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出発

「おはようございます、お嬢様」

「お、おはよう……?」


 目を覚ましたネネフィーは、ベッドのすぐ横で鬼の形相で仁王立ちしているジェンに気が付いた。

 


「お嬢様」

「は、はい、どうかしたの、かしら?」

「言い訳はございますか?」

「え? 言い訳? 何の?」

「昨晩はどちらに?」

「昨晩……?」


 昨晩はディナーの後、明日から始まるバカンスに備えて早い時間にベッドに入り、寝るまでジェンと共にいた。

 何を問われているのだろうか。

 ネネフィーは首を傾げながらジェンが睨む視線の先を見ると、何故かシーツが灰を被ったように煤けていた。


「?」

(なんだろう? 煤?)


 ネネフィーは不思議に思いながら手の平を見ると、そこにもベッタリと黒い煤のようなものがこびり付いていた。

 周囲を確認すると、シーツや枕は勿論のこと、着ている夜着も同じように汚れている。


「? なに……? これ」


 ネネフィーが改めてジェンに尋ねようと顔を上げると、ジェンの背後に同じ汚れが見えた。


 バルコニーへと続く扉から、淡い色の絨毯に点々と続く黒い足跡。

 それを見た瞬間、ネネフィーははっきりと昨晩の出来事を思い出した。



(やばっ! そういえば、昨日裸足だったですわぁ……)

 恐る恐るシーツをめくって確認すると、案の定足の裏も真っ黒に汚れていた。


「ちなみにお嬢様、お顔までも真っ黒です」

「え?! 嘘!」


 いかにミラー公爵家の使用人が優秀であったとしても、外装や屋根まで頻繁に磨くことはない。

 昨晩汚れたまま気付かずベッドに入ったネネフィーは、ゴロゴロと寝返りを打ち、あまつさえ顔や身体をぽりぽりとかいたせいで、暖炉から出てきたように体中が煤けて真っ黒になってしまっていた。



 その後、案の定ジェンから懇々と説教をくらい、湯舟に放り込まれて身体中ゴシゴシと洗われたネネフィーは、朝からすっかり疲れ切ってしまった。




「おはようネネ。気分はどうですか?」

 馬車に積み込まれる荷物をぼーっと眺めていたネネフィーは、背後から声を掛けられて慌てて振り返った。


「あ、アズ様。おはようございます」

「ふふふ、おはよう」


 アズベルトはネネフィーの腰に手を回して優しく抱き寄せると、額に軽く口付けた。

 途端にネネフィーの身体からふにゃっと力が抜ける。


 ミラー公爵邸に来て早3日。

 アズベルトとネネフィーの距離は一気に近付いた。


 事あるごとに側に寄り添うアズベルトに、最初は不慣れだった彼の体温が、いつの間にかネネフィーにとって心地良く感じるようになっていた。


「昨夜は良く眠れましたか?」

「え、は、はい、良く、眠れました……はい」

 ネネフィーは曖昧に笑う。


 ほんの数刻前まで、ジェンに懇々と説教を受けていたことは内緒だ。

 その表情を見て、アズベルトは目を細めた。


「少し悪戯が過ぎたのかな? 石鹸の香りがするね」

 すんっと首元を嗅がれたネネフィーは、驚いてアズベルトを見上げる。

 すると彼は、ネネフィーの頬をちょんっと指先で突いて片目だけ瞑ると、


「さあ、行きましょうか」

 停車している馬車へとエスコートした。



「ここで靴を脱いで」

「え? あの……」


 アズベルトに言われるままにタラップで靴を脱いで乗り込んだ車内。

 手を引かれるまま後方へと移動すると、そこには広いスペースが広がっていた。


 弾力のあるマットの上に沢山のクッションが置かれ、まるでそれは馬車の後方部分にベッドを搬入したかのようだった。


「昨日ようやく納品されたのです。もう少し早ければ、ネネを領地に迎えに行く際にも使えたのですが」

「ほえ……広い……」


 大の大人が二人寝転がったとしても十分な広さがあり、おまけに前方の座席部分とは分厚いカーテンで間切り出来るようになっていた。



 アズベルトはたっぷりと置かれたクッションの中に腰を下ろすと、優しくネネフィーの手を引く。

 ネネフィーは促されるように、アズベルトの前にストンと腰を下ろした。


「移動は3日程度だけれど、これでリラックス出来ますね。勿論、道中きちんと宿は取っていますから安心して下さいね」

「あ、ありがとう、ございます」

「ふふふ、どういたしまして」


 アズベルトは口元を緩めると、側に用意してあった大判の地図を広げた。


「今から行く場所はここです。帝都よりもかなり北に位置しますので、ここよりも涼しく、夏場は避暑地として良く利用しています。静かで美しい所ですから、きっとネネも気に入ると思いますよ」

「ほぇ~」


 アズベルトが地図を指差すそのすぐ隣で、ネネフィーも同じように地図を覗き込む。


「滞在先は湖も近いですからね、泳ぐことも釣りをすることも出来ます」

「え?! 嬉しい!」

 野生児のネネフィーには耳寄りの情報である。


「後は……そうですね。隣の領地になりますが、歩いてすぐの所に神殿があります。時間があれば見に行きましょうか」

「はい!」

「ネネは帝国内に、いくつ神殿があるか知っていますか?」

「大神殿を除いて全部で4つです」

「正解、偉いですね」

 アズベルトはネネフィーの頭を撫でる。


「大神殿を中心に、東西南北に4つの神殿が建っています。いつか一緒に行きましょうね」

「はい! 挨拶周りですわね! 楽しみにしています」

「挨拶周り……?」

「いつか大神殿に行って、教皇様にもお会いしたいですわ」

「ああ、ネネは行ったことがなかったのですね。すっかり失念していました。きっと教皇にはデビュタントで会えますよ。その時は一緒に大神殿へも行きましょう」

「嬉しい! 是非!!」


 今まで数える程しか領地を出たことのないネネフィーは、新しい土地での新しい出会いにワクワクしながら地図を見ているアズベルトの横顔を見つめた。


(綺麗な横顔、長い睫毛。こんな素敵な方とこれからずっと一緒なんて……)

 ネネフィーの胸が甘く疼いた。


(はぁ……好き、大好き)

 くすぐったい胸を持て余し、堪らず俯いて下唇を噛む。


「どうかしましたか?」

 そっと手を重ねられ、顔を上げるといつの間にかアズベルトがネネフィーを見つめていた。


「っ……」


 ネネフィーは思わず息を詰める。

 至近距離で見る彼の顔は、何度見ても芸術品のように美しい。


 いつもは涼し気な翠の瞳も、何故かネネフィーを見つめる時だけはとろっと甘く潤んでいる。

 暫く見つめ合う二人。

 重ねられた手とは逆の手が、ネネフィーの頬に添えられた。


「ねえ。好きですよ、愛しています」

「ぁ……」


 息を多く含んだ囁きに、ネネフィーは声にならない吐息を漏らした。

 きっと自分の顔は真っ赤でとてもみっともなく緩んでいるだろう。それでもネネフィーはアズベルトから目を離す事が出来なかった。


(私の大好きな大好きなお方……)


 二人の唇がしっとりと重なる。

 それと同時に、アズベルトの両腕がネネフィーをしっかりと抱き寄せた。


「あ、ふっ……」

 アズベルトはまるで唇を食むかのように深く口付けると、ネネフィーは驚いて身を固くする。


「大丈夫、怖いことなんて1つもありません。私が全部教えてあげます」

 アズベルトは唇を離してネネフィーを見つめた。


「……ア、アズさま……」

 ネネフィーは頬を真っ赤に染めながらも、アズベルトを見上げる。

 それから二人は何度となく口付けを繰り返した。

 見つめ合い口付け、見つめ合い口付ける。


 こうしてネネフィーは、アズベルトと『目が合うと口付けする』という行為に、いつの間にか慣らされていった。



 動き始めた馬車。

 前方の座席部分ではジョエルとジェンは終始無言で座っており、いつの間にか後方部分との間切りカーテンがしっかりと引かれている。



「お願いがございます」

 ジョエルは、目の前で無表情に座るジェンに小声で話し掛けた。


「……何でしょうか?」

 ジェンは目を瞑ったまま答える。


「今回、出来れば我が主、アズベルト様の行動を出来る限り止めないで頂きたい」

「一介の使用人ごとき私が、どうして主様の行動を止めることが出来ましょうか?」

 ジェンは抑揚のない声で返した。


「そうですね。ですがそういう意味ではなく、出来る限り主の邪魔をしないで頂きたい」

「邪魔、ですか……」

「はい。今回アズベルト様は、ネネフィー様と確固たる繋がりを作るおつもりです」

「ああ、そういう事ですか」

 ジェンは理解して、パチリと目を開けた。


『確固たる繋がり』

 つまり直接的な言い方をすると、アズベルトはネネフィーと身体を繋げたい、ということだ。


「その辺りは問題ございません。奥様にも許可は得ておりますし、フォローするよう申しつかっております」

「そうですか……」

 ジョエルはほっと息を吐いた。



 生まれたその瞬間から、ネネフィーは余計な虫がつかないように領地で大切に守られてきた。

 デビュタントで彼女の姿を見た一部の皇族、特に皇帝周辺は浮足立つだろう。

 そしてどんな手を使ってでも、彼女を手に入れようと画策するだろう。


 何故ならネネフィーの外見は、ルビリオン帝国初代皇帝である全能神リース最愛の妻にそっくりなのだ。


 リース神の妻は人間であった為、文献や絵画などにはあまり登場しない。

 しかし僅かではあるが、その姿が描かれている絵画もある。

 柔らかい赤毛と紫の瞳を持つ小柄な女性。

 彼女こそがリース神の最愛。運命の乙女であった。



 リース神の器として生まれた者が皇帝になる際、必ず彼の横には赤い髪と紫の瞳を持つ女性が立っていた。

 これは、皇帝の直系であれば誰もが知っている事実である。

 皇帝の地位にしがみ付いている現皇帝一家が、ネネフィーの外見を見た際、彼女を欲しがらない理由がない。



 だがしかし、血筋を何よりも尊ぶ皇族に嫁ぐ為には純潔でなければならない。

 これは絶対に覆せない条件の1つだ。


 ネネフィーとアズベルトが早々に契ってしまえば、どんなに横やりが入ろうともネネフィーが皇太子ハミルトンに嫁ぐことは不可能となる。

 まあそうなる前に、妨害でも入れようものならミラー家とロッシーニ家が黙ってはいないのだが。



「ネネフィー様がアズベルト様を選んだ瞬間から、ロッシーニ一族はアズベルト様にお仕えさせて頂いております。ただ……」

「ただ?」

「無理強いだけはなさらぬように」

 ジェンの瞳が僅かに眇められる。


「承知した」

 ジョエルはしっかりと頷いた。


2022.11.20修正

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