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1. 嵐の夜

エルナリス王国の古城を、どこか不安げな空気が包み込んでいたのはこの空模様のせいだけではないだろう。


 遠くで雷鳴が轟き、大嵐の予兆が城全体をざわめかせていた。古びた石壁に黒い影が揺れ、風が窓を激しく叩いている。


 その部屋の窓辺に、王女セシリアがひとりたたずんでいた。風が窓を叩く音は、彼女の胸をますますかき乱した。燃えるような瞳で夜空を見上げ、震える唇から言葉が漏れた。


「会いたい……」


 その声は次第に涙声に変わり、震える唇から言葉とため息が続いた。


「どうしても、エルヴィンに会いたい……」


「セシリア様、それはもう決まったことですから、お忘れください」

 お付きの女官のリリルが言った。


 その夜の当番の女官はソフィラとリリルのふたり。ふたりとも下級女官で、リリルは十六歳の若さ。服の修理が得意で、走るのが速いことが特技だった。一つ年上のソフィラのほうは、壁に寄りかかりながら眠っている。


 けれど、リリルの言葉など風の音に消されて、王女の耳には届いていない。


「そうだわ、エリウスに頼んでみよう」

 

 エリウス、その名前を聞いただけで、リリルの心が波立った。

 

 でも、エリウス王子に、何を、頼むの?


 セシリアは突然部屋を飛び出し、冷たく硬い石の廊下を駆け抜けていった。


「セシリア様、お待ちください」 

 

 リリルがガウンを羽織り、蝋燭をもって、王女を追いかけた。


 セシリアはエリウス王子の部屋にたどり着くと、勢いよく扉を開け、眠っている弟に駆け寄った。そして、彼の肩を揺すりながら叫んだ。


「エリウス、起きなさい。起きなさいったら」

 

 十六歳の弟のエリウスは目をこすりながら、寝ぼけた声で答える。


「姉上……もう朝なのですか? 婚礼の迎えが来たのですか?」

「違うわ、まだ夜よ。迎えは明日」


 セシリアは焦りと不安が入り混じった様子で告げる。しかし、その目には、決意の光が宿っている。


 エリウスは姉の異常な様子に気づき、目をこすった。

 

 追いついたリリルが蝋燭を近づける。エリウスの寝起きの顔が浮かびあがり、そのかわいらしさに胸がキュンとした。


「姉上、一体何があったのですか?」


「エリウス……私はどうしても、エルヴィンに会いたいの」


 セシリアは目を潤ませながら、震える声で告げた。

 エリウスは驚いて、心配そうな顔で、瞬きをしながら姉を見つめた。

 

 エルヴィンは農家の息子だが、子供の頃、セシリアと同じ道場で剣術を習っていて親しくなった。今、彼は陸軍兵士で、地方に派遣されている。恋人だったというのではない。ただの幼なじみ。


「でも、姉上、明日はレオナルド・フィリス国王の元へ嫁ぐ日ですよ」


「だから……」

 セシリアが顔を歪めると、はらはらと涙がこぼれ落ちた。

 

 エリウスはこれまで、気が強い姉が泣くというとこは、見たことがなかった。

 姉上は、それほどまでに悲しんでいる。やっぱり結婚がいやなのかい。


 泣き続ける姉を見ると、「だから、あの結婚はやめておいたほうかよいと言ったではないですか」とは言えない。


 つまるところ、姉が決めた結婚なのだけれど、もっと強く反対すべきだったという後悔の痛みが広がり、頭は氷水をかけられように凍ってしまい、今になってはどうしたらよいのかなんてわからない。


 そんなエリウスの苦しい表情を見ていると、リリルの胸は、外の嵐にも負けないくらいざわめくのだった。


              *


 王女セシリア様は十九歳。王女の婚姻年齢としては、早いほうではない。しかし、王女がもてなかったわけでも、うじうじした性格ではなく、その反対。

 

 女性でありながら剣術の達人でもあり、自分の意見ははっきりと言い、いくつもの縁談をきっぱりと断ってきた。

 

 けれど、今回のレオナルド国王との縁談は、向うが前代未聞なほど積極的で、提示された結納金というのが莫大なのだった。 


 最初はもちろん、セシリアはオナルド・フェリス国王の辺境の土地になんか嫁ぐのがいやだと拒否した。セシリアは主都で育った都会好きの活発な王女なのだった。


 しかし、国王を始め重鎮たちの話を聞いていくうちに、こう思ったのだ。


「ああ、私の生まれた国エルナリスは、かつて誇り高い国だったわ。豊かな土地と人々の笑顔が溢れていたのに……」

 彼女の瞳には、過去の栄光の日々が映った。


 セシリアとエリウスの父は二百年の歴史を誇る伝統の国エルナリスの国王だが、この国は今は経済的にとても困窮している。

 

 しかし、一方のレオナルド・フィリス国王の国アストリウスは新興国だが、今や、一番勢いがあり、領地を増やし続けている。


 アストリウス国は名門の血筋がほしく、エルナリス国はお金がほしい。鉱脈を有するレオナルド王が、巨額の結納金を提示し、アストリウス側がそれに飛びついたというわけだった。


エリウスはこれが政略結婚で、しかも、姉が田舎の生活が似合うとは思えないので、この結婚には反対していた。


「エリウス、考えてみて。私が嫁ぐことで、この国に堤防ができるの。あの崩れかけた橋も修復される。貧しい子供たちが安心して暮らせる施設だって建てられるのよ」


「でも、姉上……そのために、自分の幸せを犠牲にしてしまうのですか?」


「きっと、それが王女として生まれた私の使命だと思うの。それに、私もいい歳だし、王妃になれる最後のチャンスよ。そのうちに、レオナルド王は世界を征服するかもしれないし」

 とセシリアは笑ってみせた。


 しかし、この婚姻が整うまでにはいくつかのごたごたはあったのだが、そのたびに、支度金が増額され、とにかく、輿入れは決まったのだった。


「今は、戦乱と飢饉によって国民は疲弊し、希望を失いかけている。でも、私が嫁ぐことで、昔を取り戻せるかもしれない」

 セシリアは献身的な決断に、ひとり高揚していた。


 でも、都会が大好きなセシリアだから、寂しい僻地での生活ができるかどうか、そこには、やはり不安があった。


 それを察した継母のアイリーン王妃がこう提案した。

「それでは、セシリア王女様、田舎にお慣れになるまで、弟のエリウス様に一緒にいていただくというのは、いかがでしょうか。あなた方は仲良し姉弟ですもの、おふたりなら、さみしくはないでしょう」


 継母のアイリーンは三番目の王妃で、一番目の王妃は長男を出産後に離婚、二番目が姉弟の母親ユリアで、彼女はすでに亡くなっていた。

 アイリーンにはすでに子供が三人もいたので、実は、このふたりの姉弟は目の上のたんこぶなのだった。

  

 エリウスを連れて行き、しばらくあちらで一緒に暮らす、というのは、悪くはない考えだわ。あの継母の考えとしては上出来、とセシリアは思った。


「エリウス、アストリウス国まで一緒に来て、しばらく一緒に住んでくれる?」

「ぼくは学校があるから、休みに行くというのでもいい?」

「一緒に来て。あの国には森がたくさんあるそうだから、外で馬に乗ったり、狩りをしたり、一緒に、楽しいことができるわ。それに、剣術も教えてあげる。学校なんか、少しくらい休んでもよくはなくって。ねっ、慣れるまで、一緒にいて」


「……わかったよ」

 弟はやさしいから、この姉の頼みを断らないことをセシリアは知っている。


「じゃ、決まりね」


 このようにして決まった婚姻で、セシリアは、明日、輿入れすることになっていたのだった。


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