13. レオナルドの愛
レオナルドの心の中には、セシリアのことがますます深く刻まれ、その思いは強くなるばかりなのだった。
セシリアのその優しさ、その無垢な美しさ、そしてその純粋で誠実な心が、彼を捉え、離さなかった。いや、そういう理由ではなく、ただセシリアへの思いが消えないのだった。それはただの恋ではなく、心の奥底から湧き上がる、抑えきれない想い。
レオナルドは恋という底なし沼の深みに引きずり込まれ、自らの感情に翻弄されていた。でも、そこから這い上がりたいとは思わないのだった。
その日、リリルがエルナリス国の女官仲間に送った手紙の返信が届いた。ソフィラは王女セシリアと城を出たきりで戻って来てはいない。嫁いだ後は、王妃と行動をともにするので、こちらに戻る予定はない、という内容だった。
「ということは、ソフィラはセシリア様を見つけて、行動をともにしていると考えられるのでしょうか」
とリリルはエリウスのほうを向いた。
「それなら、なぜ、ここに来ないのだろうか」
「そんなこと、わかりません」
とリリルが裁縫の仕事に戻った。
「リリルは、この頃、機嫌が悪いね」
エリウスが近づいてきて、リリルの顔を覗き込んだ。
「こんな時に、機嫌がよい人がいますか」
「それはそうだけど」
「エリウス様、……」
「なに」
「言いにくいのですが。エリウス様は、そんなにキスがお好きなのですか」
「リリルは、どうしてそんなことを言うの?」
「あまりキスばかりすると、大変なことになりますよ」
「ぼくからはしていない」
「受ければ、しているのと同じです」
「そうかな」
「エリウス様には、危機感がありません。署名の時に、次はと言われたのを覚えていますか」
「うん」
「エリウス様が裸にされたら胸はないのですし、もうすぐに男だとばれてしまうのですよ。陛下の興奮を誘うことはおやめください」
「わかった。ぜったいに、裸にはならないから」
問題はそこではない。エリウス様は、わかっているのかなとリリルはいらいらしている。
翌朝、レオナルドは待ちきれずに、セシリアを庭園へと誘った。
彼はセシリアがそばにいないと、彼の心は不安でいっぱいになり、何も手につかなくなってしまうのだった。最初は女性のために国を滅ぼされた国王の愚かな話などを思い出して謹んではいたが、今では、もうどうでもよいという気持ちになっていた。流されるものなら、流されてみようではないか。
恋とは恐ろしい。
人の心を変え、時にはそれが命をも揺るがすものとなることを、リリルは聞いたことがあるが、それが目の前で起きていた。
その日、ふたりが庭園を歩いている時、白い花びらがセシリアの髪にほろりと落ちた。陛下はその花びらをそっと取り除き、その指がその髪に触れた。
その時、レオナルドは指を止めて、深い眼差しで見つめた。
「セシリア、あなたは、本当に魅力的な方です」
エリウスが、恥ずかしそうに、目を伏せて微笑んだ。
「ありがとう……」
その言葉に、陛下は一歩踏み込むようにして続けた。
「セシリア、私は、あなたのことが、本当に好きなのです。胸をひらいて、見せたいほどです」
それを聞いたエリウスの胸は、きりで刺されたように痛んだ。
陛下が自分をどう思っているのかは、前から、はっきりとわかっていた気がする。でも、それにどう答えればよいのかはわからないまま、時間が過ぎていったのだ。
「セシリア、愛しています」
レオナルドがその唇にキスをした。
「……陛下……」
エリウスの声が震え、陛下の吐息が、エリウスの頬にかかった。
「セシリア、あなたは美しい。まるで、この世のものとは思えないほどです」
その言葉がエリウスを包み込み、彼の心は揺れ動く。だが、その愛情があまりにも深く、あまりにも真摯すぎて、こわすぎる。
レオナルドの指がエリウスの髪を優しく撫で、顔に触れ、顎を持ち上げた。
「セシリア、あなたをもっと近くに感じたい」
その声が、エリウスの心をさらに乱し、目の前に広がる暗い海に引き込まれそうになった。
だが、レオナルドの瞳の奥に宿っていたのは、ただの愛情だけではなかった。それは、抑えきれない欲望、そして、自分の内に湧き上がる衝動だった。
エリウスは、彼の瞳の中に恐怖を感じた。それと同時に、陛下の唇が再び彼に迫ろうとした瞬間、エリウスは必死に顔をそむけた。このまま続けるわけにはいかない。
「……お待ちください」
震える声で、彼は叫んだ。その心は嵐のように乱れていた。
「セシリア、なぜですか?私は、あなたのことを愛しています」
その言葉が、エリウスの胸をさらに苦しませた。彼は涙を浮かべながら、陛下を見上げた。
「……陛下、私は……」
エリウスは言葉が出ない。喉が締め付けられ、どんな言葉も口にできない。彼の心は、自分が抱える秘密と、陛下に対する愛情との狭間で引き裂かれようとしていた。
「セシリア、どうか、私を拒まないで」
その切ない声に、エリウスは深く胸に突き刺さった。彼は、どう答えればよいのか、わからなかった。
その瞬間、二人の間に重い沈黙が流れた。まるで、世界のすべてがその時だけ停止したかのように。
「失礼します」
リリルがエリウスの腕を取り、部屋に戻ろうとしたその時、レオナルドが再び動き出した。
「セシリア」
レオナルドはエリウスの別の腕を強く捕まえ、正面を向かせて、その唇に激しく、自分の全てを込めたようなキスを重ねた。それは、エリウスが予想もしなかったほど熱烈だった。
エリウスは一瞬、身体が硬直した。全身に寒気が走り、動けなくなった。だが、レオナルドはその反応に構わず、さらに深くキスをしようとした。
「陛下、待って」
その声は、震えていた。
「セシリア」
「私は、まだ、その……」
エリウスが言葉に詰まると、陛下はじっとその目を見つめていた。その目には、疑問と混乱、そして深い愛情が宿っていた。
「セシリア、なぜ、そんなに私を拒むのですか?もう結婚したではないですか」
「それは、」
「何か理由があるのですか?」
エリウスの心は、陛下の愛情を受け入れたいと思っていた。しかし、それはできないことであると、深い恐怖と罪悪感が彼を押しつぶすように感じさせた。
「セシリア、私は、あなたのことを愛しています。あなたの過去も、感情も、すべてを知りたい」
レオナルドはその手を強く握りしめ、彼に心からの願いを込めて言った。
「陛下……」
エリウスは瞳を涙でいっぱいにして、レオナルドを見つめた。その瞳に映る愛と苦悩が、彼の心に深く刺さった。
「セシリア、どうか、私を信じてください。私を信じて、すべてをゆだねてください」
その声がエリウスの心を締め付け、彼は答えることができず、ただ涙を流すばかりだった。
エリウスは陛下の手を振りほどき、庭園を必死に走り出した。
足の速いリリルが追いかけ、彼を助けるためにその手を引いた。エリウスは靴を脱ぎ捨て、懸命に走った。
部屋に戻り、ドアを閉めて鍵をかけた後、エリウスはベッドに倒れ込み、声を殺して泣いた。
そして、心の中で自分の気持ちに気づいた。彼は陛下を愛してしまった。でも、このままではいけない。




