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七里の渡し

1.七里の渡し 

「七里の渡し」別名、「宮の渡し」は旧東海道、現在の名古屋市の熱田神宮の南に位置する宿場だった「宮宿」から次の宿場の現在の三重県桑名市「桑名宿」までを海路でつなぐ船着場があった場所だ。今の海岸線は熱田神宮から遥かに南へ下がり名古屋港まで行かないと見えない。想像できないのだが江戸時代まではここが海岸線で熱田湊があった。明治以降に広大な土地が干拓・埋め立てされ名古屋市熱田区以南の土地が造られた。熱田湊跡は現在、公園となって、常夜灯と鐘楼、小さな桟橋などがあり当時の面影を残している。

江戸時代、東海道の一部がなぜ愛知県の西部で海上水路になっていたのか。愛知、三重の地図をみれば分かるように、ここには木曽川、長良川、揖斐川という3つの大河が横たわっている。陸上で行くにはこれらの川を次々に越えなければならなかった。当時、これら木曽三川は暴れ川で十分な治水対策がなされず、氾濫を繰り返していた。水害で悩む濃尾平野西南部の住民のために、徳川幕府が尾張藩の治水工事を外様の薩摩藩に命じた。薩摩藩は難工事に多大の犠牲を払いながらも、工事を見事完成させた。亡くなった薩摩藩の者を弔う治水神社が残っている。治水神社は、治水に尽力された薩摩藩士の功績をたたえ、犠牲となった多くの藩士達を慰霊している。また、この地はゼロメートル地帯であり、地名としても長島や輪中という名前が残っている。昭和34年の伊勢湾台風では大きな被害があった場所だ。


宮宿と桑名宿の距離が丁度、約28キロ、7里であったことが、「七里の渡し」の由来である。天候や潮の流れに恵まれれば4時間から5時間前後の船旅であったようだ。ちなみに、船酔いを恐れて、この航路を避ける迂回路として佐屋街道がある。現在の愛知県佐屋あたりを通る街道で陸路を行けばおのずと3度、大河を渡らねばならない。結局、海路で行く方が早くて便利、安全でもあり、東海道の中で唯一海路が栄えた。

 

5月13日、この海上航路の途中の伊勢湾の一番奥に3つある名古屋港高潮防波堤の一つ、鍋田堤の付近に水死体が漂流しているのを、通りがかった小型貨物船・瀬戸内せとうちの船長が発見し、118番通報した。118番は海上保安庁への通報で、陸上の110番と同じ役割を果たしている。通報を受けて、伊勢湾を管轄する海上保安庁第四管区海上保安本部の小型巡視艇・若鯱わかしゃちが現場に出動し、遺体を引き上げた。船上で簡単な検死が行われた。遺体は男性で、死後1日程度が経過しているという判断だった。年齢は60才くらい。服装は、紺のパーカーに黒のベスト。これは釣り用で4つのポケットがついていた。下はグレーのパンツという極普通の姿だ。残念ながらライフジャケットは着けていなかった。携帯電話や財布、免許証など身元を示すものは何もなかった。漂流中に脱落して流れてしまったのかもしれない。一見して、釣り人が海に落ちて亡くなったのかと思われた。名古屋港高潮防波堤にはクロダイ、スズキ、ハゼ、ボラなどが釣れ、四季を問わず、多くの釣り人が押しかけていた。時々、釣り人が海に落ち、救助を求めるという事故がある。今回も夜釣りをしていて海に落ちた不幸な事故のように見受けられた。

遺体回収後、水死体の身元特定のため、海上保安庁から愛知県警と三重県警に情報が提供された。両県警とも事故または該当するような身元不明者の情報は入っていなかった。 


その後数時間して再び、海保へ118番通報があった。1隻のプレジャーボートが無人で漂流しているという、堤防にいた釣り人からの通報だ。折り返し、巡視艇・若鯱が出動して、主を失い悲しい姿で漂っているボートを発見し、名古屋港まで曳航した。先の水死体の発見現場からさほど遠くない場所だ。プレジャーボートの船体に書かれた船名と番号からセントレア常滑マリーナ所属のあおぞら号と分かった。純白の船体にスカイブルーの直線が2本走った美しい姿だ。

あおぞらの所有者は伊勢正義氏65才であることがすぐに分かった。直前に発見されていた水死体の身元はこのボートの所有者である伊勢正義氏であったのだ。伊勢正義氏が自分のプレジャーボートで常滑のマリーナを出航し、何なんらかの理由で海に落ち溺死し、その後、彼の水死体と無人のプレジャーボートが別々に発見されたと推察された。

だが困ったこと、いや大変なことは、この水死体の伊勢正義氏の素性だ。一般人なら単なる水死・水難事故で終了したかもしれない。しかし、伊勢正義氏は現職の愛知県公安委員会委員であった。更に彼は公安委員になるまでは、海上保安庁の要職に就き、海難事故の究明や東日本大震災で人命救助など長年顕著な功績をあげてきていた人物だ。62才まで海上保安庁に勤務し、海保での過去の業務実績から愛知県公安委員会の委員に推薦され、就任していた。愛知県公安委員が亡くなったのだが、これが事故なのか事件なのか、確かなことが分からない。マスコミ各社は男性の水死体が伊勢湾奥で見つかった事実のみを伝えた。


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