顔合わせ
「だぁ~かぁ~らっ!!私は絶対に婚約なんてしませんからぁっ!!!!」
ロッシーニ辺境伯邸内。
15歳になったばかりのネネフィー・ロッシーニ辺境伯令嬢は、両腕を侍女ジェンにがっちりと掴まれたまま、ダンダンと地団太を踏んでいた。
フワフワの赤毛にくりくりの大きな紫の瞳。
小ぶりの鼻とぷっくりとした唇は同年代の令嬢よりも遥かに幼く見え、小動物が震えながら威嚇しているように見える。
「もうっ!離してぇ!! 離して下さいましぃっ!!!!」
ネネフィーは必死にもがくが、辺境の地で鍛え上げられたゴリラのような侍女はビクともしない。
側に控えている他の使用人達も、素知らぬ顔で壁際に立っていた。
「ぐぬぬぬぬっ……」
ネネフィーは貴族令嬢とは思えない唸り声を上げる。
辺境の地で育ったネネフィーは、とてもわんぱくだ。
野を掛け山や木に登り、下着姿で海に飛び込む。
ロッシーニ家は魔法特化の家系であり、ネネフィーはその才能をしっかりと受け継いでいる為、幼い頃から自由自在に魔法をぶっ放して野生動物や魔獣を追い駆け回し、時には狩って食すそれはそれはとんでもない野生児として育った。
勿論イタズラが過ぎると容赦なく侍女に尻が腫れるまで叩かれたり、庭先にロープで括り付けられたりと、なかなかにハードな罰を受ける。
しかしこれはロッシーニ家の教育方針であって、ネネフィーだけが虐められているということではない。
現に帝都にいる彼女の3歳年上の兄レイフィールも、同じように尻を叩かれて育った。
(ぐぅっ……どうしてこんな事に……)
ネネフィーは、数刻前の出来事を振り返る。
普段なら寝坊すると容赦なく叩き起こされるのだが、何故か今朝はやたら優しく揺り起こされた。
そればかりか念入りに髪をとかれ、マッサージを施された後に、汚れるからと普段絶対に着ない淡い色のドレスに着替えさせられた。
(何かおかしい?)
ネネフィーはこの時、確かにそう思った。
しかし朝食に出された大好物の厚切りベーコンを見た瞬間、その警戒心は見事に吹き飛んだ。
ホクホクしながらベーコンに齧りついていると、朝食後にお客様が来るから一緒にお出迎えしましょうと母アマリリスに促され、エントランスに連れて来られた。
「今日はあなたの婚約者との顔合わせの日なのよ~良かったわね~」
間延びしたアマリリスの言葉に、ネネフィーはしばし呆然とした後に大絶叫した。
(顔合わせ?! 誰と誰の?!)
そもそもネネフィーは、自分に婚約者がいることなど今の今まで知らなかった。
(冗談じゃないですわ!!)
ネネフィーは逃げ出そうと試みるが、それを見越したアマリリスの指示により、背後に待機していた侍女にあっという間に羽交い絞めにされてしまって今に至る。
「私は全能神リース様に身も心も捧げております! 誰かに嫁ぐなんてまっぴらご免ですわ!」
ネネフィーは幼い頃に全能神リースの肖像画を見て一目惚れし、彼一筋で12年間生きてきた。
いまさら現実の男になど興味もクソもないのだ。
「え~でもネネちゃん。お相手は帝都からはるばる来て下さるのよ~。お会いしなければ失礼なんじゃないかしら~?」
「……そ、れは、そうです、が」
どんなに最速でもルビリオン帝国の帝都からロッシーニ領まで馬車で10日はかかる。
「ででででもお母様! そもそも私に婚約者がいるなんて知りませんでしたわ!」
「あらぁ~? そうだったかしら~??」
「そうですわ!!」
「まぁまぁ~先方は一度会ってお話をして、気に入らなければ断ってくれて構わないとおっしゃってくれているのよ。良いお申し出じゃないかしら~?」
「ぐぅっ……」
のんびりとした口調ではあるが、そこはかとなく感じる圧にネネフィーは思わず喉を鳴らした。
普段はおっとりしているアマリリスだが、実は怒らせると非常に怖い事をネネフィーは知っている。
何せ彼女は『爆炎の魔女』の異名を持つ、大陸きっての魔法使いの1人である。
「うふふふふ。大丈夫よ~きっとネネちゃん気に入るわ~」
「……」
(お母様なら私の気持ち、分かって下さると思ってましたのに……)
ニコニコと笑うアマリリスに、ネネフィーはガクリと肩を落とした。
「ほらほら、いらっしゃったわ~」
しょんぼりと俯くネネフィーの耳に靴音が聞こえる。
ピカピカに磨かれたダークブラウンの革靴が視界に入り、諦めたネネフィーは小さくため息を吐きながら顔を上げた。
(とにかく一度会ってお話するだけ! 私はリース様一筋!どんなに素敵な殿方が来たって絶対絶対お断りですわ!! リース様、どうか、どうか見ていて下さいませ。この私の一途で深い愛を!!)
ネネフィーは決意を胸に、まるで睨みつけるように相手の顔を見上げた。
するとそこには、柔らかい笑みを浮かべながらネネフィーを見下ろす1人の美丈夫が立っていた。
緩やかに波打った白銀の髪。
長い睫毛に縁取られた新緑を思わせる淡い翠の瞳。
美しい鼻梁と優しげに上がった口角。
僅かに下がった目尻が、どこか作り物のような冷たさを感じる表情を和らげていた。
「……………………」
ネネフィーは、しばし息をするのも忘れてその青年を凝視する。
(何てこと……何てことなの……!!!!!!)
ピカッ
バリバリ
ドッカーーーン!!!
ネネフィーの目の前に突然巨大な稲妻が走り、足元からビリビリと痺れが這い上がってくる。
(これは運命?! 運命なの?!)
快晴の空の下、爆音と共にいくつもの雷がロッシーニ邸の庭先に落ちる。
ドカーン
バリバリ
ドッカーン
屋敷中の灯りが衝撃に合わせて点滅する。
使用人たちが騒然としている中、ネネフィーはポカンと口を開けて青年を見上げたまま微動だにしない。
同じく青年も、微笑みながらじっとネネフィーを見つめていた。
しばらく見つめ合っていた2人だったが、不意に青年は笑みを深めると、右手を自らの胸に当ててその場にすっと跪いた。
「アズベルト・ミラーです。ネネフィー嬢、お会いできて光栄です」
「ふぐぁ……」
ネネフィーの口から奇妙な声が放たれる。
アズベルト・ミラー。
ミラー公爵家の嫡男であり、ネネフィーよりも3歳年上の彼はあろうことかネネフィーが恋い焦がれていたリース神の肖像画に瓜二つだった。
(何てこと何てこと何てこと何てこと……)
茫然としていたネネフィーの脇腹を、母アマリリスにつつく。
我に返ったネネフィーは、周囲に聞こえるほど大きく息を吸い込んだ。
「ネネフィー・ロッシーニ15歳です! 好きな食べ物はお肉です! でもアズベルト様の方がもっと好きです! 一生お側において下しゃいっましぇっ!!!」
渾身の告白がエントランスホールに響き渡る。
多少噛みはしたが気にしない。
ネネフィーは非常に単純で潔かった。
ロッシーニ辺境伯家
・ネネフィー父:ネロ
・ネネフィー母:アマリリス
・ネネフィー兄:レイフィール
・ネネフィー専属侍女:ジェン
ミラー公爵家
・ネネフィー婚約者:アズベルト