ヘビ退治
ルビリオン帝国、帝都。
広大な敷地に建つミラー公爵邸。
エントランスホールでアマリリスとネネフィーを出迎えたのは、ミラー公爵夫人であるステファニー・ミラーだった。
「リリーいらっしゃい」
「ステフ、久しぶりね〜」
『アマリリス』を『リリー』、『ステファニー』を『ステフ』。
互いの名を愛称で呼び合い、気さくに話すステファニーとアマリリスを横目に、ネネフィーはブスっとした顔で俯いていた。
「彼女が?」
ステファニーは、ネネフィーを見ながらアマリリスに尋ねる。
「ええ、娘のネネフィーよ〜。ネネちゃん、ご挨拶して〜」
アマリリスに声を掛けられ、ネネフィーはしぶしぶ頭を下げる。
「ネネフィー・ロッシーニです。よろしくお願いします」
「ステファニーですわ。リリーに似て可愛らしいお嬢さんね」
ステファニーは、機嫌良さそうに柔らかく微笑む。
しかしネネフィーの機嫌は最悪だった。
ロッシーニ領から帝都まで馬車で10日余り。
10歳の子供にはその距離は苦痛でしかなく、しかも今日ここに来る際、帝都にあるロッシーニ家のタウンハウスにすら寄らず宿泊先の宿から直接ここまで来たのだ。
ネネフィーは疲れ果てていた。
頭の中は早く帰ってベッドで眠る事しか考えられず、何だったら立ったままでも眠れそうだとさえ思っていた。
その後すぐに応接室に通されたアマリリスとネネフィー。
ステファニーは、うつらうつらと船を漕ぎ始めたネネフィーに声を掛けた。
「ネネフィーちゃん。あなたに折り入って相談があるのだけれど」
「?」
ネネフィーは、のっそりとした動きで顔を上げる。
その瞳はすでに半眼で、いつ眠りに落ちてもおかしくないほど瞼がぴくぴくと痙攣していた。
「長旅で疲れているのにごめんなさいね。でも急を要するの。こちらについてきてちょうだいな」
そう言ってステファニーは席を立つと、ネネフィーとアマリリスをとある部屋の前まで連れてきた。
部屋の扉の両脇に二人の騎士が立ち、明らかに他のどの部屋よりも厳重に警備されていた。
ステファニーは1人の騎士に目配せして扉を開けさせるも、その扉の更に内側には頑丈な鉄格子が設置されていた。
廊下側から覗いた室内は、一般的な部屋と何ら変わらない作りをしているが、シーツや枕、カーテンが無残に引き裂かれ、床一面に羽毛が散っていた。
よく見ると、窓にもしっかりと鉄格子がはめられている。
(うぇっ……)
ネネフィーは思わず鼻を摘む。
余りの生臭さに眠気が一気に吹き飛んだ。
「あの~~、何か飼っているのですか?」
ネネフィーは問うが、ステファニーはその言葉には答えず室内のとある場所を指差した。
「?」
不思議に思って見てみると、そこには1人の少年がうつ伏せになって倒れている。
この生臭さはどうやらあの少年から匂っているらしい
ネネフィーはあからさまに眉をひそめた。
「くちゃい……」
ステファニーはそんなネネフィーの様子に苦笑しつつも、部屋の前で待機している騎士に向かって尋ねた。
「昨夜の様子は?」
「一昨日と同じように夜半に暴れ出しましたが、体力が殆どないせいか、いつもよりは大人しかったように思われます」
「そう……」
二人のやり取りを横目に、ネネフィーは何故かその少年から目を離す事が出来ずにいた。
じっとしばらく見つめていると、その気配に気付いたのか少年は首を動かしてネネフィーの方に視線を向けた。
その顔を見て、ネネフィーははっと息を飲んだ。
白と黒のまばらな髪。
生気を失ったかのように僅かに開いた瞳は血に染まったように真っ赤で、おまけに顔の見える部分だけでも半分以上がシミのようなもので黒く染まっていた。
「彼はアズベルト。私の息子なのだけれど、原因不明の病に侵されているの」
ステファニーは、そんな少年をじっと見つめているネネフィーに向かって静かに話す。
「やまい?」
「ええ。今は日の光があるからこんなに大人しいのだけれど、夜になるとまるで別人のように暴れまわってしまうの」
「ふ~ん」
いまいち理解出来ないネネフィーは、鉄格子に手を掛けて中を覗き込んだ。
「こうまでして飼っているってことは、ヘビが好きなのですね? ネネは生臭くてあんまり好きじゃないです」
おぇっとネネフィーは舌を出す。
「ヘビ?」
ステファニーはネネフィーの言葉の意味が理解出来ずに尋ねた。
「え~だってあの人、身体の中にヘビを飼っているでしょう? いち、にぃ、さん……7匹くらい?」
その言葉に、ステファニーは青白い顔で絶句する。
「ねえネネちゃん。ネネちゃんはそのヘビの姿、しっかりと見えるの?」
ネネフィーの様子を黙って見ていたアマリリスが口を開く。
「はい、勿論です。お母さまたちには見えないのですか? あの黒いの」
「黒いのって、顔にあるシミの事かしら?」
「そうそう。あれヘビです。こう、くねくねって動いてるし」
ネネフィーは身体をくねらせて表現する。
「何てこと!?」
ステファニーは血の気を失いふらつくと、近くにいた侍女たちが慌てて身体を支える。
「ネネちゃん。そのヘビ、取る事出来ないかしら?」
アマリリスはネネフィーに尋ねた。
「え~。お母さま出来るでしょう? ネネあんまりヘビ好きじゃないもん」
「お母様が得意なのは攻撃魔法だって知ってるでしょう?」
使える魔法は使用者元来の性格に大きく影響している。
おっとりした見掛けによらずゴリゴリ脳筋のアマリリスは『爆炎の魔女』の異名を持つ攻撃特化の魔法使いだ。
一方ネネフィーは、3歳の頃からリース神にお仕えすべく訓練してきた為に『守り』に特化した魔法使いであった。
今回は、彼の体内からヘビを出す必要がある。
なりふり構わず特大魔法で攻撃することが不可能である為、どう考えてもネネフィーの魔法の方が適切だった。
「む~~」
眠くてイライラしている上に面倒臭いことを頼まれ、ネネフィーは頬を膨らませてむくれる。
アマリリスはそんなネネフィーの前に屈み込み、彼女の両肩に手を置いた。
「ネネちゃん、よく聞いて。このお願いが上手くいったら、とっても素敵なお礼が貰えるの」
「素敵なお礼? ……別にいらないし……」
「なななんと! リース神様の肖像画よ!」
「っ!?」
アマリリスの言葉に、ネネフィーの瞳に生気が宿る。
「し・か・も! 今ならなんと、リース神の等身大絵画もセットでついてくるの~」
「全て私にお任せ下さい、お母さま! 他の誰でもない、この私が解決致しますわ! 愛に不可能はありません!! さあさあ、早く扉を開けて下さいませ!! 騎士さま! さあさあ!!」
突然メラメラと闘志を燃やし始めたネネフィーに、声を掛けられた騎士は困惑してステファニーに指示を仰ぐ。
「大丈夫です。彼女の言うとおり開けてちょうだい」
「かしこまりました」
ステファニーの言葉を受け、騎士はすぐに鍵を外して鉄格子を開ける。
トコトコと躊躇なく部屋に入っていくネネフィーの後ろを皆がついていった。
「失礼しま~す」
ネネフィーは倒れ込んだままのアズベルトの傍に座ると、じっと目を凝らして黒いシミを見つめた。
「ね~お母さま。この子たち、きちんと飼い主がいるみたいだから殺したの見つかると怒られるかもしれないです」
「飼い主? ヘビに?」
「はい。多分います。大丈夫ですか?」
「そう……。ステフ、どう?」
アマリリスがステファニーに尋ねる。
「ネネフィーちゃん。もしそのヘビを殺してしまったら、すぐに飼い主にその事が伝わってしまうかしら?」
「それはきっと大丈夫です。魔力が繋がってないです」
「そう……。それなら殺してもらって良いわ。終わったらそのヘビについて詳しく教えてちょうだいね」
「は~い」
ネネフィーは元気よく返事すると、くるりと騎士の方に身体を向けた。
「騎士さま騎士さま。この方の身体を上に向けて、お口をあ~んってしてもらっていいですか? それからしっかり手足を押さえておいてください」
ネネフィーは腕まくりをした後、スカートに手の平を何度か擦り付ける。
騎士たちは、ステファニーがこくりと頷いたのを確認すると、言われた通りにアズベルトの身体を仰向けにし、口を開けるように顎を固定した。
すっかり生気を失っているアズベルトは、なすがままに身を任せている。
「よ~っし! いくぞ! お~!! 等身大のリース様の為に!! えいやっ!」
ネネフィーはまだまだ小さい手を天高く掲げた後、思い切り振り下ろしてアズベルトの口の中にその手を突っ込んだ。
「んぐぁっっ!?」
これには、朦朧としていたアズベルトも流石に驚いて目を見開く。
周りで見ていた者たちも、ネネフィーの突然の行動にあんぐりと口を開いた。
「んぐぅっ……うえぇっ……」
「ほら、騎士さま! しっかり押さえて下さいまし!」
ネネフィーの声に、騎士たちはもがくアズベルトの両手両足を慌てて押さえ込む。
「んじゃ、失礼しま~っす」
騎士たちがしっかり押さえたのを確認したネネフィーは、アズベルトの喉の奥へと更に手を突っ込んだ。
「んごふっ!? うごぇっ……」
アズベルトは涙目で激しくもがくが、ネネフィーは全く気にする事なく、
「あ! 捕まえた~」
そう言うと口から手を引っこ抜いた。
その瞬間、ずるりとアズベルトの口から黒くて長い物体が出てきた。
「きゃっ!?」
「え?!」
掴んだ事により実体化したソレは、暴れながらネネフィーの腕に尻尾を絡ませている。
その外見は、先程ネネフィーが言ったとおりヘビの姿をしていた。
周囲が騒然とする中、
「はい、どっか~ん」
ネネフィーは一切気にすることなく、そのヘビを片手で握り潰した。
その拍子に黒い霧が周囲に立ち上るが、ネネフィーがふぅっと息を吹きかけるとあっという間に消滅した。
「まずは1匹~。どんどんいくよ~」
周りがあ然とする中、ネネフィーは軽い口調でそう言うと、涙目で酷い顔をしているアズベルトの口の中に容赦なく再び手を突っ込んだのだった。
それから数刻後。
「終わったよ~」
手渡された布で手を拭いたネネフィーは、やり切った顔で額の汗を拭う。
「え、ええ……ありがとう」
「……」
「……」
いまいち反応の悪い周囲に小首を傾げながら、ネネフィーは床に倒れたままのアズベルトの顔を覗き込んだ。
先程まであった黒いシミは消え、黒く染まっていた髪も綺麗さっぱり消えていた。
「もしも~し、大丈夫ですかぁ~?」
ネネフィーは、眉間に皺を寄せて目を瞑っているアズベルトの頬をぺチぺチと叩く。
しかしアズベルトは目を覚まさない。
「あれぇ? おかしいなあ~」
上手くいかなければ、お礼にリース神の絵画が貰えない。
ネネフィーは焦って、先程よりも強い力でアズベルトの頬を何度も叩いた。
ベシベシベシベシベシベシベシベシベシベシ
ベシベシベシベシベシベシベシベシベシベシ
「う、う…う~ん……」
「あ!起きた起きた~。良かった~」
ネネフィーは、ほっとしながらアズベルトの顔を覗き込んだ。
強引に起こされたアズベルトは、くっきりと眉に皺を寄せながらうっすらと目を開ける。
ネネフィーはそんな彼に向けて言った。
「おはよう~」
2022.11.7修正
 




