あなただけの存在
アズベルトに抱かれたまま馬車を降りたネネフィーは、2人が森の中に立っていることに気が付いた。
聞こえるのは鳥のさえずりと木々のさざめき。
夏とは思えない涼しい風が森の間を通り抜け、優しく頬を掠める。
魔道具を解除したアズベルトの銀の髪がふわりと揺れ、木漏れ日を浴びてきらきらと輝いていた。
ネネフィーは思わずアズベルトの肩口に顔を埋め、めいっぱい鼻で息を吸い込む。
「ここは私の隠れ家です。煩わしい者はいません。しばらくここでゆっくり過ごしましょうね」
アズベルトはネネフィーの耳元で甘く囁くと、木漏れ日の向こうに建つロッジ目指して歩いていった。
「なんか、凄かったですわ……」
いつの間にか合流したジェンに入れてもらった紅茶を飲みながら、ネネフィーはあてがわれた部屋でしみじみと呟いた。
「? 何が凄かったのでしょうか?」
「何もかもよ……」
ジェンの問いに、ネネフィーは大きく息を吐いた。
今朝まで宿泊していた屋敷よりも随分小ぢんまりとしているものの、室内は温かみのある落ち着いた雰囲気で、冬に大活躍するであろう大きな暖炉が壁に設置されており、ネネフィーの旅行気分をいやがおうにも高めてくれる。
「昼食に食べたステーキのお店、目の前で焼いてくれたの。とっても美味しかったわ。それから馬車では沢山のお話をしましたの!」
「それはようございました」
「それでね。あの、今晩続きがあるって言っていたわ」
「続きですか? それは一体何の続きでございましょうか?」
「う~ん。正直良く分からないけど、多分……いちゃいちゃ?」
ネネフィーは馬車での行為を思い出し、顔を朱に染める。
「いちゃいちゃ、ですか?」
「うん。多分……」
もじもじと人差し指を動かすネネフィーに、ジェンの動きがぴたりと止まる。
「承知しました。お嬢様、今から入浴致しますよ」
「入浴?! 今から? まだお昼過ぎよ?」
「遅いくらいです。さあさあ行きますよ。専属侍女の名にかけて、お嬢様を存分に磨かせて頂きます」
「は? え?!」
ジェンは有無を言わせずネネフィーを浴槽に放り込むと、頭の先から足の先までピカピカに磨き始めた。
この国の飲酒可能年齢は16歳以上であるが、保護者が付き添う場合はその限りではない。
夕食を終えたネネフィーは、アズベルトの部屋に招かれ、勧められるままに果実酒をちびちびと飲んでいた。
僅かに絞られた照明の下、ネネフィーの隣に機嫌良く座ったアズベルトは赤ワインをゆっくりとグラスの中でくゆらせている。
(近い近い近い近い近い近い)
先程からアズベルトの膝が、ネネフィーの膝にぴたりとくっついている。
ネネフィーは最初、座っているソファーが少し狭いのかと思い身体を横にずらした。
しかしそれに合わせてアズベルトも同じように動くので、いつの間にかネネフィーはアズベルトによってソファーの端まで追い詰められていた。
ここ数日でくっつくことに随分慣れたネネフィーだったが、いかんせん今着ている夜着に問題がある。
(ジェン……よりによって何で今日はこれを選んだの!)
『暑い夏の夜を快適に過ごせますよ』とジェンに勧められた夜着。
確かに着ていることを忘れてしまう程快適なのだが、ぶっちゃけ着ている意味あるの? と思わせるほどの透け透け具合だった。
ほの暗い室内ではあるが、きっと見えてはいけない部分が丸見えになっていることだろう。
ネネフィーは内心そわそわしながら、グラスを持つ手で胸を隠していた。
「お口に合いますか?」
アズベルトに尋ねられ、ネネフィーははっと顔を上げる。
勧められた果実酒はとろっとして甘く口当たりは非常に良いのだが、そわそわし過ぎてネネフィーには味がよく分からなかった。
「オイシイデス……ハイ」
「そう、良かった」
吐息と共に耳元で囁かれ、グラスを持つネネフィーの手がびくりと震える。
(だから近いですって~~~!!)
アズベルトは空いた手をソファーの背もたれに乗せ、ネネフィーの髪を指先でくるくると弄ぶ。
密着した身体のせいか、はたまたアルコールのせいか。
ネネフィーの体温は、明らかに上昇し続けた。
(ムリムリムリムリムリムリ!! 破廉恥過ぎますわぁぁぁっ!!!)
ネネフィーはテーブルの上にタンッとグラスを置くと、勢いよく立ち上がった。
「アズ様!!」
「なぁに?」
ゆったりと答えるアズベルトの妖しい微笑みに、ネネフィーはビシッと勢いよく指を差す。
「そんなに素晴らしく麗しい顔をしてもダメです! 素敵過ぎて折角のお酒の味が全く分かりません! 破廉恥です!! 少し私から離れて下さいませ!!」
「それはだ~め」
「へ?」
アズベルトは指差していたネネフィーの人差し指をやんわりと握る。
「ぴぎゃっ!!?」
ネネフィーの奇声にアズベルトはふふふと笑いながら持っていたグラスをテーブルに置くと、彼女の腰をぐいっと抱き寄せた。
「頑張って口説いているのです。どうやってネネをベッドに誘おうかと」
「へっ?」
「いかにネネをその気にさせるか、今の私はそのことだけで頭がいっぱいなのですよ」
アズベルトは指先でネネフィーの頬をすうっと撫でると、彼女の唇をゆっくりと辿る。
「その、気?」
「ええ、そうです」
アズベルトはネネフィーが置いたグラスを手に取って果実酒を口に含むと、呆けているネネフィーの唇にしっとりと自らの唇を重ねた。
合わされた唇から果実酒をゆっくりと流し込まれ、ネネフィーは驚いて唇を離そうとするが上手くいかない。
とろっとした甘さが舌の上を転がり、どうしようもなくなったネネフィーはコクリとそれを飲み込んだ。
「良い子ですね」
唇が離れた瞬間にアズベルトは囁く。
「わ、私がベッドに行くと、どうなるの、ですか?」
「そうですね、ネネは完全に私だけの存在となります」
「アズ様だけの、存在……」
「勿論、私もネネだけの存在になりますね」
アズベルトは空いた手でやんわりとネネフィーの手を握り込むと、親指の腹で手の甲をなぞる。
胸がぎゅうっと苦しくなったネネフィーは、そんなアズベルトの手を握り返した。
指先がジンと熱くなりしびれが伴う。
ネネフィーは、自分の手がかすかに震えていることに気付くが、それでも身体中から溢れてくる熱い塊のような激情を無視することは出来なかった。
「行く」
「うん?」
「アズ様とベッドへ行きたい、です」
ネネフィーは真っ赤になりながらも、アズベルトの瞳を真っ直ぐに見つめてはっきりと口にする。
瞬間アズベルトは目を細めて嬉しそうに微笑むと、小さく小さく呟いた。
「そっか……、ありがとう。嬉しいよ」
また私を選んでくれて。
アズベルトはネネフィーを優しく抱き上げる。
「愛してるよ。私だけのネネ」
こうして二人は、再びお互いだけの存在となった。
そして繰り返される、二人だけの恋の物語。
2022.11.23修正




