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最終話 長い長い、おつかい

 暗い空に、走る光。そしてほどなく、轟音。


「雷が落ちた! 結構近い……」


 ルシルは、洞窟入り口から空を見上げた。

  

 え……!?


 ゴロゴロと、低い音が響き続けていた。しかしルシルは、まったく異なる異変を見つけてしまっていた。稲妻という自然現象だけではない、他の異変を。

 ルシルの瞳に映るのは、嵐の空を飛んでくるなにかの群れ。近付いてくる、黒い影――。


「あれは……?」


 ルシルが空を指差した、そのときだった。


『目覚めなさい――』


 雨風の音を超え、女性の声が聞こえる。


 夢で聞いた声だ……!


 頭の中でまた声が聞こえてしまったのか、とうろたえるルシルだったが、それにしても妙だった。なにか、内側ではなく傍からはっきり聞こえたような――。


「目覚めなさい。ルシル」


「きゃあっ!」


 ルシルは、叫び声を上げ尻もちをつきそうになった。

 洞窟の外に、額に角のある――一角人(いっかくじん)――ふたりの男女が立っていた。ひとりは老人、もうひとりは黒髪の女性であり、ずいぶん前からその辺りにいたのか、ふたりともずぶぬれだった。


 おばけかと……! 昨晩の女性の声は、もしかして、このひとだったの……?


「あ! あなたがたは!」


 ルシルの父グローイが、ふたりの一角人を見て驚く。


「来ていらしたのですね……!」


 え、どういう――。


「そっかあ! このひとたちが、赤ちゃんのときのルシルを隠して守ろうとしてくれてた、能力者さんなんだねえ!」


 理解が追い付かないルシルだったが、羊皮紙のリストが先にしっかり理解していた。


「はい。目覚めの近い女王を守ろうと、海を越えてまいりました」


 と、老人が深く会釈をし、


「女王。昨晩お休みのところお声がけをしてしまい、大変失礼いたしました。一刻も早く、目覚めていただきたくて――」


 と、黒髪女性が失礼を詫びた。女王として目覚めさせるため、外部からの働きかけとしてもっとも有効なのは、睡眠時なのだという。


 あれは夢じゃなくて本当に近くで語りかけてたのか……!


 神秘体験ではなく、実際にテントの外から呼びかけていたのか、とルシルは少々呆気にとられる。テントの外から中へささやいている図を想像すると、ちょっと滑稽に思えた。


「女王、グローイ! やつが、フィアライが、こちらに向かってきております……!」


 老人が、空を指差す。


「紙の男性も、そちらの剣士さんも、早くここから逃げて……! やつは、たくさんのドラゴンを率いている様子です!」


 黒髪女性が、リストとヒューに逃げるよう促す。魔法を使える一角人である彼女は、リストの正体を一目で見抜いていた。


 紙の男性。


 ルシルは、一部の表現にちょっとした引っかかりを覚えていた。しかし、そんな場合ではない。 

 稲妻に、照らされる黒い影。


 あ……!


 ルシルは見た。大きく赤いドラゴンの背に乗った、長髪の男を。そしてその周囲に付き従うように飛ぶ、小さなドラゴンたちを。


「俺は逃げません! 赤ドラゴンは、俺の家族や村の仇です!」


 ヒューが洞窟から駆け出し、剣を抜き構える。グローイも短剣を抜いた。


「フィアライ! 今度こそ、俺が貴様をあの世に送る……!」


 どこかで落雷の音。

 はっ、と息をのむ。気付けば目の前には――、


 銀の……! 


 空に広がる銀の髪、そして鋭い銀の瞳が、間近に迫っていた。

 ルシルも自分の剣を抜こうとしたが、その一瞬前。

 赤ドラゴンが急降下し、フィアライの伸ばした腕がルシルをさらおうと――。


「ルシル様!」


 一角人の老人と黒髪の女性の呪文が聞こえる。魔法の攻撃だろうか、フィアライめがけ走る光。一瞬、フィアライの邪悪な笑みが照らされる。衝撃音。


「きゃあっ!」


 浮上する、体。ルシルはフィアライに抱えられ、空へと連れ去られていく。ヒューの剣も、グローイの素早い短刀の動きも、すり抜けるようにドラゴンは上昇し始める。


「はははは! 雑魚ども! まったく、たいしたことはないなあ!」


 フィアライの嘲笑、そして、


 ゴウッ……!

 

 辺りが、赤に染まる。


 嘘……! 


 赤ドラゴンが、火を吹いていた。地上へ。グローイやリスト、一角人の能力者たち、そして――、


 ヒュー!


 ヒューのいた、場所へ。


「いやああああ!」


 ルシルは泣き叫んだ。どんどん遠ざかる、大地。燃えている、森――。


 そんな、嘘よ……! みんなが、みんなが……!


「あんた、ほんと悪者だなあ」


 え。


「え」


 ルシルの心の声と、フィアライの短い疑問の声と、一致していた。

 フィアライの、後ろ。赤ドラゴンの、背に乗る、リスト。


 リスト……! いつの間に……!


 リストは、後ろからしっかりとフィアライにしがみついた。


「軽くて気付かなかった? 僕、お買い物リストと、あぶり文字の手紙、あともうひとつ重要なお仕事ができるんだよね」


「貴様、なにもの――」


 フィアライが、目を見開き、かすれた声で問う。意味が分からない、そういった様子で。


「フィアライ、君を連れていくよ」


 リストは、微笑んでそう告げた。


「昨晩のたき火のエネルギー、今変換して放出するんだ」


「なにを――!」


 フィアライが、叫ぶ。

 ぼうっ、と音がした。

 炎、のように見えた。それは、熱のない、金色の炎だった。きっと、魔法の炎。リストが自らを燃やし、そしてその炎はフィアライを包む。ルシルを抱える腕が燃え――しかしルシルは熱もなにも感じられなかった――、消失していく、体。フィアライ、リスト、両者の。

 フィアライの、断末魔の叫びが見えた。この私が、まさか、紙ごときに、と呟いているように見えた。

 リストは――。


『元気でね。ルシル』


 微笑んでいるように見えた。


「リストーッ!」


 ルシルは、叫んだ。ルシルを抱えるフィアライの腕が、消えた。ルシルを連れ去ろうとしたフィアライは、もういない。打ち付ける雨、落下する雨、自分も、落下する、地上へと。


 落ちる……!


 ルシルは、引き抜いた剣を、赤ドラゴンの腹に突き立てた。


 ギャアアアア……!


 赤ドラゴンは叫び声を上げ、もがきながら飛行する。周囲の小さなドラゴンたちは、異常事態に戸惑い、威嚇の声なのか鋭い鳴き声を上げながら、暴れる赤ドラゴンの周囲を忙しく飛び回っている。


 リスト……! ヒュー! お父さん……! それから、一角人のひとたち……!


 ルシルは、雨風、目まぐるしく変わる風景――激痛に苦しみもがく赤ドラゴンは、上昇と下降を繰り返しめちゃくちゃに飛行していた――の中、襲い来る激しい感情に、なかば我を忘れていた。


 みんな……!


 悲しみの海の狭間で――、ふと静寂が訪れた。


『目覚めなさい』


 それは、母の声だったかもしれない。


『本当の幸せに、なってね』


 兄の声が聞こえた気もする。


『旅の中「人の大陸」を離れ、一角人として生きるのが、ルシルの幸せかもしれない、私たち、そう考えたんだよ』


 姉の、声。


 一角、人――。


『女王――』


 それは、あの一角人の能力者たちの声だった気がする――。


『目覚めなさい』


 光が、見えた。


 そうか。私は一角人の、女王なのだ――。


 気付けば――、ルシルの額に、角が生えていた。


 ギャアアアア……!


 赤ドラゴンの、咆哮。

 自分の体から、エネルギーが放出されていく。それは次第に赤ドラゴンを包み、その周囲の小さなドラゴンたちを包んでいく。


 え……。赤ドラゴンが……!


 ルシルは呆然と目の前の変化を眺めた。剣を突き立てたところから、徐々に赤ドラゴンの体が光を放ちながら消えていくではないか。


 赤ドラゴンが、消えていく……!


 そして、周囲の小さなドラゴンたちは、その形を変えていくように見えた。

 落下する、感覚。

 ルシルは落下していた。剣の先に、赤ドラゴンの体はなかった。あの巨大なドラゴンの体は、完全に消えてなくなっていた。

 

 これが、私の力――。


 周囲の小さなドラゴンたちは、飛膜のついたトカゲへと姿を変えていた。


 え。赤ドラゴンじゃ、ないの……?


 皆、消えることなくトカゲの形のまま、落ちていく。

 もうすぐ、地上に迎えられる。自分は、地面に叩きつけられるのだろうか。それとも、大木のてっぺんに、串刺しになってしまうのだろうか、風の中、ルシルは最期を覚悟した。


 ごめん。お母さん。お兄ちゃん。お姉ちゃん。私、お父さんやリストやヒュー、それから一角人のふたりのところへ、行くね。


 世界を征服しようとするフィアライも、人々の命を蹂躙する赤ドラゴンも、いなくなった。


 だけど――。


 五年にも渡る壮大なおつかいは、失敗したと思った。 




「ルシル……! ルシル……!」


 呼び声がする。

 夢の中かもしれない。

 雨の音も、嵐の音も聞こえない。

 止んだのかもしれないけれど、天国なのかもしれない。

 

「起きてください、女王……!」


 一心に自分を呼ぶ声。

 ここがどこかはわからないが、無視するわけにもいかないので――、目を開けてみる。


「よかった! ルシル! 無事だった……!」


 父に抱きかかえられていた。


 え!?


 夢かと思った。天国かと思った。でも――。


「お父さん……!」


 支えてくれる、ぬくもり。夢でも天国でもない、現実なのだと知る。

 喜びが、遅れてやってきた。


 生きてる……! 私もお父さんも……!


「能力者のおふたりの力で、安全に地上へ降りられたんだ……! ルシル、どこか痛いところはないか?」


 父のくしゃくしゃの顔、ふたたび。


「よかった――! 無事だったんだ――!」


 ルシルは父に、抱きついた。父の匂いに包まれて、胸がいっぱいで――、熱い涙が、とめどなくこぼれ落ちる。


「人型樹の実のおかげだよ。あの実は傷つけると、大量の果汁が霧状に噴出するんだ。それは、ドラゴンなどの特殊な炎から環境を守る効力がある」


 え。そうだったの!? 人型樹の実……!


 人型樹の実の思わぬ効力に、ルシルは心底驚き、そして――。

 振り返る。期待を、込めて。胸が、高鳴る――。


「ルシル」


 優しい顔が、あった。いつか見た海のような、青い瞳の――。


「ヒュー!」


 オレンジ色の夕日を背に、ヒューの笑顔が、そこにあった。




 帰る家は、どこだろう。


 私は、女王。一角人の皆の生活を守る――。


 強い魔法は、天の恵み。個人のためではない、皆を豊かにするもの。


『本当の幸せ――』


 あの日、兄と姉は、泣いてくれた。

 

「女王」


 迎えに来てくれた。一角人のふたり。

 一角人の老人が、ルシルの前に立つ。

 ルシルは、少し身構えた。

 一角人の大陸へ帰りましょう、そう告げられるのだろうと思った。


「女王は、まだおつかいの途中なのでしょう?」


 老人はルシルに、ただそう尋ねた。


「頼まれたことは、女王としてきちんと果たさねばなりますまい」


 え。


 老人の顔に刻まれたしわが、優しい形を形どる。


「おつかいを、果たしましょう。私どもも、護衛としてお供いたします」


 ええ!?


 黒髪の女性も、うなずく。


「おつかいに、五年かかりました。おつかいのあとのご自身へのねぎらいも、歳月をかけるべきと思います。女王の素晴らしいお力は、距離を超えます。お気のすむまで、お過ごしください。私どもも、こちらでゆるりとさせていただく所存です」


 にっこりと微笑む、一角人たち。


「私――。この世界にいても、いいの……?」


「女王の喜びが、皆の喜びです……!」


 ルシルは思わず、黒髪の女性に抱きついてしまっていた。とても懐かしい匂いがした。遠い日、赤子だったころのことを、どこかで覚えているのかもしれない。


「ルシル」


 ヒューの優しい声に、振り返る。


「本当にありがとう。俺の悲願を、代わりに叶えてくれて。心から、感謝している。それから――」


 それから、と言ってヒューは悲しそうな顔をした。


「守れなくて、すまない」


 リストを。あのときのルシルを。ヒューは、そう伝えたかったようだった。


 リスト――。


 震える肩を、父グローイが支えてくれた。


「じゃあ……。ルシル。元気で。俺は――」


 ヒューは、立ち去ろうとしていた。赤ドラゴンを討つこと、それがヒューの旅の目的だった。ヒューの旅は、終わっていた。

 ヒュー、と名を呼び、ルシルが呼び止めようとしたときだった。


「ヒュー君」


 父がヒューを呼び止め、懐からなにかを取り出す。


「実は『りんごとはちみつカレーの究極ルー』というものがあるんだ。ものすごくうまいらしい。なんたって、究極だ。ヒュー君、もしよかったら、君も食べてみないか? 我が家で」


 りんごとはちみつカレーの究極ルー!


 ルシルは目を丸くした。まさか、父が持っているとは。

 それは、お買い物リストの最後の品目。父グローイが、旅の中でしっかり発見、入手していた。


「我が家はここから遠いけど――、構わないだろう?」


 父が、いたずらっぽく笑う。

 赤ドラゴンの卵は、実は飛膜付きのトカゲの卵に、フィアライが赤ドラゴンから採取した血液を使った強力な術をかけ、変化させたものだろうということだった。あのときルシルの力で、もとのトカゲに戻ったのだそうだ。ルシル同様上空から落ちたわけだが、飛膜があるので、たぶん彼らは無事なのではないか、とのことだった。

 それから、額の角は自分で隠せる、見えないようにできることもわかった。

 そんな話は、長い長い帰り道で明かされた。

 時間は、たっぷりあった。

 父グローイの冒険、ルシルの旅のできごと、一角人たちの大陸の様子、そして、ヒューの旅、リストの思い出――。

 ぐつぐつ煮込むルーのように、各自の体験、思い、過去が、あたたかく味わい深く繋がり広がっていく――。


「ただいま……!」


 五年ぶりの言葉と共に、扉を開ける。

 まあまあ、お客さんまで、と弾む声が出迎える。

 きっと、今夜はとびきりのカレーパーティー。

 懐かしく、新しい日々が始まる。

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