恋をしよう
神々だけが知っている。
遠い昔の物語。
人間界に安寧をもたらす為に顕現した全能神リースは、1人の人間の女性と恋に落ちた。
彼女の名はフルール。
燃えるような真っ赤な髪と紫の瞳を持つ、小柄で愛らしい女性だった。
「あ、おはよ……リース様」
ベッドに横たわったフルールは、薄っすらと目を開く。
すると彼女の紫の瞳の中に、安堵したリースの顔が映った。
「おはよう。フルール」
(連れていかれたのかと思った)
リースはフルールに寄り添うように横たわると、すっかり弱々しくなった彼女の身体を抱き締めて安堵の溜息を漏らした。
形あるものは全て壊れる。
それは自然の摂理。
リースはずっとそう思っていたし、気に留めることもなかった。
しかし、目の前で愛する乙女の命の灯火が消えようとしている今、感じたことのない焦燥感に苛まれていた。
「ねえリース様。人は死んだらどうなるのかしら?」
フルールの問いに、リースは思わず息を飲んだ。
「……詳しく聞きたいですか?」
「う~ん。少しだけ聞きたいかも」
フルールは小さく首を傾げた。
「そうですね。実は私も詳しくは知らないのです」
「え?! リース様にも分からないことあるんだ?」
フルールは驚く。
「人間は私のことを『全能神』などと呼びますが、正確には創造の神ですからね。『無』は管轄外。でもまあ、大まかなことは知っていますよ」
「そっか……。じゃあさぁ、私たち、また会えるかなぁ?」
フルールの語尾が掠れ、頑張って作ったであろう笑顔もすぐに崩れる。
「ああ、泣かないで」
リースはフルールを抱き締める腕に力を込めた。
「大丈夫、きっと会えます。私を誰だと思っているのですか?」
「ふっ。神様だわ」
フルールは思わず小さく吹き出した。
「ええ、そうです。人間には輪廻転生というものがありますから、必ずまた会えますよ。おっちょこちょいの君のことですから、もしかすると私のことを忘れているかもしれませんね」
リースはからかうように告げる。
「あら? でもそうなっても私、きっとまたリース様に恋をするわ! 絶対」
「ふふふ、そうでしょうね。フルールは私の顔、大好きですから」
「ええ! 勿論。最高に好み!」
フルールは胸を張る。
「再び会って恋をして、2人で飽きるほど一緒にいましょう。次の生が終わったら次の生。それからまた次の生。こう考えると、ワクワクしませんか?」
「たしかに!」
「その時私が眠っていたら、いつも通り起こして下さいね」
「あ~、リース様ってばごろごろするの好きだもんね~。分かった! 任せて」
「神は怠惰なのです。ミッツァもそうでしょう?」
「あ~確かに。ミーちゃんもいっつもごろごろ寝てるね」
神は元来人の姿を持たない。
地上に顕現する為に敢えて身体を作っている。
神は常に世界に溶けて世界を観ている訳なのだが、フルールにしたらそれがごろごろと寝ているように見えた。
しかし今のリースは、それについて彼女に説明する気はなかった。
「冥府が過ごしやすいからといって、長居しないように」
「え? 過ごしやすいの?!」
「……フルール」
「はい! ごめんなさい」
弱弱しいながらも、フルールは屈託なく笑う。
「愛していますよ。私のフルール、運命の乙女。私はきっと、何度でも君に恋をするでしょう」
「うんうん、ありがとう。私も大好き。愛してる、リース様」
それからしばらくして、寿命を迎えたフルールの身体からゆっくりと魔力が抜けていく。
リースにはそれが手に取るように分かったが、それでも彼女の身体を離すことができなかった。
「生まれ変わってまた出会えたら、沢山沢山楽しい事をしましょう。ずっと待っています。絶対にまた会いましょう。何度だって君を探し出して恋をします」
彼女の身体から最後の魔力が天へと帰っていく。
キラキラと光りを伴って昇っていくそれに、リースは思わず手を伸ばした。
しかしそれは無常にもその手をすり抜け、遥か空高くへと消えていった。
「ああ、ああ行かないで、フルール。起きて、起きてくれ。愛しい人。私を置いていかないで。目を開けて、起きて、起きて……」
リースは動かなくなった彼女の身体を抱き締めながら泣き崩れた。
こんなことならば、恋など知らなければ良かった。
リースは彼女の身体を抱いたままフラフラと神殿内を歩き、いつも2人で過ごした場所へと辿り着く。
腕の中の彼女は次第に冷たくなっていくが、不思議と熱や匂い、声だけはいつまでもリースの胸に残っていた。
リースが瞬きすれば新しい命が生まれる。
それらは自らの命を全うし、消えていく。そして再び命は生まれる。
それこそが輪廻。それこそが摂理。だからこそ、世界の全ては美しい。
では、彼女を思うこの気持ちはどうだろう?
リースは思った。
形も無い。命も無い。ただただ曖昧に揺れる心。
移り行く何か。
生まれては消え、生まれては消える。まるで泡沫のよう。
もしこの気持ちが輪廻にも摂理にも属さないのだとすれば、自分が望む限りそこにあり続けることが出来るのではないか?
何物にも属さず、囚われない私だけの心。
私がそれを維持し続けたならば、きっとそれはそこに留まることが出来るはず。
つまり、失われることはない。
失われることはない。
そう悟った瞬間、リースは立ち上がり、離すことの出来なかった彼女の亡骸を霊廟へと移した。
それから毎日、フルールの好きだった白い薔薇を一輪携えて彼女の棺に捧げた。
毎日毎日神力を込めて。
冥府で道に迷わないように。
必ずこちらに戻って来れるように。
私の心が留まるように。
フルールが死んで999日目。
棺が白い薔薇で埋め尽くされた頃。
リースは、いつか生まれて変わるであろうフルールの保護役と帝国の舵取り役にミッツァとシモベを地上に残し、神の国へと帰っていった。
「ああ、早く君の声が聞きたい。私の元に帰っておいで。いつまでもいつまでも待っているから」
あれから幾度。
リースはフルールの魂の気配を感じる度に、地上に自らの器を作って彼女と出会った。
記憶のないまっさらな彼女は、不思議なことにどの生でも赤い髪と紫の瞳を持っていた。
そして以前と変わらずリースを愛し、共に過ごした後に寿命が来ると再び眠りについた。
繰り返す輪廻の中、2人は何度も何度も恋をする。
リースにとってその恋はほろ苦く、儚く身を焦がすほど切ないけれど、何よりも尊いものだった。
2022.11.23修正
花言葉
999本の薔薇→何度生まれ変わってもあなたを愛する




