『星5つ』しか入れない臆病者について
私にはどうにも好きになれない言葉があります。
『人それぞれ』というヤツです。
それは確かに事実ではありますよ。でも、それを殊更強調するのってどういう心境なんだろう? と思う。
価値観は人それぞれ。笑いのツボは人それぞれ。感動するポイントも人それぞれ。
当たり前ですね。
当たり前すぎて特別口に出すようなもんでもない。
押し付けがましい人や、自分の言うことが絶対だと思ってるような人に対する「付き合ってられんわ」の態度を表す言葉としてはまぁ、使えるでしょう。
でもそういう人が目の前にいるわけでもないのに、この言葉を口癖のように言う人って何なんだろう?
とは言え、昔の表現仲間に実はいました。
「人それぞれ、人それぞれ」が口癖の人が。
とても人当たりが柔らかく、ユーモアもあり、私の好きな人物でした。
その人はそれが口癖ながら、とても真摯に他人の作品と向き合う人でした。
なろうで言えば星を0~5まで、自分が感じた通りにつけるような作品批評をする人でした。
私も疵の多い作品を書いたら手厳しく低評価をされ、それを有り難く糧とさせて頂いていました。
ただ、ある作品について皆が殺伐となるほどに評価が割れたような場合に、いつもその言葉を言ったのです。
「まぁまぁ。人それぞれ、人それぞれだぜぇ」
絶対的な作品評価の基準などない以上、褒める人がいても貶す人がいてもいいけど、押し付け合いはやめようぜぇ。
まぁ、この場合も仲裁の言葉として使っているのであり、これもまぁ、いいか。
なぜ私は『人それぞれ』という言葉が嫌いなのか?
考えてみるに、それを臆病者たちが自分を守るために使っているのを見るのが嫌いなのだ、とわかりました。
自分の作品を批判されて(理由のない批判ではない)、それに対する返答が
「まぁ、考え方は人それぞれだから、あなたには合わなかったということですよね」
みたいなヤツ。
そういう人が私には、格ゲーで言えば決して相手のキャラと闘わない人のように見えます。
「私の技は私の技、あなたの技はあなたの技。人それぞれ。だから己とのみ闘っていればいいんです」みたいな格ゲー。それぞれのポジションを決して動かず、拳は合わせず、それぞれに虚空を相手に技を繰り出している。私はYouTubeのゲーム実況で見かけたらたぶん、ぽかんとするだけだと思う。
こういう臆病者は、他人の作品にポイントを入れる時にも、その臆病者っぷりが現れるものです。
星5つしか、決して入れない。
本当に評価をつけた作品すべてが星5つ(最高であり、これ以上の評価はあり得ない作品であるとの最大の賛辞)だと本気で思うなら、なるほど気が狂ってるんだな、と納得もしますが、どうもそうではないように思える。
星5つ以外を入れて、相手から嫌われるのが嫌だから、星5つしか、決して入れないんですね、どうやら。
もちろん世の中、強い人ばっかりじゃありません。
心の弱い人は、そうするしかないんだろう。
戦う気なんてないなら、仲良くするだけの園児みたいにワイワイキャッキャとやっていればいいと思います。
ところが……
こういう人達って、なぜか自分の好みに合わないものをコキ下ろしたがるんですよね。
やれ「テンプレから外れたものはダメだ」だの「過去編始まったらブラバ」だの、
「ハッピーエンドでなければならない」だの「読者の期待に合わせろ」だの……
戦う気がないなら黙っとけば?
そして自分の好みに合わない作品に星1つとかをつけるのならともかく、1つも星をつけないらしいんですよ。
臆病者だから、星1つを入れて戦うよりは、無視するんでしょうか?
北斗の拳で言えば、ケンシロウを悪人と勘違いして家の中に隠れてる(無視してる)町人が、ケンシロウが気づいて近寄って来た途端、ボロクソに罵倒しはじめるみたいな感じ。
うーん。また何が言いたいのかわからなくなって来たけど。
要は『人それぞれ』って言葉をあんまり便利に使わないでくださいよってことかな。
それは前述した通り、押し付けがましい人に対して言う場合や、場を仲裁する時には使える言葉なんだけど、当たり前すぎて殊更強調する必要なんてないように思えます。
自分を守るために『人それぞれ』を使う人。
自分を守るために星5つしか決して入れない人。
ご自分の臆病者っぷりをどうか認めて、うるさく吠えないでいただきたい。
お願いします。
と、いうだけのエッセイでした。