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第1話 夜行石亀の尾

 おつかいを頼まれ、五年の歳月が流れていた。

 そよ風に揺れるカーテン、木苺のジャムの瓶の蓋を閉めたあと。


「ルシル。あなたに買い物を頼むわ。とっても大切な買い物よ。ものすごく大変だと思うけれど――、あなたなら必ず成し遂げられると思うの」


 そう言って母は、真剣な目でルシルを見つめ、ルシルの小さな手を両手で包むように強く握りしめた。


「信じているわ」


 こくん、とうなずいたのは、なにかの魔法だったのかもしれない。

 そして――、ルシルがお買い物リストと信じられないほどの大金を預かり家を出てから、かれこれ五年が経つ。「かれこれ」が、過ぎる。


「だって、お買い物リストの品が、無茶苦茶なんだもん」


 日が暮れ始め、風が冷たくなってきた。

 ルシルは、一人呟き長くなった赤い髪をかきあげた。そういえば、家を出てから一度も髪を切っていない。

 旅に出たのは、十一の歳のとき。いつの間にか手足がすらりと伸び、胸が膨らんでいた。昔は心配そうな表情の見知らぬジジババがよく声をかけてくれていたが、今や目をぎらぎらと無駄に光らせた男どもが、用もないのに寄ってくるようになった。

 ジジババには笑顔で丁寧に礼を述べ、男どもは残らず蹴散らしてきた。

 有り余るほどのおつかいの代金で、必要なものは買い揃えていた。乙女の貞操を守れる防具――守備範囲は乙女に限らず、男の貞操も生命も守れる防御力満点――も買ったし、怪物もまっぷたつにできる、名のある剣も買った。

 改めてルシルは、お買い物リストに目を落とす。お買い物リストの羊皮紙にしたためられた文字は、雨風もものともせず、書いてもらった当時と変わらぬ鮮やかさを誇っていた。

 ルシルの母親は、魔女だった。

 母の魔法で仕上げられたお買い物リストは、文字の鮮明さもさることながら、運動神経も忠誠心も抜群で、台風で飛ばされても自力で飛んでルシルの手に戻ってきていた。

 お買い物リストには、十品目書かれていた。十品目のうち六品は、独特の銘柄の調味料や香辛料、お茶などで、産地まで足を運ばなければならなかったが、なんとかそこまで行けば普通に店で購入できた。

 問題は残り四品。しかも、どうやって入手すればよいかわからないような、強面(こわもて)揃いだった。


 赤ドラゴンの卵一パック、人型樹の実三個、夜行石亀の尾一束、りんごとはちみつカレーの究極ルー一箱。


 ため息をつく。


「これ……、買い物じゃなくて魔女修行だよね」


 薄々、早い段階で気付いてはいた。これは、お買い物と称した魔女修行である、と。

 しかし、長旅の間に磨かれたのは、魔法というより護身のための我流の武術だった。


「雑な修行――」


 茜色の空の下、ルシルはよろよろと、道端の大きな石の上に座った。




 ルシルの家は、魔女である母と、なにかの伝説の勇者らしい父、それから魔法の才に溢れた姉と兄、それから取り立てて目立った才能があるとは思えない末っ子のルシル、その五人家族だった。

 魔女母は自分に似た優秀な姉と兄に、熱心な魔法指導をしていた。ルシルに関しては――、あまり魔法に関しての指導はなく、ごく普通の――ごく普通とはどのような感じかルシルは知らないが――教育だった。

 勇者父は、


「俺、ちょっともう一旗、揚げてくるわ」


 と意味不明なことを言って旅立ち、不在だった。今、父が一旗揚げて家に戻っているかどうかは、ルシルも思いっきり道中だからわからない。

 ルシルには、母ときょうだい、そして自分自身について、非常に引っかかる点があった。ちなみに、わけのわからない勇者父に関しては、もう考えること自体放棄している。

 五年前の蒸し暑い午後のことだった。

 ルシルは、開け放った窓の向こうから聞こえてきた姉と兄の会話を、偶然庭で聞いてしまった。

 姉の声が、まず聞こえた。


『母さん、本当に――。本気なのかな』


 兄は――、少しの沈黙を経てから、口を開いたようだった。 


『うん……。夢で、何度も見てしまったらしいし……。俺も、見たんだ。母さんの見た夢と似た夢を。実は……』


『え。本当に!? 実は、私も……! でも、だからって――』


『目覚めるかもしれない。そのほうが。それが、ルシルの本当の幸せに繋がるかもしれないし――』


『本当の幸せ――』


 ほどなく姉と兄の、号泣が聞こえてきた。

 

 泣いてる……? 私のことで!? おねえちゃんと、おにいちゃんが……!? 


 ショックだった。尊敬する姉と兄が、小さな子のように泣いていること、しかも、内容はわからないが自分のことで。

 問いただす勇気も出ず、ぎゅっと小さな手のひらを握りしめ、黙って庭から表へ駆け出していた。被っていた白いお気に入りの帽子が、薔薇の茂みに落ちたが、そんなことも気付かずに。

 その日の夕飯は、いつも通りの姉と兄、母だった。父はその一か月前あたりから、謎の旅に出て不在だった。

 やはり、聞けなかった。姉と兄の言う「目覚め」とは、「本当の幸せ」とは。

 もやもやとした不安を抱えつつ、その翌日母から買い物を言い渡され、そして現在に至る。

 

「お嬢さん。早くそこ、どいたほうがいいと思うけどなあ」


 不意に、声を掛けられた。顔を上げれば、艶やかな黒髪の青年。背が高く、逞しい体つきで、腰には剣が差してあり――、差してあるだけではなく、剣の柄に右手を置いている。

 必然的に磨かれた勘として、ルシルにはわかった。青年は背筋を伸ばしたままこちらを見据え立ち止まっているが、今にも、なにかに斬りかかりそうな激しさを、気取られないよう隠している、と。


 あれ、もしかして――!


 ハッとし、急いで立ち上がった。

 気付かなかった。あまりに疲れていたせいかもしれない。ルシルが座っていた、大きな石らしきものは――。


 ガアッ!


 ルシルが立ち上がり、急いで飛び下がると同時に、今まで石だと思って座っていたものが咆哮を上げつつ立ち上がっていた。


「怪物……!」


 それは、大きな亀のような姿をしていた。見かけ上、通常の亀と異なる点は、牛馬のような大きさと、足が二本多く六本あること、口にはたくさんの尖った歯があること、甲羅の後ろのほうに、糸状で長く垂れ下がっているものが尾らしいということ、だった。それから、今まで伏せた状態だったときは、石のように目立たぬ灰色だったのに、立ち上がったときには全身赤黒い色に変色していた。

 ルシルは腰に差した剣を抜いた。亀のような怪物が、ルシルに向かって襲い掛かろうと――。

 鈍い音と共に、血が飛んできた。


 え……。


 ルシルは呆然とした。

 ルシルの剣よりはるかに速く力強く、目の前の青年が怪物の横に回り込み、怪物の首を斬り落としていたのである。


「は、速い……」


「夜行性の、亀のバケモンさ。昼間はさっきのように大人しく寝てるんだが、そろそろ活動の時間になる。そして、やつらの好物は人間だ」


 だから、危ないと思って声を掛けたんだ、青年はそのように説明しながら剣についた血を払い、鞘に収めた。


「夜行性の、亀! もしかして、これが夜行石亀……!?」


 ルシルは思わず大声を上げていた。


「あ、ああ。まあ、そう呼ばれているな」


 青年が答えると、ルシルは青年に深く頭を下げた。


「教えてくれて、ありがとうございましたっ。私、探していたんです……!」


 礼を述べてから慌てて顔を上げ、


「あっ、というよりまず先に、危険を教えてくれてありがとう! 私、疲れてて全然怪物の気配を読み取れてなくて――、ああ、それから……!」


 慌ただしくルシルはもう一度改めて、深く頭を下げた。


「助けてくださって、本当にありがとうございました!」


 いやたぶん、私だけでも、やっつけられただろうけど。


 内心、そんなことを思いながらも、とりあえず救ってくれた感謝の気持ちを伝えた。


「へえ。探してたのか? 夜行石亀を?」


 青年は自分の腰に手を当て、少し不思議そうに首をかしげていた。


「え、ええ。『夜行石亀の尾、一束』を」


 ルシルは正直に答えながら体を屈め、夜行石亀の尾を剣で切り取った。


「なにかに使えるの? それ」

 

 青年もルシルの目線に合わせて体を屈め、興味深そうに尋ねる。


「なにに使うかはわからないけど……。頼まれてたんです」


「ふうん」


 そうこうしているうちに、すっかり辺りが薄暗くなっていた。丈の長い草が、心もとなげに揺れる。


「俺は、旅人さ。名前は、ヒュー。君、名前は?」


 青年の名は、ヒューといった。つい先ほどまで眼光鋭い腕の立つ剣士といった雰囲気だったが、人懐っこい柔和な笑顔、白い歯がこぼれる。


「この辺で野営する気? たぶん、次の町までちょっと距離がありそうだし、この辺りでたき火、一緒に飯とか、どう?」


「ええと……」


 ルシルは、自己紹介をするべきか、ヒューを蹴とばすべきか、迷っていた。

 ヒューの涼しい目もと、吸い込まれるような深い青の瞳は、ちっともぎらついてはいなかったけど。

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