20. 初めての詩
蘭の丸いつぼみが、ゆっくりと芽を出し、やがて息をのむほど美しい花を咲かせるように、ひとりの人が成長してゆく様子は、なんと不思議で、心を打つものだろう。カテリーナは、ゼリアンの成長を見つめながら思った。
最初の頃は、ただひたすらに基礎練習の繰り返しだった。
それでもゼリアンは、木刀がぶつかったりして、体中どころか顔にまで青あざを作っていた。山間の家まで帰れず、よく食堂に泊めてもらうこともあった。
「こんなにきれいなお顔に傷がつくなんて、困る。ああ、なんてもったいない」
カテリーナがそう嘆いたのは、一度や二度ではない。
毎年開かれるサラカレで剣術大会が開催される。
一年目のゼリアンは、初級の部ですら出場を許されなかった。
その頃から、彼は食堂の料理の手伝いも始めた。オーナーの老人に教えを受けながら、料理の腕は着実に上達していった。
「剣術はもうやめて、料理の道に進んだらどうだ。わしが引退するときは、この店を譲ってやってもいいぞ」
そんな冗談を言われることもあった。
それでも、どれだけ傷が増えても、ゼリアンは道場に通い続けた。
「まだ前のあざが消えていないのに、また新しいのができています。痛くないの?」
カテリーナが冷やしたタオルをそっと彼の頬に当てながら尋ねた。
「痛いけどね。でも、あるところまで行くと、ふと気持ちが楽になるんだ」
「やっぱりゼリアンって……」
カテリーナの顔が少しこわばる。
「なに?」
「少し変わっているというか、マゾ系なのかしら?」
「そんな言い方はやめてほしい」
とゼリアンは苦笑した。
「旅の途中、毎日ひたすら歩いていて、もうダメだって思った直後に、急に身体が軽くなる時ってあるだろ?」
「あったかもしれない」
「走りでも、上りでも同じだ。もう限界だと思っても、その先にふっと楽になる瞬間がある。僕の痛みも、それに似ている。ピークを越えると、ふしぎと楽になるんだよ」
「へぇ。そういうもの?」
「だから、こうやって、その瞬間を待っている」
「へぇ」
カテリーナは、ゼリアンの話をいつもとても興味深く感じていた。
彼はいつも飾らず、まっすぐに心のうちを言葉にできる人だ。セシリアとして生きていた頃は、声を出さないように、できるだけ話さないようにしていたから、彼のそんな魅力に気づけなかった。
でも、今では、彼が食堂に帰ってくるのが楽しみで仕方ない。
一年目に大会に出られなかった後、ゼリアンの剣術は目を見張るほどの速さで上達していった。体つきも、次第に逞しくなっていった。
「どれだけ練習しても、なかなか上手くならない。でも、ある日突然、今までできなかった技ができるようになる。それって、一段ずつ階段を登るというより、一気に五段飛ばしで跳ね上がる感じなんだ」
「へぇ」
カテリーナは目を丸くしてゼリアンを見つめた
「カテリーナって驚くと、いつも『へぇ』しか言わないけど、他に言葉はないのか?」
「……考えます」
カテリーナは真面目な顔でそう答えた。それは嘘のない、本心だった。もっと、感動をうまく伝える人になりたい。
ゼリアンは、高みを目指して日々鍛錬を重ね、確かに成長している。
それに比べて、自分はこのままでよいはずがない。
このままでは、置いていかれてしまうかもしれない。そんな焦燥が、カテリーナの胸に広がっていた。
私も、もっと自分を磨きたい。
これまでの自分ときたら、勢いだけで話し、言葉を選ばなかった。これからはもっと表現力があって、それから、少しでも品格のある女性になりたい。
自分は字が汚いから、まずは字をきれいに書きたいと思い習字を始めた。それから「詩」というものも習うことにした。
あのセシリア時代、退屈を持て余したエリウスが、よくベッドの上で詩集を読んでいたのを思い出したからだ。
ある日、稽古から戻ったゼリアンは、食堂の支度部屋でカテリーナが書いた詩を見つけた。
「戸が開くと、あの人が帰ってきたのかと思います。
天狗山を見ると、あの人のことを思います。
いつもあの人のことを思っています。
けれど、あの人は今、稽古に夢中で、
その心には私はいない。
私は、いったいどこに行ってしまったのでしょうか」
詩を読んだゼリアンは、思わず吹き出して笑った。
「それ、私が初めて作った詩なの」
カテリーナは彼の手にある紙を見て、顔を真っ赤にし、慌てて取り返そうとした。
「あの人って……ぼくのこと?」
彼が茶化した目で言った。
「違います。どうしてそう思うんですか?」
「だって、天狗山とか、稽古とか書いてあるし」
「でも、ちがいますよ。想像の人です」
恥ずかしさに押しつぶされそうになって、カテリーナは今にも泣き出しそうな顔をした。
「恥ずかしがることないよ。すごく素直な気持ちが書かれていて、いい詩だと思う」
「ほんとうにほんとう?」
「うん。ちょっとだけ言葉を直せば、もっと良くなる」
「じゃ、直してください」
「わかった。こっちへおいで」
その日から、カテリーナはゼリアンから勉強を教えてもらえるようになった。
学校というものに通ったことのないカテリーナにとって、それは胸が躍るほどのうれしい出来ごとだった。




