お庭デート
ああ、天にまします我らの神よ。
守護精霊よ!
守護神よ!
遍く神々よ! 星々よ!!
私は今、最高に幸せです! ありがとうございます!
ありがとうございますぅ!!!
数え切れないほど妄想し、夢に見たリース神が目の前にいて、しかも動いている。
ネネフィーは充足感で胸がいっぱいになりながら、目の前に座って紅茶を飲んでいるアズベルトの姿をじっと見つめた。
(まぶたが動いて! 瞬きしている! ああ、紅茶を召し上がって……、あ、唇がカップに、ああ喉仏が上下に動いて……? ああ、胸が呼吸の度に動いているわ! あら? もしかして想像よりも胸板が厚い? え? やだ腰から下半身が……っぐ)
「げふっげふっ……」
不自然にむせるネネフィーに、壁に控えた使用人たちは呆れた顔をしている。
彼等はネネフィーが幼い頃からこの屋敷に務めている為、彼女の考えている事など手に取るように分かった。
「こほっ、ん。こほん、ん、ん」
そうとは知らずネネフィーは軽い咳き込みでお茶を濁し、懲りずに再びアズベルトの観察を始めた。
伏し目がちのせいか長い睫毛が更に際立ち、瞬きする度に窓から入って来る光りを受けて輝いている。
落ち着いた色合いでありながらも一目で上質と分かる服装。
指先まで美しい所作と優雅でありながら凛とした佇まいは、贔屓目無しに見ても一般的な貴族のそれを軽く凌駕している圧倒的『美』がそこにはあった。
(最高です! ありがとうございますっっ!!!)
心の中で拝みながら、ひたすらアズベルトを見つめる。
しかし、興奮しすぎて現実でも手を合わせてアズベルトを拝んでいる事に、当の本人は全く気が付いていなかった。
ふとアズベルトが目線を上げた。
瞬間、二人の視線が交わる。
「ぴっ!」
あまりの破壊力に、ネネフィーは慌てて彼から視線を逸らした。
そして、心の底から神に感謝した。
(ううう美し過ぎるぅ! ありがとうございます! ありがとうございます!! これは運命、そう、運命ですわぁぁぁぁ!)
残念ながら運命でも何でもなく、ただただネネフィーがアズベルトをガン見していた為に目が合っただけのことだった。
「そうだ、ネネちゃん。折角だからお庭を案内して差し上げたらどうかしら??」
圧倒的挙動不審を続けるネネフィーに、アマリリスは提案した。
「はひ?」
ネネフィーは我に返る。
「お庭の白薔薇が見頃でしょう? 二人で行ってきたらどうかしら〜?」
「う、ふへぇ……?」
何を宣うのだこの母は。
ネネフィーは驚愕する。
覗き見は得意だが、二人っきりで、しかも視線を合わすなどもってのほか。
尊すぎて鼻血が出てしまう。
「む……りで、」
「そうなのですか? ネネフィー嬢、ぜひお願いします」
断ろうとしていたネネフィーの言葉に被せるようにアズベルトは言った。
「え、あ……」
「ぜひ、お願いします」
嬉しそうに微笑むアズベルトに、ネネフィーは困惑しながらアマリリスに助けを求めるように視線を送った。
しかしアマリリスはそんな視線をまるっと無視し、圧の強い笑みをたたえて紅茶を飲んでいる。
「……………………は、はい」
観念したネネフィーは、しぶしぶ頷いた。
「これは……美しいですね」
庭一面に広がる白薔薇を前に、アズベルトは感嘆の声を漏らした。
(いいえ! あなたの方が何倍も美しいですわ!!)
白薔薇の中に佇む彼の姿は、まるでこの世の者とは思えない程神々しかった。
(そう! 私はこれが見たかった、見たかったのよぉっ!!)
ネネフィーは握りしめた拳を何度も勢いよく振る。
勿論現実で。
元々この白薔薇は、ロッシーニ邸の庭の一画に植えられていた。
しかしネネフィーはとある文献を読んでリース神が白薔薇を好んでいたことを知り、両親に頼んで庭全体に植えてもらったのだ。
そしてこの白薔薇、実はロッシーニ領内でも結構な量咲いている。
実はネネフィー、領地に白薔薇を普及するべく勝手に自らが立ち上がり、外出の度に大量の種をポケットに詰めて至る所にせっせと撒いていた。
勿論そんな彼女の奇行を領民たちは気付いており『お嬢様がなさりたいなら』と温かく見守りつつ、希望通り白薔薇を育ててくれていた。
「一輪頂いても?」
「勿論ですわ!」
「ありがとう」
ネネフィーは間髪入れずに答えると、少し離れた場所で待機していた庭師を呼ぶ。
「もう少し短めに」
アズベルトは庭師から綺麗に処理された薔薇を受け取ると、香を楽しむように鼻に近付けた。
「私は白薔薇がとても好きなのです」
「あっ、は、はい。私も、好きです、はい!」
(があああああ!! あの薔薇になりたいぃいいっ!!)
「ふふふ。そうですか、好みが合いますね」
アズベルトはそう言うと、持っていた薔薇をネネフィーの髪に飾った。
「やはり良く似合いますね」
「えっ?」
まさか自分の髪に飾られると思わなかったネネフィーは、弾かれたようにアズベルトを見る。
しかし目が合った瞬間、恥ずかしさの余り直ぐに目線を逸らしてしまう。
「ネネフィー嬢。あなたは私との婚約はお嫌ですか? 一度もしっかりと目を合わせてくれませんね」
「え……あ、それは……」
「先程は好きだと言ってくれましたが、私ではあなたのお眼鏡には敵いませんでしたか?」
アズベルトの声のトーンがあからさまに落ちる。
ネネフィーは焦った。
「違います! 全く全然さっぱり違いますわ! その、あなた様が余りにも美しく、素敵過ぎるので、恥ずかしくて……」
ネネフィーはしどろもどろになりながらも、何とか彼の誤解を解こうと言葉を紡ぐ。
「そうなのですか?」
「はい。リース様にそっくりで、その……緊張しております……」
「リース、リースとは全能神リースの事ですか」
アズベルトは僅かに首を傾げながらネネフィーに尋ねた。
「はい……そうです」
「ネネフィー嬢は全能神の事は」
「大好きです!」
被せ気味にネネフィーは答える。
「それは良かった」
「え?」
「そもそも私が全能神に似ているのは、血筋的にまあ、仕方のない事です」
アズベルトにそう言われ、ネネフィーは彼の家系を思い出す。
彼の父であるミラー公爵は、現皇帝陛下の実弟に当たる。
リース神の血を引く皇族である彼が、多少リース神に似ていても全く不思議はなかった。
「ネネフィー嬢」
アズベルトはネネフィーの前に跪き、彼女の右手を取る。
「慣れないうちは緊張するかもしれませんが、その時は視線を逸らすのではなく、私の目を見つめて下さい」
「? 目を?」
「ええ。そうすれば緊張しているのだとすぐに気付けますので、私があなたをリラックスさせてあげられます」
「……えっと?」
アズベルトの提案にネネフィーは首を傾げた。
「私達は婚約者同士です。あなたが困っている時は力になりたいのです」
アズベルトはそう言うと、ネネフィーの右手の甲に優しく口付けた。
(ぴゃっ!!)
「それにいつまでも視線が合わないのは、悲しい事です」
ずいっと近付くアズベルトに驚いて、ネネフィーは思わず視線を逸らして手を引こうとするが、
「ネネフィー嬢」
柔らかく名を呼ばれ、ネネフィーはびくりと身体を硬直させる。
「ネネフィー嬢」
耳元で囁かれ、ネネフィーは真っ赤になってぴるぴると震える。
しかし先ほどアズベルトに言われた通り、頑張って彼の瞳を見つめた。
二人の視線が絡む。
「そう、偉いですね。ネネフィー、ネネとお呼びしても?」
清潔感のある爽やかな香りがネネフィーの鼻孔をくすぐる。
「……ネネ?」
再び耳元で囁かれ、ネネフィーはこくこくと頷く事しか出来なかった。
「ありがとう。私の事はアズと」
「アズ、さま……」
「ええ。ふふふ、嬉しいものですね。これからもよろしくお願いします。愛しい婚約者殿」
アズベルトはネネフィーの頬を指先でさらりと撫でる。
「さあ、折角です。もう少し二人で歩きましょう」
立ち上がった瞬間、僅かに残ったアズベルトの指先がネネフィーの唇を優しく掠めた。
「……ふぁ、い」
ネネフィーは真っ赤になりながら、アズベルトのエスコートで庭を歩く。
二人の身体の距離が、先程よりもあからさまに近付く。
彼の熱をその身に感じたネネフィーは、恥ずかしさに身悶えることしか出来なかった。
散歩から戻って直ぐにアズベルトは、ネネフィーの父ネロと執務室に消えていった。
名残惜しそうに見送ったネネフィーは、くるりと方向転換すると、令嬢にあるまじき全力疾走で自室へと戻った。
それから本棚の裏にある隠し扉から、秘密の小部屋へと駆け込む。
ネネフィーの夢と希望と妄想の全てが詰まったお宝部屋だ。
誕生日や記念日に家族におねだりしたリース神の肖像画や本の数々。
教会のパンフレットに至るまでご丁寧に保護の魔法がしっかりとかけられており、劣化しない仕様になっている。
ネネフィーは鼻息も荒く最近手に入れたばかりの本を手に取ると、部屋の中央に置かれたソファーにどさりと腰を下ろして本を開く。
そこには今までにない程鮮明なリース神の顔がアップで描かれており、初めてこの本を書店で見付けた時、ネネフィーは思わず同じ物を3冊購入した程だった。
「やっぱり似ていらっしゃる……」
その本に描かれているリース神の肖像画。
いやこれはむしろ、アズベルトの肖像画と言っても差し支えないだろう。
それ程までに二人は瓜二つだった。
「はぁ……カッコいいですわ……」
しかし、やはり実物の方が遥かに麗しくて素敵だった。
そしてネネフィーは、自分の想像力のなさに少し落ち込んだ。
色彩、存在感、声、所作、匂い全てにおいて圧倒的で、妄想内のリース神よりも実物の方が想像の何倍も素晴らしかった。
「あの瞳に見つめられると……私……くぅ……」
ネネフィーは興奮の余りバンバンとソファーのひじ掛けを叩くと、近くにあったクッションを抱き締めて床をゴロゴロと転がり出す。
「……それにしてもアズ様、いい匂いでしたわ……」
ネネフィーはクッションに顔を埋めて、すーはーすーはーと息を吸う。
彼女の奇行は、侍女が食事に呼びに来るまでしばらく続いた。
2022.11.3修正