19. 山の上の家
モンタグリについに弟子入りを許されたその夜、ゼリアンはカトリーヌが働く食堂に立ち寄り、うれしそうに報告した。
「ぼくはね、今まで何かを断られたことがなかったんだ。でも、今回は何度も何度も断られて、何もできない人間だと思ったりしたけれど、……それなのに、途中から、だんだん楽しくなってきたんだ」
「それはすごいじゃないですか。でも……」
エリウス様って、意外としぶとい。才能がないとか言われた上、あんなに断られ続けるのだから、よその道場を当たったほうがよいのかと思っていたのだった。
もしかして、少しマゾっ気があるのかも?
カトリーヌ、いやリリルは、思わずそんなことを考えた。
それがいいことかどうかはともかく、あの気品まで失ってしまわないかと、ちょっと心配になってきた。
「この食堂で、ぼくも働きたいのだけれど、仕事があるだろうか」
「えっ、なんですって」
「店の主人に聞いてみようと思うんだけど」
「だめですよ」
とリリルが慌てた。「働くのは私にまかせて、ゼリアンは剣の修行に専念してください」
「でも、カトリーヌだけに働かせるなんて、いやなんだ」
「その気持ちはうれしいですけど……」
「それに、ぼくも働けば、もっと広い部屋を借りられるかもしれないし」
それはそうなのだけれど、今まで王子だった彼に何ができるのだろうか。
「何でもやるよ。皿洗いでも掃除でも」
この食堂は年配の夫婦が営む小さな店で、常に人手不足だった。けれど、王子に皿洗いをさせるなんて無理。
「掃除なら、道場の掃除で慣れて、得意になったからね。孤児のゼリアンは、何度断られても諦めないんだよ」
その言葉に、カトリーヌはかなり感激していた。そうなのだ、彼は、本気でねばる気なのだ。
「それに……カトリーヌの帰りをひとりで待つのは、いやなんだよ」
その言葉には、リリルは泣きそうになった。
「わかりました。じゃ、一緒に働いて、一緒に帰りましょう」
結局その晩から、ゼリアンは剣の稽古のあと、食堂で皿洗いや片付け、掃除を手伝うことになった。
もしあの姉のセシリア王女がこれを知ったら、ただでは済まないだろう、とリリルは思わず身震いした。
でも私は、カトリーヌで、彼はゼリアン。今は、別人です。
とはいえ、王女のセシリア様は今、どうしておられるのだろうか。生きていらっしゃるのだろうか。祖国の情報は、ここまで何ひとつ届かない。
そんなある日、食堂に来た客が話していた。
「アストリウスのレオナルド王、また領地を増やしたらしい。ここ数ヶ月で、二つも……。まるで狂ったように戦いをしている」
カトリーヌは冷や汗をかきながら、そのことは胸の奥にしまい込んだ。アストリウスでのことを忘れて、剣の稽古に打ち込んでいるエリウスに、陛下のことを思い出させたくはない。
ある日、カトリーヌが笑顔で報告した。
「ついに、探していた家を見つけました」
「家? 部屋じゃなくて?」
「ええ、一軒家よ。それが、とても安いの」
「もしかして、あばら屋?」
「それが、かなり立派な家です。古いけれど」
「立派で、安い?じゃ、お化けがでるとか」
「そうじゃなくて、場所が少し変わっているだけ」
「どこ?」
「あの山の上。天狗山よ」
指の先には、小さな山が見えていた。標高は二百メートルほどだろうか。
「遠すぎないか。なぜ、そんなところに?」
「それはね」
カトリーヌは声を潜めるように笑った。それは、ゼリアンのために考えたトレーニング計画のためなのだった。
「重いものを背負って坂を登ると、体幹が鍛えられるらしいのよ」
「重いものって……?」
「わたし」
と、カトリーヌは自分を指差した。
「ゼリアンが私を背負って、私が灯りで道を照らすの。よい考えでしょ」
「いや、それ、できる気がしないけど」
「最初はできるところまででいいの。そのうち、頂上まで行けるようになるわ」
カトリーヌはゼリアンに屈んでみてとジェスチャーで示して、その背中に乗ってみた。
「どう?」
「カトリーヌは軽いから、できるかもしれない」
「ほんと? じゃ、ちょっと歩いてみて」
カトリーヌが灯りを掲げながら言うと、ゼリアンはおそるおそる立ち上がった。背中のバランスを気にしながら、少し歩いてみる。
「なんか、行けそうな気がしてきたぞ」
「私たち、けっこういいチームかもね」
「これ、たぶんだけどさ」
「なに?」
「楽しいかも」
ばかねぇ、とカトリーヌはゼリアンの背中を叩いて、うれしそうに笑った。




