目覚め<アズベルト>
『器が成熟したなら、私は再び現れるだろう』
ルビリオン帝国の建国からおよそ100年。
リース神は自らの子に皇位を譲った後、その言葉を残して地上から姿を消した。
リース神の最後の言葉。
その意味するところは文献には記されていない。
しかし残された者たちはその言葉を予言だと信じ、リース神が再び地上に現れる日を待ち望んだ。
それから時は流れ。
リース神の言葉どおり、数百年に1度の割合で皇族の直系にリース神と同じ銀色の髪と翠の瞳を持つ男児が生まれるようになる。
周囲はその男児をリース神の生まれ変わりであると信じ、その男児には次代の皇帝の地位が与えられた。
そして現在、リース神と同じ色を持つ男児が生まれなくなって300年余り。
予言はすっかり風化され忘れ去られたようにみえたが、今から18年前、ミラー公爵家の嫡男であるアズベルトがその色を持って生まれてきた。
同じ時期に生まれた皇太子ハミルトンが金髪で青い目だったこともあり、彼等の周辺は一気に騒がしくなる。
しかしミラー公爵は自身の息子アズベルトに皇位を継がせる気などさらさらなかった為、いらぬ争いを避ける為にアズベルトの継承権を早々に放棄させ、彼を皇太子ハミルトンの側近候補に据えた。
こうしてこの騒ぎは一旦集束へと向かった、ようにみえた。
しかし、未だにアズベルトは奇異の目にさらされ続けている。
どこに行くにも何をするにも他人の視線を感じる。
皇太子ハミルトンの従者として神殿に行こうものなら、全ての神官がハミルトンではなくアズベルトを見て膝を折る。
銀の髪と翠の瞳。
皇位に全く興味のないアズベルトにとって、それは煩わしいものでしかなかった。
次第にアズベルトは人間嫌いとなり、10歳を超える頃には子供らしからぬひねくれた性格となり、アズベルトが唯一気軽に話せ、友と呼べる人間はハミルトンと彼の3歳年下の皇女テレジアだけになっていた。
そんなアズベルトが12歳になった頃。
生徒会役員であるハミルトンとアズベルトは、いつも通りルビリオン学園の生徒会室にて来期の予算について話し合っていた。
長時間の話し合いに疲れて休憩を取ろうとしていた矢先、ハミルトンは自分の手首を触りながら少し焦ったようにアズベルトに告げた。
「まずい……アズベルト」
明るい金髪と透き通るようなブルーの瞳を持つハミルトンは、性格も温厚で人当りが良く、しかし発言の1つ1つに宿る意思の強さに学園内でも太陽のような存在だと教師や生徒からも人気があった。
「どうかしたの?」
一方アズベルト。
何が起きようとも表情を一切変えることなく、人間嫌いのせいで放つ言葉も必要最低限。
とんでもなく美しい顔をしているにもかかわらず、冷たい印象から学園内でもかなり恐れられ、彼の持つ色からも深くかかわろうとする者はいなかった。
「腕輪を忘れた」
ハミルトンの言葉に、流石のアズベルトも僅かに眉を顰める。
腕輪とは、不慮の事故や事件に巻き込まれることを防ぐ為に皇族が身に着けている結界の加護が常に発動している腕輪のことだ。
皇族たちはその身に流れる神の血を絶やさぬよう、建国当初からロッシーニ一族の作った結界石のはめ込まれた装飾品を常に身に着けている。
これは皇族に課せられた義務の1つであり、ハミルトンは勿論のこと、当然アズベルトもしっかりと着けていた。
「いや、流石にそれは問題です。どこかに置き忘れたのですか?」
「う~ん、どうだろう……。今朝学園に登校する時は確かに身に着けていたんだけど……。どこかで壊れて外れたのかな?」
「いいえ、腕輪が壊れるなど通常ではありえません」
ロッシーニ一族が心血注いで作っている装飾品は、よほど酷い扱いをしない限り決して壊れることはない。
「う~ん」
考え込んでいるハミルトンに、アズベルトは自身の腕輪を外して手渡した。
「これを」
「え? これはアズベルトのだろ? 良いのかい!?」
「流石にこの国の皇太子を、結界石の加護の無いまま放ってはおけません」
「ありがとう、助かる」
ハミルトンはそそくさとアズベルトの腕輪を装着した。
「私は大丈夫ですので、気にせずお使いください」
アズベルトがハミルトンにそう告げた時、ノック音と共に生徒会室の扉が開いた。
「アズベルトさま、お兄さま、ごきげんよう!」
入って来たのは2人の侍女を連れた皇女テレジアだった。
流れるような金髪と透き通るようなブルーの瞳。
ハミルトンに良く似た美しい顔立ちは、9歳にして上質なビスクドールと錯覚してしまう程の美しい佇まいを見せていた。
「テレジア、ノックをしたら相手の返事を待ちなさいと何度も言っているだろう」
ハミルトンは呆れたように溜息を吐きながらテレジアに注意する。
「え~お兄さま、いつも来ているのですからいいではないですか~。そんなことよりアズベルトさま、私ケーキを焼いてきましたの!」
テレジアは背後の侍女に目配せすると、生徒会室のテーブルにセッティングを始めた。
「テレジア。お兄様の分は無いのかい?」
アズベルトを優先するテレジアに、ハミルトンは拗ねたように口をすぼめる。
「もちろんお兄さまも食べていいわ。でも最初はアズベルトさまよ!」
テレジアがこうして生徒会に差し入れするのは今日に始まった事ではない。
恒例となってしまった行事に、アズベルトは特に気にする事もなく、テレジアから受け取った皿から一口ケーキを口に入れた。
テレジアの背後で、侍女が紅茶の用意を始めている。
カチャカチャと食器同士のこすれる音が、やたらと生徒会室に響く。
アズベルトは口に含んだケーキを飲み込みながら、僅かな違和感を覚えてハミルトンに視線を向けた。
するとハミルトンは、何故か今まで見たこともない表情でアズベルトを凝視していた。
「?」
ふと視線を移すと、テレジアを含む侍女2人も同じようにアズベルトを凝視している。
(なんだろう……?)
アズベルトは微かに首を傾げながらも、ケーキの感想を言おうと口を開けた瞬間それは起こった。
ドクン
ドクン
身体の中心から激しい鼓動が聞こえたかと思うと突然痙攣し始め、アズベルトは思わずその場で膝を折る。
「あ、ぐ……うあぁっ」
身体の奥から湧き上がるドス黒い渦が、喉まで上がってくる。
(息が出来ない……)
強い力で首を絞められたような、何か大きなものが喉に詰まっているような何とも言えない苦しさに、アズベルトはもがきながらハミルトンに助けを求めようと右手を伸ばした。
しかしハミルトンは、突然のアズベルトの様子に驚いてはいるものの、僅かに一歩足を後ろに引いてアズベルトから距離を取った。
驚いたアズベルトが今度はテレジアを見る。
すると彼女もハミルトン同様驚いたように目を見開いてはいるものの、侍女たちの背後でアズベルトから距離を取っている。
しかもテレジアは何故か瞳をキラキラさせながら、満面の笑みで苦しむアズベルトを見つめていた。
(ああ……これは……)
はめられた。
アズベルトがその答えに辿り着いた瞬間、胸に広がる絶望感と共に伸ばした右手は無常にも空を切り、その場にパタリと落ちた。
それからしばらくして目を覚ましたアズベルトは、もう今までのアズベルトではなかった。
銀色の髪の大部分は黒く染まり、ところどころ白く色が抜けている。
顔の半分以上を真っ黒いシミが覆い、美しかった翠の瞳も真っ赤に染まり、まるで爬虫類を思わせるように眼球が縦に細く変化していた。
アズベルトがもともと持っていたリース神を思わせる色全てが、綺麗さっぱり消え失せてしまっていた。
しかもアズベルトは夜になると見境なく暴れ、誰彼構わず襲う。
アズベルトは自室に閉じ込められた。
日が昇ると力なく倒れ、朦朧としながら夜を待つ。
辛うじて意識のある日中に食事を取ることは出来るのだが、月日が経つごとに食欲がなくなり、日に日にアズベルトは痩せ衰えていった。
色々な医者や魔術師に診てもらうも原因が分からず、その状態が1年以上も続いていた。
ミラー公爵家はすぐに原因究明に乗り出したが、皇女の出したケーキが原因であった為に捜査は難航した。
おまけにその場にいた者達も口を揃えて曖昧な証言をする為、一向に原因が分からない。
そんな周囲の態度に、アズベルトの父ミラー公爵は怒り狂った。
しかしそれを表には出すことはせず、淡々と日々の業務をこなす傍ら頻繁に息子の部屋へと足を運び、すっかり変わってしまったアズベルトの姿を鉄格子越しに見つめ、必ずや犯人に報いを受けさせようと心に誓った。
一方アズベルトの母ステファニー公爵夫人は悲嘆に暮れ、皇帝派筆頭である立場から季節の行事以外めったに行くことのない大神殿に通い始める。
毎日毎日神殿で神に祈りを捧げ、神官から賜った聖水をアズベルトに飲ませた。
しかし改善の兆しは一向に見えず、ステファニーは藁にもすがる思いで教皇に相談を持ちかけた。
そして教皇が告げた解決策。
それは、ロッシーニ家の乙女に救いを求めることだった。
ミラー家は皇帝派筆頭。
ロッシーニ家は教皇派筆頭。
ステファニーとロッシーニ辺境伯夫人であるアマリリスは学生時代からの親友であったが、嫁いだ家の派閥も相まって卒業後は交友らしき交友は一切行っていなかった。
しかしステファニーは、教皇の言葉を信じてすぐにアマリリスに手紙を書いた。
そして、ネネフィーの力によってアズベルトはあっけなく治ったのだった。
2022.11.8 修正