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水の神殿

 次の日。

 ネネフィーはアズベルトに誘われて、隣の領地オックス領にある神殿まで足を運んでいた。


「ここはアクアオックス神殿、別名『水の神殿』と呼ばれています」


 アズベルトが視線を向けた先。

 帝都の大神殿程ではないものの、荘厳な白亜の神殿が建っており、その周囲は湧き出した水でできた小さな池がいくつも点在していた。


「あの人たち、お祈りに来ているのですか?」


 ネネフィーは、神殿入口付近で列をなしている人々を指差しながら、魔道具で姿を変えているアズベルトに尋ねた。


「彼等は観光客でしょう」

「観光客? お祈りではなくて?」

「ええ。もしくは聖水を求めて並んでいるのかもしれませんね。神殿は神々の住まう場所。教会とは違い、祈りを捧げる場所はありませんので」


 午前中の涼しい時間とはいえ、日差しはなかなかに厳しい。

 アズベルトは、ネネフィーの手を引きながら人々の列を横目に通り過ぎる。

 2人が歩くすぐ後ろには、一定の間隔を開けてジョエルとジェンが続き、更にもう少し離れた場所には護衛たちが辺りを警戒しながらついてきていた。


 しばらく歩くと、神殿の裏側にある大きな門の前まで辿り着いた。



「お待ちしておりました。アズベルト様」

 到着と同時に門が開き、2人の神官がアズベルトに向かって恭しく腰を折る。

 その後、案内されるままに神殿内に入ると、目の前に広くて長い廊下が続いていた。


 ひんやりとした神殿内は外の喧騒が嘘のように静まり返り、辺りには皆の足音だけが響く。


「すっごく静かですわ……」

 ネネフィーは、思わず内緒話をするように声を小さくする。


「ふふふ。声を潜めなくても大丈夫ですよ、ネネ」

「え? あ……つい……」

「先程の話の続きになりますが、観光客には祈りの場は提供されていませんが、皇族とその親族に限り、神殿の最奥にある神の間にて祈りを捧げることが出来ます」

「へぇ~」

「いわゆる親族特権というヤツですね。神殿は神々の住みかですから、土足で踏み入ることは出来ません。観光客に公開されているのも入口付近のみです。しかし我々皇族は、神を先祖に持ちますので……まあ、かなりの遠縁ではありますが。直接神の住まう場所に来て、祈ることが赦されるのです」

「あ~なるほど……」

「皇族が神殿を訪れる際は、先程のように裏門を使います。この廊下は最奥の神の間へと続いていますので、皇族関係者と上級神官以外は立入る事は出来ません」

「え?! 私が入って大丈夫なのですか?」

 ネネフィーは慌てる。


「ネネは私の婚約者で将来の妻です。良いに決まっているではありませんか」

「あ………………ふゃい」


 真っ赤になって俯くネネフィーを見ながら、アズベルトは嬉しそうに繋いでいる手に力を込めた。

 そんな2人の初々しい姿に、案内していた神官も思わず頬を緩める。



 しばらく歩き続けると、吹き抜けの広間に到着する。

 目の前に広がる庭園には小さい川が流れ、季節の花が咲き乱れている。


「ネネ、悪いのだけれど少しここで待っていてくれますか?」

「はい! 分かりましたわ!」

 ネネフィーは、目の前の庭園に出たくてうずうずしながら答える。


「すぐに戻ります」

 そう言うと、アズベルトは神官の1人と共に奥の部屋へと消えていった。


「さあ、お嬢様はこちらに」

 残った神官が、庭を一望出来るテラスへとネネフィーを案内する。

 すると別の神官が、軽食の乗ったワゴンを押しながら近付いて来た。


「私がさせて頂きます」

 先程まで黙ってネネフィーの後ろに控えていたジェンは、神官からワゴンを受け取ると手早くセッティングを始めた。


「後でお庭に出ても良いかしら?」

「勿論でございます」

 ネネフィーの問いに、神官は満面の笑みで答えた。



 水の流れる音と小鳥のさえずり。

 ネネフィーは出された紅茶を飲みながら、ゆったりとした時間を堪能する。

 しかしそんな穏やかな時間も一瞬で終わりを告げた。



「だから! あの赤毛、あの赤毛の女を呼びなさいと言っているのよ!!」 


 不意に、辺りにヒステリックな女の声が響き渡った。

 ネネフィーは驚いて声の方を見ると、庭の遥か向こう、背の高い柵で区切られた先で、1人の女性が神官に詰め寄っているのが見えた。


「失礼します」

 突然の出来事に、傍に控えていた神官の1人が慌てて駆けて行く。

 ネネフィーはしばらく成り行きを見ていたが、どういう訳か、騒いでいる女性と頻繁に目が合う。

 いや、正確にはめちゃくちゃ睨まれていた。


「凄いわね~。あんなに遠くなのに声がはっきりと聞こえるわ」

「品のないご令嬢でございますね」

 ネネフィーの言葉にジェンは淡々と答える。


「でもジェン。何故かあの方、しきりに私たちの方を見ている気がするのだけれど……ジェンの知り合いなの? 」

「いえ、記憶にございません」

「私もないわよ」


 ネネフィーとジェンは首を傾げた。


「あの方は、巫女見習いとして神殿に通っておられるオックス伯爵のご令嬢ローリエ様でございます」

 二人の疑問に、側に控えていた神官が答える。


「巫女見習いですか? 初めて聞く言葉ですわ。神官の役割のひとつなのですか?」

 ネネフィーが尋ねた。


「はい。『巫女』は遠い昔に存在していた神殿職の1つです。彼女たちは神の側で神の声を聞いていたのですが、色々あって現在その職は存在しておりません。ただ、ローリエ様は領主様のご息女ですので、巫女見習いとして……その……」

「つまり『巫女見習い』とは、神殿側が仕方なしに作った彼女の為の名誉職のようなものですか」

 ジェンは、バツが悪そうにしている神官に言う。


「はい、お恥ずかしい話ですが……あの方は何かしらの地位にお就きにならないと納得されない方ですので……」

「あ~色々大変ですね……」

 つまりあのローリエという令嬢は、かなりの我がまま娘なのだろう。

 ネネフィーは気の毒そうに眉を下げながら、遠くで騒いでいる件のご令嬢に視線を向けた。


「しかしご安心下さい。あの方は柵のこちら側に立ち入る事は出来ませんので」

 神殿の名誉職であっても、ここは皇族関係者専用の場所。

 しっかりと柵で区切られている為、入って来ることは出来ない。


 しかしそうは言うものの、先程からこの辺り一帯にローリエの声が響き渡っている。

 ネネフィーは何となく好奇心に負けて立ち上がると、彼女の側まで歩いて行った。

 柵越しに見た彼女は鬼の形相でネネフィーたちを睨んでいるものの、外見は金髪に青い目をした美しい令嬢だった。


「あの、もしかして私に何か用でもあるのですか?」

 小首を傾げつつ、にっこりと微笑みながらネネフィーは尋ねた。


「そうよ! さっきからこの私が呼んでいるのだから早く来なさいよ。まあいいわ、そんなことよりもあなた、数日前からアズベルト様の別荘に滞在してはいないかしら?」

 まさか彼女の口からアズベルトの名が出るとは思わず、ネネフィーは驚いて目を見開いた。


「見張らせていた者から、最近赤毛の女がアズベルト様の別荘に出入りしていると聞いたのよ。それってあなたの事かしら? どうなの? 答えなさい」

 ネネフィーの後ろに立っていたジェンは、不快そうにぴくりと眉を動かす。


「まあ、あなたがその赤毛の女だったとして、私には全く関係のない話だけれどね」

「?」

 ネネフィーは意味が分からず首を傾げる。


「別荘ではきっと歓迎されなかったでしょう? うふふ、使用人たちから嫌がらせを受けているあなたの姿が目に浮かぶわ」

「え……」

「だって、この私こそがアズベルト様の婚約者なのですから! いくら彼に色目を使おうと意味などないのよ。お邪魔虫はとっとと去ることね」

 ローリエはふふふんと鼻で笑いながら、大声でネネフィーに告げた。


 その瞬間、ジェンと神官の顔色が変わる。

 ローリエ以外、ここにいる誰もがアズベルトの婚約者はネネフィーであることを知っている。


 ルビリオン帝国内で表立った場での皇族に関する虚偽の申告は良くて禁固刑、悪くて極刑に課せられる。

 ここは神殿内。限られた内輪での冗談話とは訳が違う。

 しかもローリエの声は非常に大きく、先程の彼女の言葉は神殿内に響き渡っていた。

 周囲が騒然とする中、ネネフィーは見当違いのことを考えていた。


(……この方、もしかしてアズ様の熱狂的なファンではないのかしら? 妄想の中で、既にアズ様と婚約しているのかもしれないわね)


 そしてネネフィーは思う。

 彼女も自分と同じように普段から日常的にアズベルトとの妄想を楽しんでいるのだとしたら、彼女とお友達になれるのではないか、と。


 そもそもネネフィーは、領地から出なかったせいもあって歳の近い友達が1人もいない。

 ネネフィーは今、手元にリース神の載った本が無い事実に激しく後悔した。


(あの本があれば、彼女と二人でリース神について熱く語ることが出来たのに! おしい、おしいわ! こうなったら、言葉だけで彼の素晴らしさを伝えなければ!)


 ネネフィーは使命感に燃え、いつの間にか無意識に口角がニヨニヨと緩む。

 その顔を見たローリエが、あからさまに眉を顰めた。


「ちょっとあなた、何を笑っているのかしら?」

「えっ! ……いえ、その」

「どこの誰だか知らないけれど、余り調子に乗らないことね。私を怒らせると、タダでは済まなくてよ!」

 ローリエの突然の宣戦布告に、ネネフィーはぴたりと動きを止めた。


「…………………タダでは済まない?」

 ネネフィーはゆっくりとローリエの言葉を繰り返した。


「そ、そうよ! 私とアズベルト様の仲を邪魔しようなんて、お父様に頼んで罰を与えてやるわ!」

「……私に罰を与える。つまりあなたは敵?」


 ネネフィーは大きく目を見開き、こてんと首を横に傾けた。

 瞬間、ネネフィーはローリエめがけて威嚇魔法を発動させる。


 びりっと電流のような痺れがローリエを襲う。

 頭のてっぺんからつま先まで、まるで雷に打たれたように身動きが取れない。

 何とか言葉だけでも発しようと口を開くが、喉周辺もびりびりと痺れて息ばかりが出てしまう。


 ローリエの背中に冷たい汗が流れる。

 ちらりと盗み見ると、ネネフィーが満面の笑みをたたえてこちらを見ていた。


 ローリエの喉がひゅっと鳴る。

 理解出来ない恐怖が全身を襲いカタカタと身を震わせていると、突然1人の男が会話に割って入って来た。


「こちらにいらっしゃいましたか!! ローリエお嬢様!」

 瞬間、ネネフィーの威嚇が止まる。


「お嬢様、旦那様がお呼びです。至急お戻り下さい」

 オックス家の使用人だろう、呼吸の乱れを整えることもせずにローリエの腕を不躾に掴んで引っ張った。

 平時であれば怒り狂うローリエも、この場所から逃れることが出来ると分かり、素直に彼の言葉に従う。


「と、とにかく急いでください!! 早く! それでは失礼します」

 使用人は柵越しにではあるが周囲に頭を下げると、半ば引きずるようにローリエを連れ去っていった。


2022.11.26修正

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