ宛てに招待状が届いた。模範演技を披露してほしいそうだ」
「すみません。でも、ぼくはアストリウス国に行くつもりはありません。春になったら、もっと広い世界を見るために、旅に出ようと思っているのです」
モンタグリは眉をひそめ、静かに言った。
「ゼリアン、きみはサラカレ大会の誇り高き優勝者だ。そのきみが剣を志す若者たちに手本を示すこと、それもまた、勝者としての義務ではないか」
そう言って、彼は一通の手紙をゼリアンの前に差し出した。
「君だけではない。サラナントの歴史ある三道場に、同じく特別招待状が届いている。われわれ国立道場を代表して、きみが模範を示してほしい。師範もそう望んでおられる」
ゼリアンは、その場で返事をすることができなかった。
その夜、食堂の片付けをしていたとき。皆が去って静まり返った空間で、ゼリアンは隣にいたカトリーヌにぽつりと問いかけた。
「カトリーヌ。ぼくは……三年前と比べて、どれくらい変わったと思う? 昔の知り合いが見たら、ぼくだと気づくだろうか」
カトリーヌは、手を止めてゼリアンの顔を見つめた。
「それは……アストリウスへ行けば、かつて『セシリア様』だったことが露見するかどうか、ということですよね」
「それなんだ……」
カトリーヌがゼリアンをじろじろ見ながら、彼の周りをゆっくりと歩いた。
「セシリア様がエリウス様だったこと。そして、エリウス様が今のゼリアン様だと気づける人は、いないでしょう。でも、レオナルド陛下は例外です。鋭い目をお持ちですから」
「それでも、招待されたからには、大会に行ってみようとは思っている。でも……」
「でも、万が一、素性がバレてしまったら、ということですね」
ゼリアンは静かにうなずいた。
「だから、リリルには、ここで待っていてほしい。模範演技を披露したら、すぐに戻る。そしたら、一緒に旅に出よう。世界を見てまわろう」
「いいえ。私は待ちたくありません。何があっても、一緒に行きたいです」
リリルは必死に涙をこらえながら答えた。けれど、目には涙がいっぱいに浮かんでいて、小さな鼻が赤くなっている。
「わかった。そうだね。ぼくたち、この三年間、一日も離れたことがなかった」
ゼリアンは優しくリリルの頭を撫でた。うん、とリリルは小さくうなずいた。
「ところで、カトリーヌ。いくつになったの?」
「え? 私たちは同い年ですから、十九歳ですよ」
「適齢期だね」
「そんなの、とっくに過ぎています」
少し拗ねたように、リリルは顔をそむけた。
「怒った顔も、かわいい」
「えっ、どうしたんですか、急に。そんなこと、言われたのは初めてです。びっくりします」
「驚かせたかったんだ。でも、ここからが、本番だよ」
「本番?」
ゼリアンは、どこかぎごちない動きをしながら、ゆっくりと片膝をついた。ゼリアンが緊張しているのを見て、リリルも固くなって、心臓の音が高鳴り始めていた。あたりは静かすぎて、風の音さえ、消えてしまったようだった。
ゼリアンの美しい瞳が、まっすぐにリリルを見つめていた。
「リリル、ぼくと、結婚してくれませんか」
「えっ……これって、私を驚かせるための冗談、ですよね?」
「冗談じゃないよ。真剣だ。リリル、ふたりで、アストリウスへ行こう」
「本当ですか」
リリルの瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「うれしいです。ありがとうございます。でも、できません」
「どうして?」
「私は、エリウス様と一緒にいられるだけで幸せなんです」
「結婚はいやなの?」
「ちがうんです。エリウス様のこと、大好きです。でも、私の好きな気持ちは、そのお顔が美しいとか、恰好がよいとか、そういうことから始まったことで、内面のことなど、どのくらい理解しているか、自信がありません。私は孤児で、学もなく、エリウス様のことをどれほど理解しているか、わかりません。メイドとしてならお役に立つかもしれませんが、結婚したら、きっとすぐに飽きられてしまうと思います」
「三年間、一度だって飽きたことなんてないよ。リリルは、ぼくに飽きたの?」
「いいえ。飽きるなんて、そんなこと、あるはずがないじゃないですか」
「じゃあ、どうしてそんなふうに思うの?」
「食堂で、毎日たくさんの人の話を聞いてきました。『結婚したら、もう好きじゃなくなる』とかって、そんな話ばかりだったから」
「リリルほど、ぼくのことをわかってくれている人なんていない。むしろ、ぼくのほうが、リリルのことをどれだけわかっているのか、不安になるよ」
「エリウス様は、私のことをよくご存じです。私なんか、底の浅い人間だから、わかりやすいんですよ」
「なにを言っているの? ぼくは、リリルのことを全然わかっていないよ。だって、プロポーズを断られるなんて思わなかった。リリルは、喜んでくれると思っていた」
「喜びましたよっ。うれしかったんです。でも」
「『でも』、で終わらせるのは、ぼくたちらしくないよ。ぼくたち、一度や二度で諦めるコンビじゃないよね」
リリルは苦笑して、ゼリアンの手を握った。
「こんな私で、いいのですか?」
「うん。リリルじゃなきゃだめなんだ。こんなに人を愛したのは、人生で、二度目なんだ」
その言葉を聞いて、リリルは彼が本当のことを言っているとわかった。そして、その『一度目』に愛した相手が誰なのかも。
「こういうときって……『初めて』って言うものじゃないんですか?最初の人のことは、忘れてください。あの方は幻想ですから」
「そうだったね。じゃあ訂正するよ。こんなに、誰かのことを大好きになったのは、リリルが初めてだ」
リリルの瞳に、ぱっと笑みが灯った。
「はいっ。エリウス様、ふつつか者ですが、私を、お嫁さんにしてください」
リリルは、こんな日が来るなんて、夢にも思っていなかった。姉弟のように一緒に暮らせるだけで、もう十分だと思っていた。けれど、ずっと心の奥では、こうなることを、願っていたのだ。




