子犬との出会い
冥府。
「この白薔薇だけが道しるべだったのに! どうして食べちゃってんの! わんこ!! ねえ、クソわんこ!!」
女は、腹を天に向けてすぴすぴと気持ち良さそうに寝ている子犬に駆け寄った。
どこまでも続く暗闇の中。
行く道を照らすかのように続いていた白薔薇は、遥か前方からやってきた一匹の黒い子犬に食べつくされており、ここから先には一本も咲いていなかった。
無惨に噛みちぎられた花弁が、子犬の鼻先にぺたりと張り付いている。
「ああ〜! どうしたらいいの? なんで犬が花なんか食べるのよ! 肉食のはずでしょ?!」
食べた白薔薇のせいだろう。
子犬の腹はぽっこりとふくらみ、内側から発光していた。
「ううううぎぎぎぎっ。クソわんこ! 起きなさい! クソわんこ!!」
「うるさいなぁ〜小娘。せっかく気持ちよく眠っていたのに。耳元でわめくな」
子犬が目を覚ました。
どうやら人語を話すようだ。
しかし女は気にしなかった。
何せここは冥府だ。
「あ、あなたのせいで、どこに向かって歩けばいいか分からなくなったのよ……」
女は突然号泣した。
それを見た子犬は面倒くさそうにくわっと大きく欠伸をすると、ぐぐぐっと伸びをした。
「別にいいだろ? 勝手に俺のテリトリー内で生えてたんだから。しかも神力たっぷりだ。うまかったぞ」
「うう、ひどい……」
「別にいいだろう。花の一本や二本」
「一本や二本どころじゃないでしょ! ひどいわ!」
「ひどくない! わざわざ目立つように発光しているのが悪い」
「ひどいいいいいい」
「…………」
「うわ~~~ん」
「う……。わ、悪かった、ごめんて」
なかなか泣き止まない女に、子犬は仕方なく謝った。
しかしどれだけ謝っても泣き止まない女に、子犬もだんだん腹が立ってくる。
「なんだよ! 謝ってるだろ! っていうかお前、なんだってこんな奥まで入り込んできてんだよ! 人間だろ!? 輪廻するなら全く逆だろうが! 早く来た道を戻れよ!」
「ひどい! 人間やめようって頑張ってここまで歩いてきたのに! こんな子犬にまで馬鹿にされるなんて!」
「はぁ??」
「もういい! ここにいる! ずっといる。一生動かないんだから。知らない! あっちへ行って! しっし」
女はうずくまった。
「待て待て、なんだお前。人間やめるって」
子犬はくんくんと女の匂いを嗅ぎ始めた。
「お前から、同族の気配がする」
子犬はそう言うと、しばらく女をじっと見つめた。
つぶらな瞳が非常に愛らしい。
「な、なによ」
「いや、別に。なるほど。そうか、お前か」
子犬は何かに納得したように、うんうんと頷いた。
「? ねえあなた。こんな所にいるってことは、人間じゃないわよね。まあ、犬だと思うけど。神様とずっと一緒に暮らす方法って知ってる?」
「唐突だなあ~お前。神と暮らす方法ねえ。人間には無理だな~。そもそも神には魂がない」
「え? そうなの?」
「神は人間とは根本的に違う。神以外に神に近い存在となると……そうだな、強いて言うなら、精霊族が近いかもな~」
「精霊族……」
「なんだお前、精霊にでもなりたいのか?」
「え? なれるの!」
「ムリ」
「が~ん」
女は再びめそめそと泣き始めた。
「どうせ私なんて……ただの人間なのよ。ゴミくずのように捨てられて、ここを永遠にさまようのよ。どうせ私は……」
「あ~あ~分かった分かった。お前を俺の眷属にしてやるから!」
「え! 本当!」
顔を上げた女の瞳は、一切濡れていなかった。
ウソ泣きである。
「いい性格してるな、お前」
「えへへ~ありがと」
「褒めてないんだが」
子犬は溜息を吐きながら、ぺっと口から小さな塊を吐き出した。
それはまるで、ガラスのようにキラキラと光る石だった。
「え、汚い」
「は? お前そんなこと言ってるとやめるぞ」
「あ、うそうそ。ごめんなさい」
「ふん。とにかくこれに、お前の魂を宿らせてやる」
そう言うと子犬は女の目の前に、先程口から吐き出した光る石をふわふわと浮かせた。
「何それ」
「私の神力で作った結晶石だ」
「結晶石」
「精霊族が持つコア、人間でいうところの魂みたいなものだな。これは俺と繋がっている」
「へえ……それじゃあ、これで私も精霊になれるの?」
女が何気なく結晶石に手を伸ばすと、突然眩い光を放ち始めた。
「え!? え!?」
「いいか。お前の魂がこれに宿ったとしても、すぐに精霊になれるわけじゃない。まだ人間のままだ。この結晶石に魔力や神力を集めろ。それがお前の力の源となる」
「集める? みなもと……」
「そうだ。その力がお前の肉体を次第に変化させていくだろう」
光を放つ結晶石。
女は余りの眩しさに目を閉じた。
次第に子犬の声が遠くなっていく。
「せいぜい精進しろ。それから小娘、リースによろしくな」
「え?」
ぱちりと目を覚ますと、ここ最近すっかり見慣れた天井が目に入った。
明け方近くまでさんざんアズベルトに翻弄されたネネフィーは、朝食後に惰眠をむさぼっていた。
開け放たれた窓からは、何やら口論する声が聞こえる。
「起きられましたか」
窓際に立っていたジェンが、衣擦れの音に気付いてネネフィーに声を掛けた。
「あ~うん。なんか、懐かしい夢を見たわ……。それにしても騒がしいようだけど、誰か喧嘩でもしてるの?」
「どうやらミラー家の門番が、どなたかともめているようです」
「へえ~」
ネネフィーはベッドから降りると、ジェンの側に立って外を眺めた。
「ここからでは死角になって何も見えませんが、もうかれこれ結構な時間言い争っています」
「すごいわね。もしかしてまた皇族がらみかしら」
「恐らくは」
ミラー公爵家にどなりこめる人間など、帝国内では限られている。
「ネネ。起きてる?」
ノック音と共に、扉の向こうからアズベルトの声が聞こえた。
「あ、はい。起きておりますわ」
ネネフィーが答えると、ジェンがすぐさま扉を開けた。
室内に入ってきたアズベルトは、ネネフィーの側まで歩み寄った。
「身体、大丈夫?」
「え?」
ネネフィーは、一瞬何のことを聞かれたのか分からず首を傾げるも、すぐに昨晩のことなのだと理解した。
「あ、はい」
アズベルトは真っ赤になってうつむくネネフィーを抱き寄せ、つむじにキスを贈る。
「ふふふ、ごめんね。ネネが可愛すぎて、つい」
お互いの体温を確かめあっていると、窓の外からひときわ大きな怒号が聞こえる。
アズベルトがため息を吐いた。
「どうやら懲りずに皇女が来たようなのだが……」
「え?!」
「どれだけ門前払いしても帰らない。人の目もあるし、一旦敷地内に入れることにしたんだよ」
「良いのですか?」
「建物内に入れるつもりはない。一時的に庭先だけ結界を解くことにした」
過去のアズベルトの呪いの一件から、ミラー公爵家の敷地内には悪意ある者が入ってこられないよう結界が張ってある。
「外は寒いから温室に席を用意した。ネネも準備しておいで」
「私も行っていいのですか?」
「どうやら君が目的のようだ」
「私ですか? もしかして昨日の一件を謝りにきたとか?」
「それはないよ。あれらの辞書に『謝罪』という文字はない」
アズベルトは即答する。
「それなら一体なんの用なのでしょうか?」
ネネフィーは首を傾げながらも、アズベルトの言われたとおり、急いでドレスに着替えて温室へと向かった。




