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顛末<アズベルト>

 その日の夜。


 ステファニーはアズベルトの部屋へと向かう。

 この時間帯のアズベルトはいつも暴れて手が付けられなくなっているのだが、今はベッドの上で穏やかな表情で寝息を立てていた。


 ステファニーは、かなりやつれてはいるものの以前と変わらない姿に戻ったアズベルトの頭を優しく撫でる。

 周囲に控えていた使用人や騎士たちは、その姿に思わず涙ぐんだ。

 しばらく穏やかな表情でアズベルトの寝顔を眺めていたステファニーは、使用人たちに後を任せて自室へと戻る。

 どうしても確認しなければならないことがあるからだ。



 自室に戻ったステファニーは、改めてテーブルに置かれた1枚の絵を見つめる。

 それは、ネネフィーが帰り際にアズベルトに取りついていたヘビを描いたものだったのだが、注目すべきはそのヘビの額に描かれた紋だった。

 人間の目をイメージしたような印と、そこから湧き上がる奇妙な線。

 ステファニーはその紋に見覚えがあった。


「奥様、こちらがご依頼の書物になります」

 側に控えていた執事が、頼まれていた本をステファニーに差し出す。

 厳重に書庫の奥底に保管されていたその書物は、帝国の属国であるゾール王国の歴史書の1つだった。


 ステファニーはぺらぺらとページをめくる。

 すると案の定、そこにはヘビの額に描かれた紋と同じものが記されていた。


「ゾール王国の裏紋章」

 ステファニーは呟く。


 裏紋章とは表に出せない、つまり国が裏側の仕事をする際に使う紋章のことで、主に暗部への依頼、殺人や呪いなどに用いられる。


 ステファニーは怒りに身体をぶるっと震わせた。

「やはり、あの女が……」


 ギリッと奥歯を噛み締めたその時、部屋にミラー公爵が駆け込んできた。


「どうだった!? アズベルトの様子は!?」

「あなた! お帰りなさい。アズベルトは、ええ、もう大丈夫よ。今は体力を回復するべく眠っているわ」

「そうか……良かった」

 安堵の溜息を洩らしながら、公爵はステファニーの隣に腰を下ろした。


「それで、ロッシーニ夫人たちは」

「念には念を入れてお帰り頂きましたわ。馬車の手配ありがとうございます。お陰で屋敷周辺に張り付いている奴らの目を欺くことが出来ました」

「そうか、それなら良かった」

 公爵はほっとしながらステファニーの背中を優しくさする。



 ミラー公爵邸周辺は、アズベルトが倒れた頃から常に数人に見張られていた。

 そして、その雇い主がハミルトンやテレジアの実母、皇后エミリアであることも掴んでいた。


 今日、教皇派であるロッシーニ家のアマリリスとネネフィーを屋敷に招いたことを皇后エミリアに察知されぬよう、馬車を手配したのが公爵だった。

 家紋も装飾もない一見すると行商人を思わせる簡素な外装の馬車を敢えて使い、ロッシーニ家を招く。

 そして何事もなかったようにすぐに屋敷から帰し、今頃ロッシーニ領を目指し走っていることだろう。



「この絵を見てください」

 ステファニーは、公爵にネネフィーの描いた絵を見せる。


「これは?」

「アズベルトの体内にいたヘビの絵です」

「体内? ヘビ……?」


 ステファニーは執事と共に、今日あった出来事を事細かく公爵に話した。



「つまりアズベルトは呪いを受けていたと? しかしこのような紋、身体のどこにもなかったが……」


 呪いを受けたのなら、必ず身体のどこかにその呪詛の紋が現れる。

 一時期呪いの線を考え、高名な魔術師にアズベルトの身体を調べてもらったが、それらしき紋は見つからなかった。


「体内から呪いを摂取したそうです」

「体内!? まさかあの日食べたケーキか!!」

「はい。ネネフィーちゃんが言っておりました。口から呪いを食べたのだろう、と」


 ネネフィーがアズベルトの口に手を突っ込んだのには、きちんとした理由があった。

 彼女は素手で呪いを掴み、アズベルトの体内から強引に引っぺがしたのだ。


「つまり呪いの紋は体内にあったと」

「ええ。見つかることを警戒し、敢えて食べ物に呪いを仕込んだのでしょう」

「……」

「ネネフィーちゃんの話では、その呪いは宿主を殺すような目的ではなく、体内を汚染させ、変色させるだけのものだったそうです」

「変色?」

「ええ。髪色や肌の色、目の色など」


 ステファニーの説明を聞いた公爵は、怒りで声が震える。

 誰が何の目的で。

 その答えがそこにはあった。


「それだけの為に? いや、しかし、あのアズベルトの暴れっぷりは……」

「精神攻撃も同時に受けていたようです。術者の思い通りに動かしたかったようですが、アズベルトが無意識に抵抗していた為、体内でヘビが暴れまわっていたようです」


 公爵はどさりと背もたれに身体を預け、両腕で目を隠す。


「……私たちが一体何をしたというのだ。こんなにも、こんなにも兄上に、陛下に忠実にお仕えし、争いの火種を無くすべく動いていたというのに……」

 公爵の兄。

 つまりは皇帝陛下のことを指す。



 もともと漠然とそうではないかと疑っていた犯人が、たった今、しかもその動機までもがあっけなく明らかになった。


 皇帝は既にテレジアと共にケーキを作った料理人と侍女を処刑している。

 口封じの為だろう。


 そして何より、ヘビの額に描かれた裏紋章。

 それが使われているゾール国は、現皇后エミリアの母国であった。


 間違いなく皇后エミリアが主犯であり、ハミルトンとテレジアはその思惑を分かっていてアズベルトに呪いを食べさせたのだ。


 ハミルトンの皇位を確固たるものにする為に。

 目障りな銀の髪と翠の瞳を塗り替える為に。


 そしてこの一連の事件の全容を、皇帝自身が知らないはずがない。

 全てが皇帝一家の仕組んだことだった。



「父上、母上。失礼します」

 ノック音と共に聞こえた声に、項垂れていた公爵とステファニーは顔を上げる。

 入室を許可すると、そこには騎士に支えられたアズベルトが立っていた。


「まあ! アズベルト!」

「ああ、アズベルト! 大丈夫なのか?!」

 久しぶりに見るまともな息子の姿に、公爵はアズベルトに席をすすめた。


「随分とご心配をおかけしました。申し訳ございません」


 やつれた姿ではあるものの、アズベルトの瞳に正常な色が戻っている。

 口調もしっかりしており、公爵とステファニーは、アズベルトの呪いが完全に解かれたのだと実感した。


「何を言っているの、あなたはただ陥れられただけよ」

「いいえ。それでも、警戒しなかった私に責任があります」

 アズベルトの瞳に影が差す。


 煩わしい奇異の視線の中、あの日まで唯一友と慕っていた2人からの酷い仕打ち。

 母としてアズベルトの心を思い、ステファニーは悲しそうに眉を下げた。


「アズベルト、あの日一体何があったのか教えてくれるか?」

 公爵の問いに、アズベルトは静かに頷いて話し始めた。




「成程……それであの日、お前は加護の腕輪をしていなかったのだな」

「はい、ハミルトンが紛失したと言っておりましたので、私の分をお渡ししました」

「そうか……。殿下はそんな嘘までついて、お前から腕輪を奪ったのか」

「……嘘?」

 アズベルトの眉がぴくりと動く。


「あの日、聞き取りをした教師の1人が目撃していたそうだ。『ハミルトン殿下は、お前が生徒会室から運ばれていった後、ポケットから腕輪を取り出して付け替えていた』と」

「……付け替えた」

「殿下は始めから自分の腕輪をポケットに忍ばせていた。お前から腕輪を取り上げる為、紛失したなどと嘘をついたのだろう」

「それは一体……」

 アズベルトは呟くが、すぐに答えにたどり着く。


「呪いを受けやすくする為、ですか」

「ああ。私はその話を聞いて殿下に尋ねたのだ。我が息子アズベルトの腕輪をお持ちではないだろうか、と」

「ハミルトンは何と答えたのですか?」

「ただ一言『知らぬ』と」

「……そうですか」

「未だ、あの日着けていたお前の腕輪は行方不明だ」


 アズベルトはその話を聞いて、無意識に手首を触る。

 そこにはいつも通り加護の腕輪が着いているのだが、それはあの日の物とは違う。



 しばらくの沈黙の後、アズベルトは再び公爵に尋ねた。

「私が倒れてから周囲はどうなりましたか?」

「そうだな。テレジア様と共にケーキを作ったとされているシェフと侍女が処刑された。それくらいか。後は、お前に殿下たちから見舞いの品が届くくらいだな」

「そうですか……正直私も驚きましたが……しかしお蔭で色々と吹っ切れました。母上、私を助けてくれたご令嬢はどちらに?」

「ネネフィーちゃんのことね? 周囲の目もあるから、すぐに帰ってもらったわ」

「そうですか。ネネフィーと言うのですね。私を救ってくれたご令嬢は」

「ええ。ネネフィー・ロッシーニ。ロッシーニ家のご令嬢ね。彼女の兄であるレイフィール様とは、同い年だったんじゃないかしら?」

 ステファニーは首を傾げる。


「ああ、レイフィールですね。学園で同じクラスでした。突然ですが、私は彼女と婚姻したいのですが可能でしょうか」

「「え?!」」

 突然のアズベルトの言葉に2人は驚く。


「それともう一つ。我がミラー家を、皇帝派から教皇派に変更してもらいたいのです」

「……本気か?」

 公爵はアズベルトに尋ねる。


「はい、勿論です。今が無理でも私が家を継いだ暁には必ずそうします。私はこれ以上、この国の皇帝に仕えるつもりはありません。それは皆も同じではないでしょうか」


 アズベルトにまっすぐな目で告げられ、公爵は苦笑する。


「……まあ、やるだけやってみよう。しかし教皇側が受け入れてくれるかどうか」


 何せミラー公爵家は皇帝派の筆頭だ。

 おまけに以前アズベルトの皇位継承権を放棄した際、公爵は教皇に激しく罵られた。

『何故アズベルトを皇帝にしないのか』と。

 つまり平たく言えば仲があまり宜しくないのだ。


「そこは心配いりません。必ずや教皇は私たちの言葉に耳を傾け、快く受け入れてくれるでしょう」

「そうだろうか……」

「はい。すぐに分かりますよ。父上、母上」

 アズベルトはにっこりと微笑む。


 幼い頃に失われたアズベルトの笑顔を久しぶりに見た公爵とステファニーは、驚いて目を見開く。

 呪いのせいで生死を彷徨ったせいなのだろうか、アズベルトの纏う雰囲気が以前のものとは完全に異なっていた。

 まるでそれは、新しい何者かに生まれ変わったかのように。


「ただ残念な事に、この身体はまだまだ幼い。その上呪いのせいで体内がボロボロです」

 寂しそうに笑いながら腹を擦るアズベルトに、ステファニーがはっと顔を上げた。


「そういえばネネフィーちゃんから絵画のお礼にと、あなたに渡すように言われていた物があったわ」

「?」


 ステファニーは近くに控えていた執事から白い布を受け取ると、それをアズベルトに手渡した。

 アズベルトはそれを受け取ると、その布をゆっくりと開き嬉しそうに微笑んだ。


「ああ、ありがとう。私の乙女」

 白い布に包まれていたそれは、新しい魔結晶のコアだった。



 その石は、アズベルトを治したお礼に貰ったリース神の絵画を見たネネフィーが、興奮してうっかり生み出してしまったもので、焦った彼女はそれを何とか誤魔化そうと、見舞いの品としてステファニーに押し付けたのだ。


「加護の腕輪についていた結界石とは比べ物にならないほど、加護の力を感じます」


 アズベルトはコアに唇を寄せる。

 全ての悪意を払い、その上癒す。

 素晴らしい加護の付いた極上の宝石。

 正直あの日、ハミルトンに貸した腕輪でも、今回の呪いを防げたかどうかは怪しい。



「ロッシーニ家には、正式に婚約の打診をしておく」

「ありがとうございます。私はもう少し体力が回復したら教皇に会いにいきます。勿論お忍びで」

「お忍びか。それで皇帝たちにはどのように報告する?」

「報告する必要はありません。何を聞かれても、今まで通り病に倒れたまま起き上がれないとでも伝えておいて下さい。学園も通いません。退学届けをお願いします」


 帝国貴族にとって、学園の卒業が必須な訳ではない。

 アズベルトはハミルトンの側近として、彼について学園に通っていただけだ。


「分かったわ、ねえアズベルト」

「?」

 ステファニーはおもむろに立ち上がると、アズベルトの傍まで歩き、痩せ細ってしまった彼の身体をぎゅっと抱き締めた。


「あなたが良くなってとても嬉しいわ。本当に、本当に良かった……」

 ステファニーはぽろぽろと涙を流す。


「母上……」

「私も教皇様にはご恩があるのよ。あなたのやりたいようにやりなさい。私たちはいつでもあなたの味方よ。ねえあなた」

「ああ」

 ステファニーの言葉に、公爵もしっかりと頷く。



 無くしたものは確かにあった。

 それでも手に入れられる大切なものはある。


「ありがとう、ございます」

 答えたアズベルトの声も、微かに震えていた。


2022.11.13修正

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