公爵令嬢である私の婚約者がやばい
私――アイラ・フィーネルは、王国内でも名の知れた公爵家の生まれだ。
この家に生まれた時点で、私の人生は決められたようなもので、成功が約束されたと同時に――本当に楽しいと思えることは何もなかった。
フィーネル家の人間として恥のないように。ただそれだけのために、私は徹底した教育を施されてきた。
私自身、完璧であろうと努力をしてきたし、そうあるべきなのだと理解している。
それが、公爵家に生まれた私の運命なのだ、と。
そんな生き方をしてきた私が、公爵令嬢としての『その時』を迎えた。――両親が私の婚約者を決めたのだ。
結婚をする相手を選ぶこともできないのが、私の人生であり、それはずっと前から理解していた。
だから、私は恋というものをしたことがない。誰かを好きになってしまえば、きっと叶わぬ恋になってしまうだろう。
そうなるくらいなら、いっそ誰も好きになることなく――心を閉ざして、婚約者の『相手』を務めることができればいい。
私はそうして、アイラ・フィーネルという『完璧な公爵令嬢』を作り出した。ぞのはずだったのに――
「9997、9998、9999……」
婚約者との初めての顔合わせ。聞こえてきたのは、数字を数える声であった。
私のお相手は、王国でも『腕の立つ騎士』であると聞いていた。騎士として実力のある者を相手に選ぶのは、貴族の家柄に多いことだ。
彼にはきっと、将来性というものがあるのだろう――そう思っていたのだけれど、部屋に入ってすぐに、目に入った光景が、汗水垂らしながら腕立て伏せをする婚約者、というのは一体どういう顔をすればいいのだろう。
腕が立つと言うより、物理的に腕立てをしている。
「10000……ふぅ、いい運動になったな……」
「あ、あの……」
「! おお、すまない。待っている間、退屈だったのでな。思わず腕立て伏せをしてしまっていた」
言われなくても、それは見れば分かる。
ただ、聞き間違いでなければ、彼は『10000回』腕立て伏せをしたことになる。
確かに、物凄いスピードではあったけれど……。
立ち上がった婚約者――ルード・クレンダーは私が見上げなければ顔が見えないくらいの大男だった。
縦にも大きいけれど、横にも広い。太っているのではなく、純粋に筋肉質で、単純に全てのサイズが規格外なのだ。
あまりに『圧』の強い筋肉に、思わずたじろいでしまう。
「君がアイラだね。俺はルード・クレンダー――この世界で最も筋肉を愛し、筋肉に愛された男だ」
「……筋肉?」
「その通り。『筋肉は魔法より強し』、こんな言葉を知っているかな?」
「……いえ、初耳ですけれど」
「ははっ、そうか。鍛え上げられた肉体に魔法など効かない――早い話がそういうことだ」
「そ、そうなのですね」
私は頷くしかなかった。
婚約者との挨拶で、いきなり筋肉の話をし始める男がどこにいるのだろう。いや、目の前にいるのだけれど。
婚約者同士だけで話せるように、と部屋を用意されたのだけれど、こんなことになるなんて予想外だった。
困惑する私を前に、不意にルードが膝を突く。
「アイラ、君と僕は初対面だね」
「え? そ、そうですね……」
「さっき言った通り、僕は筋肉を愛しているし、筋肉にも愛されている。けれど、こうして君との婚約話を受けた以上――筋肉以上に君を愛したいと思っている。もちろん、これからお互いのことを知っていく必要はあるだろうけれどね」
親指を立てて、とても爽やかな笑みを浮かべるルード。
筋肉を愛し、筋肉に愛されている――真面目にそんなことを言いながら、それでも婚約をする以上は、私のことを愛するつもり、だと彼は言う。
それがルードの『殺し文句』だと分かると、失礼なことだと分かっているけれど、私は思わず笑ってしまった。
「……ふふっ」
「ん、何かおかしいことがあったのかい?」
「い、いえ! その……ごめんなさいっ。正直、会ってみるまでどんな人なのか分からなかったのですけれど、貴方のようなお方だとは思わなくて」
「それはつまり……腕立てではなくスクワットをするタイプが好みだった、と言うことかな?」
「そういう方向でもないのですけれど!」
何かズレていると言うか、基本的に話が筋肉と筋トレの話ばかりが出てくる。
この人が私の婚約者であり――私が今までこの人と婚約をするために頑張ってきたと思うと、なんだか色々とおかしくなってきた。
「なるほど、難しいな……筋肉のことは分かるが、乙女心というのは繊細だ。筋肉も繊細ではあるんだが」
「一旦、筋肉から離れませんか……?」
「それは肉離れということかな?」
「そうじゃないですっ!」
「はははっ、これはさすがに冗談だよ!」
豪快な笑顔を浮かべるルードを見て、私も合わせて笑っていた。
出会い頭に腕立て伏せをする婚約者なんて、明らかに『やばい』と思ったけれど、意外と気が合うのかもしれない。
「私、ルード様のことをもっと知りたいです」
「ほほう、それは嬉しい提案だ。それであれば……とりあえず一緒にスクワットをしよう!」
「それはちょっと……」
苦笑しながら、私はルードの提案を拒否した。
その後、ルードの提案を受けて何故か腕立てをする彼の上に座りながら話す、という謎のシチュエーションを繰り広げながら、私の婚約者との初めての邂逅は終わった。
それからしばらくして、不意に私は空を見上げて、思わず呟く。
「いや……私の婚約者、やばくない?」
冷静になると、それを受け入れた私もやばい気がしてきたけれど、気にしないことにした。
勢いだけのコメディです。
この後、二人は一緒に腕立てをしたり、腹筋をしたりしてお互いの絆を鍛えていくと思います。




