鮮血の誕生日
ネネフィーが生まれて初めてリース神の肖像画を見たのは、3歳の誕生日だった。
「ネネちゃん、お誕生日おめでとう~」
「あーい!!」
3歳の誕生日を迎えた朝、ネネフィーは母アマリリスから一冊の本をプレゼントされた。
「ごほん~?」
お気に入りのぬいぐるみを抱いていたネネフィーは、紫の瞳をぱちくりさせながらコテンと首を傾げた。
「ええそうよ~。さあ、開いてみてちょうだい。きっと気に入るわ~」
ニコニコと笑うアマリリスに、ネネフィーは抱いていたぬいぐるみを床に置いて本を受け取った。
金で装飾された重厚で美しいその本の表紙には『ルビリオン帝国と周辺諸国の神々』と書かれている。
幼い子供に与えるには難解な本に見えるが、実はこの本、帝国と周辺国との歴史が絵画で分かりやすく説明されている歴史書の1つで、まだ読み書きすらままならない幼い子供に買い与える帝国貴族には慣れ親しんだ本の1つであった。
アマリリスは幼子には重すぎるその本を、ネネフィーがページをめくりやすいように傍らで支える。
「あぅ……きれぇ……ん?」
美しい絵画に目を輝かせながら次々とページをめくっていたネネフィーは、とあるページに差し掛かった瞬間、ぴたりと手を止めた。
「ネネちゃん?」
微動だにしない我が子に、アマリリスは声を掛ける。
ネネフィーはしばらくそのページを凝視していたかと思うと、突然鼻から大量の血を噴き出してその場に膝から崩れ落ちた。
「ぐぅ……ふぅ……」
「ネネちゃん!!」
ネネフィーは身悶えながらはぁはぁと荒い呼吸を繰り返し、近くに置いていたぬいぐるみを手繰り寄せてバンバンと床に何度も叩きつけた。
突然のネネフィーの奇行に驚くも、アマリリスはすぐに使用人から清潔な布を受け取り、彼女の鼻にあてて回復魔法をかけた。
「ネネちゃん、どうしたの? 大丈夫?」
その声にネネフィーはハッと我に返ると、震える指先で本を指差した。
「お、おかぁたま……この、このかたは……?!」
指差されたページ。
そこには銀髪で翠の瞳を持つ美丈夫が描かれていた。
「ああ。その方は全能神にしてこの国の初代皇帝であらせられるリース・ルビリオン様ですよ。素晴らしい御方でしょう~?」
にっこりと微笑むアマリリスに、ネネフィーは頬を染めてこくこくと何度も頷く。
「あらあら、余り顔を揺らしてはダメよ? 少し落ち着きましょうか」
「あう……リースしゃ……ふぁ……」
ネネフィーはアマリリスの言葉を無視して再びそのページを凝視する。
柔らかそうな白銀の髪をなびかせ、遠くを見つめる美しい淡い翠の瞳。
そして何よりもネネフィーが気に入ったのは、僅かに垂れた目尻だった。
(しゅき……!!!!!)
ネネフィーは3歳にして突然恋に落ちた。
初恋だった。
「ネネちゃん、ネネちゃん。我がロッシーニ家はず~っと昔からリース様にお仕えしているのよ」
「うぇ!?」
ネネフィーは驚いてアマリリスの顔を見上げる。
ロッシーニ家は隣国との国境沿いに領地を持つ。
ルビリオン帝国を他国の侵略から防ぐのは勿論のこと、辺境に住まう魔獣を狩り、そこで採れた魔石で結界石を作って代々皇帝陛下に献上していた。
こうして皇族たちは皆、生まれてすぐにその結界石を身につけ、外敵から身を守っているのだ。
〝結界石〟とは文字通り、結界を張ることが出来る魔石を指す。
そして、帝国一の結界石を作り出すことが出来るのがロッシーニ家であった。
「我々の使命は、尊き神の血をお守りすること。ネネちゃんがしっかりお勉強して魔法が今よりもっとずっと強くなったら、一緒にリース様の為に働きましょうね」
「あい!! がんばゆ!!」
ネネフィーは元気良く右手を真っ直ぐに上げた。
「良いお返事ね。そんなネネちゃんに、もっと良い事を教えてあげるわ。実はその本の後ろのページには、もっと沢山リース様が載っているのよ~」
「えっ?!」
それを聞いたネネフィーはすぐさま床に行儀良く正座すると、両手のひらをドレスで拭いて残りのページにゆっくりと目を通し始めた。
1ページ1ページゆっくりと。
左右上下斜めなど、本を動かしながら様々な角度からリース神を堪能する。
何だったら、近付いて匂いを嗅いだりしたりもする。
「くんくん、ぐっ、えへへ。ふぅ……はぁ……ひょぇ……うあああああ……」
(しゅてきしゅてきしゅてき……かっこいぃ、かっこういぃ……)
出血のせいか、はたまた興奮のせいか、ネネフィーの意識が次第に遠のいていく。
その表情は恍惚としているにもかかわらず、安らかで悟りを拓いたようだったとのちに使用人たちは語っている。
傍にポツンと放置されたぬいぐるみは、無残にも鼻血で赤く染まっていた。
この日を境に、ネネフィーは魔法の勉強に力を入れるようになった。
それと同時にどこへ行くにも3歳の誕生日にもらったあの本を持ち歩き、暇を見付けてはリース神の描かれたページを見つめながらうっとりする日々が続いた。
時折彼女の部屋から不可解な奇声が聞こえてくるが、幼子によくある一過性のモノだろうと大人たちは生暖かい目で見守っていた。
しかしそんな周りの想いも虚しく、ネネフィーのリース神への愛は日に日に重くなっていく。
妄想に妄想を重ね、既にリース神と脳内会話まで余裕で可能となったネネフィーに敵はいない。
こうして初恋を拗らせまくり、現在に至るのだった。
2022.11.3修正